どうでもよいことって、日常の暮らしのなかには沢山あリますよね。でも、なかには気になって仕方ないものもあります。また二、三日もすれば忘れてしまうものもあります。
 生活の足しにはならないが、「あんな、こんな」を気になったり遭遇したときメモっておくのも、案外面白いかな?(その都度掲載)

トップへ

タイトル・ あんな、こんな、
まだ下げるの?
H14・ 3・30
普通預金の利子は『無いのと等しい』と思っていたら、新聞に金利引下げを検討しているという記事が出ていた。まだ下げる数値があったのか? 0.02%を0.01以下にするらしい。そのうちに0.00になり、いつか逆に預かり料を取られる時代がくるかも知れないね。今回の金利引下げの理由は、4月からのペイオフで破たん時の貯金払い戻しに備えて銀行が貯金保険機構に支払う貯金保険料が4月から引き上げられるため、普通預金の金利を下げることで預金保険料の穴埋めをするらしい。預金者のフンドシで相撲を取る銀行はなかなかの『したたか者』だよね。
円形脱毛症
H14・ 3・19

理髪店で頭の後ろがハゲていると教えてもらった。まさかと疑ったが鏡で見るとなるほどハゲている。理髪店の主人は円形脱毛症だと言ったが円形ではない。形が丸くないのでほかの病気ではないかと心配になった。さっそく、医院で診てもらおうと思ったが皮膚科は何処の医院が上手なのかまったくわからない。
 結局、電話帳で調べ近いところで駐車場があるところを選んだ。こんな選び方でよいとは思わないがこうするよりしかたなかった。情報過多の時代といわれているがまだまだ知りたい情報をすぐ入手するまでにインターネットの世界もなっていないようだ。
 医院ではなく利用者(患者)が集めたデータを基に専門科目別の腕利き医者を紹介したサイトが生まれると助かるんだがなぁ。
 診察の結果は理髪店の主人が言ったとおり円形脱毛症だった。医者から何か心配事はないかと問われたが、まったく心当たりがない。

たそがれ
H14・ 3・ 1
勤め先は違っていたが同じ電車で一緒に通勤していた人に、街でばったり出会った。5年ぶりである。当時からスーツをピシッと着こなしお洒落な人だったが今も変わっていなかった。立ち話をしながら顔を眺めていたら、あごの下あたりに剃り残しの髭が目立った。何となくスーツと剃り残しの髭が不釣合いに感じた。その人はもう70歳は越しているはずである。別れた後、いずれ私もこんなときがやってくるのだろうかと寂しい思いをしながら歩いた。
温水器はあるけれど
H14・ 2・18

洗面所で手を洗うとき水道の水は冷たい。つい温水の栓をひねりたくなるがソラーの温水は配管が長くて温かいお湯が出るまでに時間がかかる。その間の水の無駄流しが気になってしようがない。冷たいのを我慢して冷水で済ましている。早く春が来ないかなぁ。

眼鏡に目薬
H14・ 2・ 2

目が疲れ、涙が出るようになった。原因ははっきりしている。ここ二、三日、魂つめてキーボードを叩いたからである。
 目薬には、もう長いことお世話になっていなかった。いつものとおり顔を天井に向け、一滴落とした。あの冷やっとした感触がない。それどころか目の前が急に曇ってしまた。
一瞬、どうしたのか分からなかった。しばらくして眼鏡をかけたままであることに気付いた。
 笑うにも笑えない珍事である。そばに誰も居なくて良かった。
このごろは、物を掴む時よく落すようになった。また尿意を生じてからトイレに行くまで我慢できなくてチビルときもある。今までになかったことがチョイチョイ起こると沈んでしまう。本人にとっては、笑い事では済まされない深刻な問題である。人生120年なんてほど遠い話だ。

