『閑人戯言』リニューアルのご挨拶

時の流れに身を任せ、今回から「閑人は、たわ言とデジカメで日暮らしする」
ことにしました。
言葉の不足は画像で、画像の不出来は言葉で補いながら続けたいと思っています。
お付き合いよろしくお願いします。(2005・9・8改訂)

 これまでの「気まま日記」は「閑人の戯言」として再出発いたします。
 閑人はろくなことは考えません。気に障ることもあろうかと思いますが
そのときは馬耳東風で聞き流してください。(2002・9・13改訂)
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心のゆとり  
2007・6・22

前方を歩く男性あり。

われ30m程間隔をおいてその後に続く。

信号赤となり、前方を行く男性立ち止る。

その男、交差点で手足を屈伸、体操を始める。

信号青になり、体操を止め再び歩き出す。

わずか1分たらずの待ち時間を有効に使う男。

苛立ち青信号を待つ我との、ゆとりの差を感じた朝。



鷹ノ巣トンネル  
2007・6・14


生月島周遊のバス運転手兼ガイドさんは「鷹ノ巣トンネル」にさしかかると、車を停めて説明した。

「この断崖を見てください。あちこちに穴が空いているでしょう。あれは鷹の巣穴です。

傍にトンネルを通したところ鷹は巣造りをしなくなりました」

この生月島は、禁教令で苦しめられた人々の島。

ところが現代人は開発という武器で鷹を追っ払った。

健在なのは「鷹ノ巣トンネル」という名前だけ。

共生の難しさを見せ付けられた瞬間であった。




同窓会・老いの悩み 2007・6・5

先日倉敷で行われた同級会の近況報告から

A君(72歳)

心臓を患って月に一回病院に出かけている。

順番が来て名前を呼ばれるといつも恥ずかしい思いをするこのごろ。

白髪頭の爺さんが立ち上がって、のこのこ歩き出すと、みんなが変な目つきで見る。

名前は「眸」。「ヒトミさぁん」と呼ばれるのが恥ずかしくてたまらない。

B君(73歳)