120歳
H14・1 1・25

山の雑誌を読んでいたらこんなことが書いてあった。『20歳のときの体力を100とすると、1歳加齢するごとに1%減少するそうだ。』これはNHK趣味百科「中高年のための登山学」でおなじみの岩崎元郎さんの話しである。
「とすると、わたしはいまどのくらいかな?」と計算してみたくなるのが人情。それぞれに計算してみてください。
しかし、この論法で計算すると120歳でゼロになる。適度の運動と節制に努めれば120まで生きられるということだろう。
これでいくと、私はまだ50年は生きられる計算になるのだが・・・・。はたして如何に?これじゃぁー、年金が破綻して国も潰れるかもね。

愚行
H14・ 1・20

アフガンの避難民が自国に戻り始めた。畑を耕し農業をしたいという難民は、戦いは終わっても畑に埋まった地雷が怖いと語っていた。武器を売りつけ金儲けする国あれば地雷に怯え生活する国あり。戦争が終われば武器を売りつけた国が撤去の手助けをすればよいものを見向きもしない。 わが国でも、酒類、飲料水を多量に生産する企業は、空容器の回収は地方自冶体、ボランテアまかせで見向きもしない。
この二つはどこか似ている。金儲けに目がくらむ国・企業、自分さえ儲かれば相手はどうでも良いのか。人間は勝手で愚かな動物である。

成人式(1)
H14・ 1・15

ここ二、三年、荒れる成人式が問題になっている。若者の自覚の問題もあろうが、その一端は社会構造の変化にあるように思う。
 現在は高学歴時代になり、二十歳になったとはいえ、ほとんどの若者が親がかりで自立してない学生が多数である。
 私が成年式を迎えたころ(45年前)は、高校進学率がわずか10%、大学となれば高卒の20から30%程度に過ぎなかった。ということは二十歳を迎えたときには95%が社会人として働いていたことになる。
社会人として先輩から躾られ、また見習って大人の世界に溶け込んでいた。

 現在の若者は精神的には未熟でも、『二十歳になったから』というだけで世間が大人と認めるから、大人になった証に何かをやらなければと、誤った感覚で、まず未成年が禁止されていた『タバコ、酒』で大ぴらに大人の気分を味わってみたいのではないだろうか。

成人式(2)
H14・ 1・15

1955年(昭和30年)に出身地ではなく、勤務地の市で成年式を迎えた。そのとき社会人三年目になっていた。 
 会場は冷暖房もない体育館で、冷たい床に椅子があるだけ。市長の祝辞をはじめ、入れ替わり立ち代り来賓の挨拶。記念講演は九州大学法学部・井上正治教授の『天皇ほほ笑む』という演題であった。いずれも内容は忘れて何も覚えていない。
 しかし、いまでも一つだけ忘れないでいることがある。
 来賓の一人が挨拶のなかで「壇上から見ると、コートを着たままの人がいる。寒くても脱ぐのが礼儀である。大人になったら誰も注意してくれない。これからは物事を自分でわきまえ判断しなさい」と喝を入れられた。

思い込み
H14・ 1・11
年賀状のやり取りで友人が入院していることを知った。
友人宅に電話し、病状と入院先を尋ねた。その日のうちに電車で見舞いに出かけた。病院の受付で病室を尋ねると、確かに入院しているがいま外出中で夕方にならないと戻らないという。胃を全部摘出した病人はベットに臥せているものと思い込んで、まさか不在のことなど考えなかった。
入院している病院が個人病院で、術後の経過を大学病院まで診てもらいに出かけ、遊びで外出しているわけではなかった。
その日は面会出来ずに引き返した。私の[入院=ベッドに臥せている]の思い込み算式は狂った。かといって事前にアポをとって見舞いに行くのも、ちょっと大袈裟になるしね・・・・。
新年の挨拶
H14・ 1・ 6

元旦の午後からいつものウォーキングコースを歩いた。
きょうは正月だ、山の中で人とすれ違ったら「おめでとうございます」と挨拶すべきか、と登りながら考えた。270段の階段を登っているとき、同じ年配の男性と出合った。さきに「こんにちは」と声をかけられた。
しばらくしてまた中年の男性がやって来た。今度は私が早く「こんにちは」と声をかけてしまった。どうしても「おめでとうございます」と言えなかった。出会った二人はいずれも顔馴染ではない。
「おめでとうございます」とは、ある程度面識がないと言えないものだと思った。