数年前、奥さんに先立たれ一人暮らし。

アパートの自治会の決まりで、独居老人宅には毎日近況伺いをすることになっている。

担当になっている60代のご婦人が毎日声をかけてくれる。

「おれはこの通り元気なのに・・・恥ずかしいやら、情けないやら」

決まりだから仕方ないよ。




元気を貰って 2007・5・31



閑人戯言」長らくのご無沙汰です。

頭が錆付いて感性の歯車が回らなくなりました。

そろそろ閉店の潮時かと思案中です。

話は180度変わりましてお目出度い風景に出会いました。

ここは、倉敷市・美観地区。

テレビ・映画の撮影ではありません。本物です。

お二人の新生活のかどでを祝福しましょう。

倉敷で同級会があった翌日、美観地区を観光中、

ちょっと失礼してシャッターを押しました。

若さっていいですね。

元気を貰いました。




カラスの行水  2007・5・17

入ったと思ったらもう出てきた。短時間で入浴することを「カラスの行水」とよく言う。

私はこの反対で1時間近く入らないと風呂に入った気分にならない。

「そんなに長くどこを洗っているのか」とからかわれる。

わたしはこれまで実際にカラスが行水をしているところを見たことはなかった。

先日、本明川の川淵を歩いていると、カラスが浅瀬で行水をしようとしているところに出会った。

絶好のチャンスとザックをおろし、カメラを出そうとした。

しかし、カメラを取り出す前に行水は終わり飛び立ってしまった。

頭を水面に突っ込み、羽を広げ水面にたたきつけるように2、3回羽ばたいては頭を上げる。

これを3回し繰り返し行水は終わった。時間にしてわずか10秒から15秒ぐらい。

さすがは諺のとおりだと写真に納められなかった悔しさはさておき感心した。

この早業の瞬間をカメラに収め得る幸運な人は、いったい何人いるだろうかと思いながらザックを担いだ。



朝のあいさつ  2007・4・17

今朝は寒かった。これを花冷えとでもいうのだろうか。

いつものように朝のウォーキング。

わたしは足元を見て考えごとをしながら歩いていた。

「おはよう」すれ違いざまに大きな声がした。

びっくりして立ち止まり顔を上げた。

「おはようございます」ではなく「おはよう」である。

親しい人かと思ったら初対面の男性であった。

その顔は私ではなく左方向を見ている。

目線の先には小屋につながれた犬がいた。

男は犬に近寄り、また「おはよう」と言った。

  吾でなく犬にあいさつ春寒し




生まれた環境 2007・4・10

今朝の散歩で出会った風景。

アパートのドアーを開け、お椀を持ったおばさんが出てきた。

外で遊んでいた二匹の猫の一匹がおばさんのところへ走り寄った。

器に餌を入れてもらうやいなや食べ始める。

もう一匹の猫は遊んでいた場所から動かず、

その様子を黙って眺めていた。

その猫は多分野良猫に違いないと私はみた。

この猫もたぶんお腹がすいて食べたいであろう。

しかし、おばさんがいるから近寄れない。

野良猫の心境が痛ましかった。

世界には、裕福な家庭で何不自由なく三度の食事にあり付ける子供がいるかと思えば、

その日の食事にありつけるかどうかさえ分からない生活苦の子供たちもいる。

生まれる時はみな平等、しかし、生まれた環境の違いで天と地の差が生じる世である。

この世に生を享けた以上、生き抜かなければならない。

野良猫よ頑張れよと同情しながらその場を離れる朝であった。



思いがけない杭  2007・3・26



この杭は年齢77歳。

九州自然歩道歩きの山中で出会った。

「海軍省」の文字に惹かれ足を止めた。

 反対面には「佐世保海軍鎮守府」の文字

こんなものがよく残っていたものだ、という思いがした。

場所は佐世保市内の隠居岳尾根筋。

佐世保は海軍鎮守府があり軍港であった。

軍港を取り巻く高い山は立ち入り禁止区域であったろうと推察できる。

いまは里山歩きのブームで、佐世保港を眺め心を癒してくれる山となっている。

この杭は国家権力の威圧と平和のありがたさの二面を示唆する遺物である。



864万分の1  2007・3・18

印刷最大手の大日本印刷は43社の個人情報計約864万人分が流出したと発表した。

この数字を見たとき、もしやその中に自分のデーターも含まれているのではと思った。

心当たりがあるわけではないが864万という数字の大きさからの危惧であった。

月日が経つにつれメディアも話題にしなくなった。一個人がどう足掻いても手の届かな

 いところでそのデーターは飛び回っているに違いないが実害が無いことを願うしかない。

1ヶ月が過ぎ見かけない封書が届いた。中身は「個人情報流出についてお詫び」であった。

 やはり864万分の1であったかと予感の的中にいやな思いをした。

お詫びの気持ちとして○○カード(500円分)が同封してあった。

お詫びの誠意としてこの方法しか無いのかもしれないが金銭で片付けてしまう現代社会に

 怖さを感じた864万人の一人である。




いじめ  2007・3・8



この私を見てください。

ある日突然抜き取られ

裸のまま世間にさらされ

寒風にさらされ

こんな姿にさせられました。

これがいじめでなく何でありましょうか。

でも頑張っています。




暖 冬  2007・3・2



暦が3月に変わりましたね。

正月から2ヶ月が過ぎ、一日が猛スピードで去っていくような気がします。

この2ヶ月間に寒い日は何日ありましたかな。

片手の指を折り曲げてもたりるくらいでした。

地球自体が暖かになっているのかもしれませんね。

その証拠をご覧ください。

大根が土の布団から抜け出そうとしているではありませんか。




花ぼうろ  2007・2・9



はじめて「花ぼうろ」と聞いたとき

お菓子の「まるぼうろ」?ではと思った

長崎・雲仙地方では冬のよく晴れた日の朝

山の木々に氷がついて白く輝る霧氷のことを

「花ぼうろ」と呼ぶ

温度・風・霧の三つの気象条件が揃わないと

霧氷はつかない

その煌びやかな輝きは短命である

2月4日その「花ぼうろ」に出会えた

命尽きる瞬間まで輝き続ける「花ぼうろ」

わが人生もこうありたいものだ

(翌日から春の陽気に急変、ピンと外れの話題になりました。悪しからず)