新鮮でコクのある小店に
H14・ 1・ 1

郊外の大型店と路地裏の小さなお店を想像してください。私は商売人ではありませんがHPを立ち上げてみて、小さなお店の悲哀が分かるような気がします。
大型店(人気HP)の賑わいを横目で見ながら、わが店(HP)に来てくれるお客様の少なさに寂しい思いに駈られるときもあります。
しかし、せっかく店開きしたHPはお客様が一人でも来店くださる間は閉店するわけにはいきません。
見栄えは悪くても新鮮でコクのある商品を揃えるよう努め、お客様のご来店をお待ちしています。

年賀はがき
H13・12・23

年賀はがきが発売されると早めに購入し、今年こそは早く書き終えてゆっくりした年末にしようと思ったのだが・・・・。
書き終わって投函したのは22日、何時もの年と大差はなかった。12月も半ば過ぎると気持ちは焦るが、なかなか書く決断がつかなかった。
忘年会だ、クリスマスだ、と周りが騒々しくならないと年賀状を書く気分にならないから不思議である。
投函してホッとしたのと同時に、官製年賀はがきの発売枚数は全国で42億枚とか聞いている。はたして元旦配達に間に合うのだろうか、とチョット気になる

火の用心
H13・12・16

町内で消火器取り扱い講習があった。初めて参会した。消火器なんて簡単に操作できると思い込んで、消火器を備えているだけで安心していた。 話しを聞いてほとんど操作の知識を持ってなかったことを痛感した。
消火器の噴射時間は容量の大小に関係なく15秒。消火は火元から3m離れた所から行なう。手前のほうから順に先に向って消していく。
 以上の説明の後、各自で実際に使ってみた。訓練だから平静であるがそれでもほとんどの人がうまくできなかった。二回目はみんなよくできた。しかし、本番になると慌ててこんなにうまくできるもんじゃない、二回目の要領を思い出して冷静に対処するようにとのアドバイス。

きょう参加した人たちは普段から火事に関心を持っておられる証拠、その家からは出火はしないでしょう。無関心で参加されなかった方たちのほうが危険度が高いのです。きょうの講習の成果を我が家のためではなく、隣近所のために役立たせてください。で講習は幕。
 消火器を備えているだけでは安心できない。講習会で実際に使う体験をしておくのが大事だと感じた。冬に向って「火の用心、火の用心」。

炭鉱閉山
H13・11・28

私が住んでいる長崎県では、今月29日日本では二つしか残っていなかった炭鉱のひとつである「池島炭鉱」が閉山する。
この閉山のニュース、地元以外ではどの程度報道されているのだろうか?
池島はいわゆる島で、炭鉱マン達の暮らしは炭鉱会社にすべてを頼っていた。
住宅、電気、水道、病院など生活関連一切が炭鉱資産だというから、閉山でこれらの運営がどうなるのか心配である。(県・町があとは維持するという話も出ているが・・・)
この島で生活している人たちは、日本中を吹きまくっているリストラ騒ぎの比ではない。一瞬にして生活基盤のすべてを無くしてしまうのだ。
政治屋さん、党や派閥の駆け引きばかりしなくて、底辺の生活を真剣に考えてくれ!

ナポレオン石
H13・11・23

 今年7月、三股蓮華岳(北アルプス)に登った際、山小屋で働いているKさんが珍しい石があるからと案内してくれた。そのとき「球状緑星岩」とメモした。帰ってから百科事典やインターネットで調べたがどうしてもわからなかった。
「長崎県の自然(岩石・化石・鉱物)」という個人サイトのHPを探し出し、そこに尋ねた。「調べてみるから少し時間が欲しい」とYさんは快く引き受けてくれた。三ヵ月後,「球状緑閃岩」であるというメールが届いた。いま思うと「キュウジョウリョクセイガン」と「キュウジョウリョクセンガン」の聞き違いのようである。
 Yさんには私のメモ違いで大変迷惑をかけてしまった。見ず知らずの者の質問に時間をかけて調べてもらったことに感謝している。
 世知辛い世の中だがまだまだ親切な人はいっぱいいると嬉しくなった。ちなみにこの石は別名「ナポレオン石」とも言うと教えてもらった。
 これは『どうでも良いけど、ちょっと気になることをひと言』ではなく、嬉しいひと言である。