船は帆まかせ帆は風まかせ  2007・1・26



石蕗の種子

大寒くれどまだ飛ばず

里山の藪にたたずみ風を待つ




熊野ツツジ 2007・1・15



冷え込み強く

真っ白な霜の朝

この冷え込みに耐え

ますます冴える紅

朝陽を受け霜光を放つ




七草粥 2007・1・7

特別形式張って年末年始を迎えたわけではないが

正月も7日を過ぎるとホッとする

できるだけ行事は省き簡素化しようとしても

付き合い上欠かせないものが多い

 そのため日常の生活パターンが狂い

気苦労の疲れが溜まる一方であった

きょうは7日、朝の食善には七草粥

白いお粥の中の緑鮮やかな七草を眺め

やれやれ、これで正月も終わったと思った

またこれから平凡な暮らしの始まりである

平凡な暮らしが一番いい

平凡のありがたさを再認識した七草粥であった





年末大掃除  206・12・27

年末となるとあれやこれやで忙しい。

一番厄介なのが大掃除

誰が、何時の時代から大掃除をするように決めたのだろう

たぶん富裕なお方が、使用人を使って始めたのではなかろうか

貧乏人はその日の糧を求めて掃除どころではないのに

汚れていても死にはしないというからね

でもね、この世には貧乏神がいるんだと

なんでも家の掃除を怠け、ホコリだらけにしていると

この貧乏神が喜んで棲みつくらしい

だから来年こそは貧乏から逃れようと

年末に払い清め新年を迎えるそうだよ

貧乏から逃れるためには、年末ジャンボ宝くじを買うより

大掃除したほうが確率はよさそうだね




待ち人  2006・12・21

12月になると心待ちにする人がいる

それはサンタクロースではない

12月初めに、庭の手入れにやってくる庭師さん

今年はどうしたことか20日過ぎても来ない

こちらからお願いしなくても毎年来てくれていたのに

わたしと大差ない同世代だから

音沙汰がないとあれこれよからぬことを憶測する毎日

息子はあとを継がないと話したこともあったけ

この暮れ、忙しくて遅れているのであればよいのだが・・・




大根ホームページ  2006・12・12

ふろふき、おでんの大根が美味しい季節になった。

今年は、キャベツ、白菜、大根は豊作で価格調整のため廃棄処分にされるという。

もったいない話である。

大根料理はどれも美味しい。しかし、言葉としての「大根」は良い意味の例えに

 使われることは少ない。

「大根足」「大根役者」どれもよく会話に出てくる例えである。

「大根足」はあらためて説明の必要もなかろう。

 が、分かったようで分かっていないのが「大根役者」という言葉である。

足の太い役者さん?でっぷりと太った役者さん?と思いきや、そうではなかった。

辞書によると、大根はいくら食べてもお腹をこわさない、つまり「当らない」いつ

 まで経っても当らない役者さんという意味だそうである。

なるほど、それじゃわたしのホームページは「大根ホームページ」と言うわけだ。

淋しいなぁ〜




初 霜  2006・12・01

部屋が冷え肩が寒くて目がさめた。

 「外は寒いだろうなぁ」床の温もりの中で考える。

時は5時5分前「あと5分このまま温もりに浸ろう」。

このときの5分の短いこと。もう5時になってしまった。

 勇気を出して起き上がる。

5時40分外へ出る。首筋から体温が吸い取られていく。

歩き初めは、手袋していても手先が冷たい。耳は冷たさを通り越し痛い。

もしかして今朝は霜が?

 きょうから師走だもんなぁ。

 この冷え込みは今冬の挨拶状かな?・・・。

 などなど頭は寒さのことでフル回転。

懸命に歩き続け夜は明ける。

 畑の枯れ草に薄っすらと霜。

 今冬の初霜だぁ〜。




菊の傘  2006・11・27



田舎では広い庭先や畑に菊が咲いている風景によく出会う。

小さな花が群がり地面に垂れ下がったものもある。

竹の杭を挿し、枝を束ね支えたものもある。

丹精込めて枝作りした菊花展の菊も良いが

自然の成り行きに任せた菊は野趣があり遠い昔を偲ばせてくれる。

いまは亡き祖父が初冬になると霜除けに番傘を差していた。

いつの間にか、その風景を追い求めている今日このごろのわたしである。

   傘一つ押し込んであり菊車   加藤 三七子 詠



夜の挨拶  2006・11・08

習慣とは恐ろしい。

一日に歩く大体の歩数を決めている。

夕方、歩数計を見るといつもより少ない。

夕食後、いつものコースへ歩数稼ぎに出掛けた。

夕方7時過ぎ、11月ともなればすれ違う人の顔は判別できない程の暗さである。

すれ違い様に、「おはようございます」と無意識に口から出てしまった。

「あっ」と気付いたとき相手はもう通り過ぎたあと。

つい朝のウォーキングの口癖が出てしまったのだ。

 役者や飲み屋のお姐さんの出勤じゃあるまいし、

 夜に「おはようございます」はおかしいよなぁ、

 と苦笑いしながら歩いた。



執行猶予終身年の刑  2006・10・31

裁判に例えると、こういう結果になるだろうか。

証拠不十分(原因不明)につき無罪(病名なし)。

 ただし執行猶予終身年(これから一生用心しなさい)。

7月下旬から8月初旬にかけ胸が圧迫されるような発作が4回も起きた。

 3ヶ月かかって諸々の検査を行ってきた。

その結果が10月20日医者から告げられた。

病原を突き止められなかったのか、健康体なのか、すっきりしない判決(診断)であった。

 命が尽きるまでの執行猶予刑を背負っているような心境である。



爪切り  2006・10・20

庭先の石に腰掛け手の爪を切り始めた。

朝方の陽射しは柔らかく時折吹き抜ける風も優しくなった。

時が過ぎ去るのも早く感じるが爪が伸びるのも早いようだ。

定かではないが10日前に切ったような気がする。


切り終わって地面を見ると切った爪が動いている。

一つだけではない。あっちにもこっちにも・・・。

よく見ると蟻が運んでいるところだった。

自分の体の5、6倍はある爪を引きずっている。

普段は生き物などいないと見過ごしている庭だが

注意して地面を眺めると蟻がたくさん這い回っているのには驚き。


蟻たちは冬に備え食料をせっせと蓄えるのに忙しいようである。

硬い爪が蟻の食料になるのだろうか。

こうして運んでいるからには食料か別の何かに役立っているに違いない。

と動く爪を何時までも眺めていた。





コップ一杯の水  2006・10・ 6

NHKが放映いる『ためしてがってん』で隠れ糖尿病のことを知った。

通常の糖尿病検査では正常であってもブドウ糖付加試験で糖尿病が発見されることがあるいう。

それでは念のため検査してみるかという気になった。

申し込むと、今夜の9時以降は絶食、水も飲まずに朝9時に病院へ来るようにとの指示。

朝起きてから、まずコップ一杯の水を飲む習慣がついている。

朝飯抜きは我慢できたが水が飲めないのは苦しかった。

朝5時に起きると水を口に含み口をゆすいだだけで吐き出した。

2時間半後、朝の体操とウォーキングから戻るとまた水が欲しくてたまらない。

水を含んでは口を潤し吐き出す。これを7時半から9時まで何回も繰り返し検査を待った。

 高が1時間半だったが水を飲まれない苦しみをいやというほど味わった朝であった。




寝床から抜ける勇気  2006・ 9・25

朝5時40分家を出る。日の出も大分遅くなった。

東の空は白みかけてはいるが出会う人の顔は判別できないくらいの暗さである。


朝のウォーキングはこれまで半袖シャツに短パンであった。

2、3日前から長袖のTシャツに長いトレパンに衣替えしている。

急に肌寒く感じるこの頃だが、彼岸の中日も過ぎたから当然かもしれない。


この時期がウォーキングには最高の季節ではないだろうか。

早足に負荷をかけて歩いても汗ばむくらいで暑さを感じない。

歩き出せば快適だが、外気が冷えるに従って寝床の温もりが恋しくなってくる時でもある。

これから先は床から抜ける勇気との戦いになりそうだ。




C57蒸気機関車 2006・9・19



1865年、トーマス・グラバーが長崎の大浦海岸でSLを走らせたのが日本で最初。

写真の機関車は1939年(昭和14年)製造。

全国各地を走り続けること36年間で326万キロ。地球を82周したことになる。

昭和50年1月31日引退後は長崎県総合運動公園で余生を送っている。



将棋墓 2006・ 9・11



174年前の今日(9月11日)建てられた珍しい墓のお話。

その墓は、江戸時代後期に「川柳の師」と仰がれた中山五平の墓です。

五平の川柳の弟子に当る柳宝庵董来により天保3年(1832年)9月11日

に建てられたものです。

墓石の裏面には「年八拾七歳にして仏国(あの世)に満入せり、俗名搗餅(とうへい)とて、

茲に筆を立て一句を手向く」と記し、続いて「吹移す風やこめて立つ山家」と董来の一句が

したためてあります。

五平は、よほどの餅好き、将棋好きの人だったと思われ、墓石の台座は重ね餅の御影石

で作られ、その上に将棋版を載せたもので他に類を見ない珍しい墓であります。(説明板より)