燻製たまご
H13・11・9

ちゃんぽん屋のテーブルに、箸立て、調味料のビンと並んで「燻製たまご」が置いてある。『一個100円、PM10時以降は10%増し』の立て札がある。
「いわゆる深夜料金というやつだな」直感的にそう思う。しかし、待てよ!テーブルの上に置いたままで、店員の手を煩わすことなく、お客が剥いて食べるのにどうして+10%なのかと、ちょっと反発してみたくなる。
深夜の時間は高く、朝になると元の値段に戻る方式の商品って、ほかにもあるかなぁ・・・。
弁当、刺身など夕方6時になると半額になり、深夜にはゴミと化けるのに・・・。

周知不徹底の手数料値上げ
H13・10・29

この不況で、銀行、サービス業でも値下げ競争の時代かと思っていた。ところが私が住んでいる地場第一位の銀行が10月から振り込み手数料を2倍に値上げしていた。
振込み手数料受取人払いになっているお金を引き出した。いつもと違って振り込まれた金額が少ない。
相手に問い合わせた。そこで初めて手数料が2倍になったことを知った。振り込んでくれた相手を疑ったようでいやな思いをした。
銀行に質してみると「手数料改定のお知らせは店内に張っています。主な取引のお客様には連絡しました」との回答。個人・一般庶民には?と尋ねると何もしていないという。
この不況の時代に2倍もの値上げをし、個人・一般庶民は無視したこの銀行のやり方に横暴さを感じる

あくび
H13・10・21

スーパーの食品売り場に、一人でキャンプ用の食采を買いに出かけた。売り場を歩いていると、目の前に微笑ましい光景がはいってきた。熟年の奥さんは商品を手にとり、袋に書いた説明書きを目を細めて懸命に読んでいる。その後には買い物カートを止めて旦那が待っている。カートの中にはかなりの品物が入っていた。仲のよい夫婦だなぁと感心して眺めていた。突然、旦那が大きなあくびをした。もちろん奥さんは知らない。見たのは私だけ。そのあくびを見てしまって申し訳ないと思う気持ちと「旦那が我慢し、耐えないと『おしどり夫婦』は成り立たないのかなぁ」と思う気持ちが複雑に絡みあった。

世界最高記録
H13・10・10
去年まで、10月10日は体育の日だった。今年から年によって日にちが変わるようになった。慣れるまでは変な感じだ。ところで、高橋尚子さんが女子マラソンで世界最高記録を樹立したと喜んでいたら一週間あとにシカゴマラソンでヌデレバ(ケニヤ)さんに抜かれてしまった。嬉しいやら寂しいやら。終戦後の貧しい暮らしのなかで明るいニュースは古橋広之進さんが1500m競泳で世界新記録を泳ぐごとに塗り替えていったことだった。この言葉、時代の流れで「世界新記録」が「世界最高記録」と言うようになったのか、競技種目によって使い分けしているのか私にはわからない。
繰上げ当選
H13・9・26

世論の声に抗しきれず、とうとうK参議院議員が選挙違反事件で引責辞職した。ここまではいいとしてもあとがすっきりしない。公職選挙法の規定により、参議院選挙区で同じ党派の次点者が繰上げ当選になるという。選ぶ立場から見れば辞職議員が集めた票数は破棄し、配分率を再計算したうえですべての政党の次点者を対象に決めるか、または違反した党派以外の次点者から繰り上げるような制度にできないものか、と思うのだが・・・・・。(これはどうでもいいことではありません)