場所は諫早市森山支所の小高い山にあります。





これは何か 2006・ 9・ 8



農道を歩いていると時々こんな風景に出会う。

畑の隅に置かれている朽ちかけた車。

用済みの車を農作業用の物置として再利用していた形跡がある。

今はその役目も終え自然に還るのを待つばかり。

では今の状態は何なのか。

廃棄物?不当投棄?でもないとすれば、故人が残した遺品、

それとも前時代からの残存物としての遺物と見なすべきか。



アイスクリーム製造機  2006・ 8・24



こう毎日暑いと冷たいものが欲しくなりますね。

150年前、日本ではまだ庶民の口に届かなかったアイスクリームをトーマス・グラバーは

長崎で造っていました。

グラバー邸にその製造機が展示してあります。

桶の中にはもう一つ筒型の小さな容器があり2層式になっています。

桶と中の容器の間に氷と塩を入れ、容器にはミルク、砂糖、卵をいれ蓋をし、左右にハン

ドルをつけ自転車のペダルを漕ぐように手で回すと中の容器が回転する構造になっています。

アイスクリームが出来上がるまでどのくらい時間がかかったでしょうか?

ハンドルを廻し続ける苦労も大変だったと思われます。

いまは冷蔵庫に買い溜めして食べたいときにいつでもとり出せるから便利な世の中ですね。




幽 霊  2006・ 8・ 7



夜も昼も365日幽霊が出ているところがある。

それはお化け屋敷ではなくお寺の本堂。

熊本県人吉市の永国寺。

560年前、この寺を開山した超真和尚の筆によるものという幽霊の掛け軸。

暑い夜が続くこのごろ、眠れぬ夜一人で出掛けてみれば暑さも忘れる?。

いや幽霊は過去のもの?

効き目なしか。





心 電 図 2006・7・25



24時間心臓の働きをチェックすることになった。

夜中胸の上に重い漬け物石を乗せられたような圧迫感を感じ目が覚めた。

4日後の夜中にまた同じ症状が発生した。

2度あることは3度ある?

70数年間働き続けている心臓だ。

もうこの辺で休みたいのだろうか。

病院で症状を話した結果、こんなものを付けて帰ってきた。

心臓を電子測定し、いわゆる心電図を作る装置である。

結果や如何に?




気になる水位 2006・7・23



梅雨も末期症状。

各地に被害が発生しています。

被災地の皆さんお見舞い申し上げます。

河川の氾濫ニュースでよく出てくる水かさを示す用語はわかったようでわかりにくいですね。

たまたま通りかかった橋に表示がありました。

どの高さまで水かさが上がったら避難するのでしょうか?

避難にも避難勧告、避難指示などの用語がありますね。




廃屋の想い  2006・ 7・18



家人は去った。

朽ちる前、誰かに伝えたい。

我が家の歴史を



老橋のささやき  2006・7・8



私が主役の時代は終わった。

いまは隠居の身分。

時には会いに来てくれると嬉しいんだが。

その時きゃ昔話をしてやるよ。



シャッターチャンス  2006・ 7・ 3



諫早市森山町唐比(からこ)の『唐比蓮祭り』に出掛けた。

ハスの花も見頃。カメラマンも満開模様。

梅雨空の雲間から瞬時に陽が覗く。

それっ!いまだ。

あれっ!風が?

身体には感じない風がファインダーでは台風並み。

陽射しと風のタイミング。

うまく撮れましたか?




愛国心  2006・6・23

ニッポン、決勝トーナメント進出ならず残念!

でも日本中が燃えた。この熱狂振りは何だろう?

これぞ愛国心の表れではないか。

無理に修身や道徳の教科を増やして愛国心を押し付けなくても良い。

修身・道徳の時間にサッカーを教えなさいよ。

文部科学省殿。



考える観世音菩薩    2006・6・21



ロダンの「考える人」は、

最初ロダンの代表作のひとつである「地獄の門(未完)」の一部として制作されたとか。

「地獄の門」のなかでは、地獄に堕ちていく人々を眺めているように配置されているとも。

この菩薩様は地獄に堕ちていく人々を救おうと思案中のようです。

(諫早・天祐寺境内にて)



芸術作品?   2006・ 6・ 8


                              (えびの高原・自然歩道にて)

幼虫は生きるため樹に寄生した。

その樹は虫のため枯れてしまった。

人はこれを眺めて芸術作品と観る。

幼虫は芸術作品を作るつもりはなかったろう。

いま日本では盗作疑惑で騒いでいる。


作者(虫)の声が聞こえてくる。

芸術選奨文部科学大臣賞を狙ったわけでも、

もちろん盗作したわけではありません。

人の世は世知辛いですなぁ




紙 幣  2006・ 6・ 1



引き出しを整理していたら、こんなものが出てきた。

百円、一円の紙幣が消えてから何年経っただろうか。

これらの紙幣は過去を思い出してくれる。

皆さんはどのような過去が浮かんできますか。

たまには過去を振り返ってみるのも面白いですね。



腰の痛さよ  2006・5・26

今年は五月になって雨の日が多い。

庭の雑草にとっては恵みの雨。

元気よく伸びる雑草を眺め、ため息をつく日が続いていた。

昨日一昨日は、久しぶりの晴れ間。

この時を逃がしてはならじ、と草むしりに挑戦。

麦藁帽子を被っていても額から汗が流れる。

時は流れ、腰が痛みだす。

痛みに耐えかね、地面に座り込む。

手を休め、雑草の群れを眺める。

猫の額ほどの庭が、広大な草原に映る。

高が雑草と侮るなかれ、

老いゆく身には恐怖の存在となった。



日 暈 2006・5・8



今日の正午ごろ、ふと空を見たら

太陽の周りに丸い虹ができていた。

雨になる前兆だと聞いている。

太陽にできると日暈、

月にできると月暈というそうだね。





不要になった瓦
 2006・4・26



最近、古い家が取り壊され、不要になった瓦が産業廃棄物として

惜しげもなくトラックに投げ入れられる様子を目にすることが多い。

お寺の境内ではこんな形で再利用されていた。

風情があって文様が美しい。オランダ坂の石畳にも負けない美しさである。

遊歩道などに再利用してはどうだろうか。

利用できれば廃棄物の減量となり一石二鳥だが・・・。



武家屋敷 
2006・4・22



200年前の武家屋敷を見学する機会があった。

利便性を犠牲にして保存しながら居住されている家である。

保存と暮らしの共存がいかに難しいかを垣間見た歴史探訪であった。

それにしても渋い光沢を放つ戸棚が美しかった。


同感・同感 2006・4・18

私は朝日新聞を購読しています。

最近の「朝日川柳」から「そうだ、そうだよねぇ」と相槌を打った句を紹介します。

朝刊のチラシまで読む定年後』(横浜市・佐藤さん)

    初めはそうでしたねぇ、今では暇を上手に使えるようになりました。

あの人も同じ持病か朝歩き(東京都・石塚さん)

    このごろは、オゥークをする人が多くなりました。私も同じ思いですれ違っています。

新人の手ほどきをするアルバイト』(西宮市・大垣内さん)

    雇用体系が変わってしまいました。先々日本の企業は大丈夫でしょうか。




不動明王  2006・4・6



大日如来の使者である不動明王

坐像が多いと聞く

しかし、これは人間の三倍もありそうな立像

炎の燃えさかる光背をバックに

顔は眉間にしわを寄せ、激しく怒った表情

この世の乱れを怒っているようである



もう一つの花見 2006・4・2



「酒なくて、なんで己のサクラかな」もう遠い昔の語りぐさ

喧騒を逃れ、畑のあぜにたたずみ、遠くから眺める

樹齢100年を超すというヒメシダレサクラ

過ぎし歳月をサクラに重ね回顧する

ゆっくりとあぜ道伝いに寺へ歩き出す

参詣者の投げ入れる賽銭の音

しめやかに流れる御詠歌

静謐な、こんな花見もあってよい

                   (佐賀県神埼町・宝珠寺にて)