敬老の日
2001・9・16

昨日15日は敬老の日。町内の敬老会は例年公民館で行われている。今年も婦人部の手作り料理で70歳以上の人が招待された。
私は初めて招待する立場として出席した。
招待した110名のうち出席者は45名で半分以下である。これでも去年よりは出席率は良かったという。
出席された方々は歌や踊りに興じられ楽しいひとときであった。会の終了あと出席できなかった方々の家に少しばかりのお菓子を配って廻った。
病気で入院中、身体が不自由で歩けない、寝たきり、と出席できなかった人たちの実情を知った。マスメディアはこの時期になると元気なお年よりの話題を取り上げる。また町内の催しも達者な人を主体に行われがちである。
それはそれで結構だが、家に引きこもっている人たちにも焦点を当てた報道、催しを考えてもいいのではないかと感じた。(これはどうでもいいことではない)

芋  虫
2001・9・10

照り返しの強いアスファルトの道を芋虫が横断している。芋虫もこんなに動作が速いのかと思うほど懸命に身体を伸縮させ急いでいる。葉っぱで黙っている姿からは想像できない一面を見た。天敵と車の危険から逃れる本能を備えているのであろうか。それにしても危険をおかしてまでなぜ向こう側に渡るのか、見ている私には理解できない。出発点は安全な芋畑だが渡り着いたところは人家の壁である。この芋虫さんの用事はいったい何なのか?・・・どうでもいいけど気になりますね。

百  舌
2001・9・4

朝早くから鳴くヒヨドリは今朝も騒々しい。太陽があがって陽が差し込んでくるころカン高い鳥の鳴き声がした。はじめはヒヨドリかな、と思ったが二度目の声を聞いてやはり聞き違いではなかった。もう久しく聞いていなかった百舌の鳴き声である。
朝晩は秋の気配を感じるが日中はまだまだ暑くて夏そのものである。去年の初聞きはこんなに早くはなかったような気がする。百舌が早々に山から下りて来るとなれば、今年の冬は例年より早くやってくるかも知れない。近年の気象は酷暑と酷寒が地球上で起こっている。酷寒の知らせでなければよいが・・・・。

店  員
2001・8・31

スイッチを入れるとガタガタ音がするようになった。もう20年近く使っている扇風機で寿命がきたようだ。

できるだけ冷房は避け窓を開けて扇風機を回しているが夜寝るときは音が気になって寝つきが悪い。今の時期買えば在庫処分で安く手に入るからと大型電気店に出かけた。

一週間前までは、まだたくさん並んでいたが店内を一周しても見当たらない。店員に扇風機の置き場を尋ねたら「売り切れてありません」と言う。「この店は景気がいいんだね」と言って別の店に行くつもりで帰りかけた。

その時、別の店員と出会った。そのことを話すと「まだ在庫がありますよ」と言って倉庫から持ってきてくれた。「ありがとう」のひと
言も言いたいところだが素直に出なかった。

挨  拶
2001・8・25

日が照夏日りつける昼下がり、二人並んでやっと通れるぐらいの狭い歩道を歩いていた。

後のほうで自転車のブレーキをかける「ギーギーギッ」と音がした。ブレーキをかける音は私のすぐ後ろまで近づいた。

後ろを振り向いて道を開けてやった。中年のおばさんは無言のまま器用にハンドルを動かし、さっさと抜けて行った。

おれだって暑いから早く目的地に着きたいが一時停まって譲ってやった。暑苦しいブレーキの挨拶だけではなく「すみません」か「ありがとう」のひと言があれば少しは暑さも和らいだろうに。

原子爆弾
2001・8・9

今日は長崎に原爆が落とされて56年目になる。あの日、私は直線距離で40km離れた佐賀県嬉野町に住んでいた。

国民学校5年生(現在の小5年)。夏休みなのにどうしてか学校にいた。11時2分、閃光が光った。しばらくして南の方角に黄色味をおびたきのこ雲が見る見るうちに大きく膨れあがった。