「暮らしの音色(音声ブログ)」4月2日付の録音もお聴きください。



そうめん海苔 2006・4・1



「何を採っていますか」
引き潮の勝浦浜(福岡県津屋崎海岸)で海草を採っている人に近寄って尋ねた。

「そうめん海苔ですよ」
「そうめん海苔?初めて聞きます」

網籠の中の獲物はまだ少ない。これから沖の方へ出て採り始めるところであった。


「どんなにして食べるんですか」
料理の事となると、夫婦連れだったが奥さんの方が立ち上がり

「今こんな色をしていますが熱湯にさーっと通すと鮮やかな緑色に変わります。
それを酢の物にして食べます」

籠の中の海苔は薄い褐色である。長さは5センチそこそこで、そうめんの太さであった。


「ほほぅ、シャキシャキした歯応えのある酢の物ですね?」

「いやいや、オキュウト食べたことあるでしょ。あれと同じで柔らかくてツルツルですよ。
お湯に長く通しすぎるとモズクのようにドロドロになって形がなくなってしまいますけんね」


春さきからは、この付近のホテル・料理屋さんでは「そうめん海苔」の酢の物を出してくれ
るそうである。

期間限定の郷土料理のようだ。一度味わってみたい。


それにしても「そうめん海苔」の正式な海草の名は何だろうか。



安心住宅
  2006・3・23



一級建築士?

建築確認申請?

耐震強度偽装?

手抜き工事?

世の中騒がしいね

私にゃそんなもの関係ないよ

日曜大工で旦那が精魂こめて造ってくれたこの住まい




生 き る
 2006・3・19



がんじがらめに拘束されても生き続けなければならないこの世の中

このしがらみから開放されたいであろう女竹さん

その気持ち痛いほど伝わってくるよ。

私がそうであったから・・・。

生きるって大変だよね。



お坊さんのお墓   2006・3・13



お坊さんは坊主頭といって、剃髪し丸いツルツル頭が一般的、

あの世に逝っても丸坊主頭にこだわるのか、丸型の墓石、

これを卵塔というとか、

(歴代住職のお墓  
多良見町にて)



三拍子揃った
  2006・3・5



3月4日、五木村の仰鳥帽子山へ『福寿草観賞登山』に出掛けた。

登山は2ヶ月前から計画したもので大雨・台風でない限り実行する。

バス予約の関係でそうなってしまうがしかたない。

福寿草は開花、快晴、雪化粧、三拍子揃ったときが最高である。

5、6回挑戦して今回初めて三拍子揃ったという人が多い中で、

私はこの山初挑戦で幸運を掴んだ。

そういえば今年は年男だ。

当り年、幸運よ、いつまでも続いてくれ。




ネコヤナギ
    2006・2・22



梅、緋寒サクラの開花のたよりがちらほらと

ネコヤナギは、とっくに咲いていたのに誰も話題にしてくれない

それでも毎年ひそかに咲いてくれる

いま格差社会になりつつあるとか

格差を云々するのは人間だけ

人間社会とは無関係に生きるネコヤナギ




止まらない止まらないどうしょう
2006・2・17

大きい方の排泄を終えウォッシュレット洗浄で気分爽快。

「停止」のボタンを押した。どうなっているの?噴射が止まらない。

お尻は洗浄されたまま、立ち上がるわけにはいかない。

座ったまま慌てる。あるだけのボタンを押し、やっと止まった。

ああよかった。

 しかし原因不明。

トイレを出て、サービスセンターへ電話する。

状況説明を聞いた後「お使いになってから何年になりますか?」と若い受付嬢。

「5年ぐらいです」「リモコンの電池切れかもしれません。お確かめください」

電子機器は永久に使えるものと信じきっていた。

 電池で動いていることなど忘れていた。

電池を換えて一件落着。

 爺の慌てぶりにあの若い受付嬢笑っていたかもね。



熟 木 2006・2・6



風雪に耐え

なお生きつづける

おれは老木ではない

熟木だ

若者よ頑張れ


           (英彦山山頂にて



早春の風景  2006・1・30



第14回いぶすき菜の花マーチに参加してきました。

積雪と闘っておられる北国の方々には申し訳ないような、

春そのものの気温と風景でした。

1月28日に行われた「開聞ステージ」は、開聞岳、池田湖

をめぐるコースで早春の空気を一杯に吸い込んできました。

早春のいぶきをお贈りします。




鳥 居 
  2006・1・25



都市集中過密化のシンボル。

これから日本の人口は減少傾向にあるとか。

ゆとりある生活はいつくるのだろうか。

神様にお願いしてみるか。

でもねぇ これじゃ

ちょっと厚かましすぎない?




若 さ 
 2006・1・21

朝のウォーキングを終え家にたどり着く七時半ごろ。

今日は土曜日で人通りは少ない時間帯だが高校の制服を着た学生とすれ違った。

それも列をなして次から次へと数珠繋ぎでやって来る。


大学正門ではガードマンが交通整理していた。

何事かとガードマンに尋ねると大学入試センター試験だという。

ああそうだった。

と昨夜の天気情報の時間にセンター試験を受ける学生に寒さ対策をアドバイス
していたのを思い出した。


友達と談笑しながら歩く学生、緊張した顔で黙々と歩く学生と様々である。

すれ違う学生の列に巻き込まれ立ち止った。

群れの中に巻き込まれるとむんむんと若さが伝わってくる。

若さっていいなぁ、

と長いこと味わっていない雰囲気に浸った。


未来の大きな夢に立ち向かう学生よ。頑張れ!



情報化社会とはいうけれど 
2006・1・14

町内会の会計を辞してから2年が過ぎ、銀行や郵便局に出入りする機会が少なくなった。
久しぶりに近くの特定郵便局へ振込みに行った。

振替用紙を窓口で請求すると「通帳と印鑑は持っていますか」と尋ねた。振り込むのにどうし
てそんなものがいるのかと思ったが「持っていない」と返事した。

私が怪訝な顔している様子を汲み取って「現金振替より通帳振替の手数料が安くなります」と
窓口の男性職員は説明してくれた。

振替金額によって手数料は異なるが、今回振り込む14000円の場合、現金では340円、通
帳だと140円の手数料になるという。

6割も差があるが、わざわざ通帳を取りに引き返すのも面倒で340円の手数料を払った。

世の中は知らぬ間に変わりつつある。事前に知っておれば通帳と印鑑を持って出掛けたものを
と悔しい思いである。

大量のチラシ、ダイレクトメール、迷惑Eメールなどなど不要な情報は送りつけられるが役立つ情
報はなかなか流れてこない。情けない情報化社会になったものだ。

ついでに振替手数料の内訳を尋ねた。

通帳と印鑑持参の場合 手数料は140円 。カードでATM使用の場合 手数料は130
円(いずれも金額の多少に関係なく一律)

現金振替の場合
 1円〜1万円まで210円 1万〜10万まで340円 10万〜100万まで600円

この料金に改定になってから1年半は過ぎているとのこと。

変化についていけない情けなさよ。



水の語らい
 2006・1・7



冬の陽はやわらかく水面を照らす。

透明に澄み切った水は銀色に反射し井堰を一段一段と降りて行く。

耳を澄ませば、かすかな語らいが聞こえる。

「急ぐことはないよ、ゆっくり行こうぜ」

「そうだな、のんびり降ろう」

「辿りつく海はきれいだろうか?」

「そうだよな、それが問題だ」

「人間を信じるしかないね」



初夢・木魚  2006・1・4

みなさん、今年の初夢はいかがでしたか。
朝起きた時には忘れて記憶にないことが多いですね。

私の初夢は目出度い夢とは程遠いものでした。

彼岸の法要に孫と一緒にお寺参りに行きました。
「どうして、お魚いじめるの?かわいそう」

お坊さんは読経しながら木魚をたたいています。
常日ごろ、生き物をいじめたり殺してはいけない、と仏様の教えとして
孫に聞かせていました。

木魚には魚のうろこが彫刻してあり、確かにお魚に違いありません。
仏様の前でお坊さんが木魚をたたいているのをいじめているように受け取
ったのでしょう。

大人は儀式作法として疑うこともなく見過ごすのですが幼い子供には理解で
きないようです。

子供の視点に還ると大人でも疑問があれこれ湧てきますね。
仏事で魚料理は使わないし、仏教と魚は縁遠い関係にあります。魚や肉を食
べるお坊さんは生臭坊主と揶揄される仏教の世界です。どうして仏と魚なのか?
ますますもって不思議ですね。

孫に理由(わけ)をどう説明しようかと苦しんでいるとき目が覚め助かりました。


インターネットで木魚の由来を調べたところ、「魚は昼夜ともにつねに目醒めてい
るので、それをたたくことによって人々を怠惰や惰眠から目醒ます」という一説も
あるそうです。




  のぞみ 2006・1・1



耕運機の音と農夫の交わす足の動きが浮かんでくる軌跡。

人は明日への望みを託し、耕す。

今年も新しい芽を出し、実ってくれるであろう。

限りなく、地球と人間の平和な営みが続いて欲しい
と願いつつ