翌日あれは新型爆弾だという噂が流れた。2,3日して近くにある海軍病院に焼け爛れた負傷者が大勢運ばれているという、これまた噂話が流れた。

この時期、ほとんど公式発表はなく噂話だけが情報源だった。あの日は灼熱の太陽が照りつけた暑い日、今日は雷鳴が聞こえる雨である。これは「どうでもいいけど・・・・」という問題ではない。ノーモア核兵器。合掌

貧相なヒゲ
2001・7・30
6日間の北アルプス山行は無事に終わった。6日間晴天に恵まれ何よりだった。ところでヒゲ面がどうなったのか報告しましょう。

自分で想像していた顔より一段と貧相なもので恥ずかしくなった。頭髪は白黒の割合が黒6白4といったところだがヒゲは3対7で白が多い。

意外だった。髭剃りを1日パスすると急に伸びた感じがするがその後は伸び率は落ちるのか5日間で5ミリ程度だった。帰りの新幹線の席では同行した女性と並んで座るのは遠慮した。

「隣の貧相な男は私の亭主ではありません」と宣言したくてもできないだろうから通路を隔てた隣の席にした。意外なところで気をつかった。
ヒゲ面
2001・7・22
いよいよ明日、北アルプスへ出発。ザックに詰める装備を再チェック。数にして40余り、一日9時間の長丁場を歩くことになる。

そのためには10グラム、いや1グラムでも荷物を軽くしたい。とはいっても、もしものこと(遭難)を考えると命に関わるものは省くことは出来ない。

その点、汚れても、ヒゲが延びても命には影響しない。着替えは一回分だけ、髭剃り器は省いた。一週間も、ヒゲも剃らず、風呂にも入らなかった経験はない。一週間後の自分のヒゲ面に興味津々。
弱肉強食
2001・7・10

6時、冷んやりとした静かな庭を眺めていた。突然、クマゼミの悲鳴が静けさを破った。モチノキを見上げるとヒヨドリに咥えられたセミが羽ばたきもがいている。
たとえ悲鳴であっても今年クマゼミの鳴き(泣き)声を聞いたのは初めてである。たぶん昨夜羽化したばかりではなかったろうか。7年あるいはそれ以上土の中で過ごし、やっとこの世に出たばかりなのに・・・・。弱肉強食、食物連鎖の厳しい現実を再認識した朝だった。

雨  靴
2001・7・6
梅雨とは名ばかりのこのごろ、ここ二、三日は猛暑続きでへたばってしまった。6日は久し振りの雨でホッとしている。大雨洪水注意報が出ていて雨脚も激しいようである。
こんな時に限って外に出る用事があるものだ。雨脚が強いときには雨靴がよい。昔から愛用した膝の下あたりまである黒くて長い雨靴。ズボンの裾を気にしなくて歩ける。いつでも使えるように物置に置いているが取り出して履くのに躊躇する。街を歩いていてもあの便利な雨靴を履いた人を見かけないからである。この年代になっても実用かお洒落かちょっと気にする心って大切かもね・・・・。
草取り
2001・7・2
梅雨時期は雑草の成長が早い。昨日(7月1日)梅雨の中休みを見計らって庭の草取りをした。

去年まではかがみ込んで作業していたので30分も経たないうちに腰が痛くなっていた。今年は焦げ付いて捨てられる運命の鍋を見て、「これは使える!」と草取り用の円座(尻に敷く敷物)に再利用することにした。

鍋をひっくり返してその上に座ると案外座り心地がいい。それに軽くて移動が楽だ。やはり一日中やっていると腰は痛くなるが、今までの半分ぐらいに収まっているように感じる。みなさんもやってみては?
二度咲きの花
2001・6・25

裏庭の藤棚が茂りすぎてうっとうしくなった。雨樋のなか、戸袋の中に遠慮なく進入してくるので思い切って刈り込んだ。

剪定してから二週間が過ぎた今、深い刈り込みに反発するかのように勢いよく新芽が吹き出している。新芽と一緒に所々に花(白藤)が咲いている。剪定作業のきつさから、延びた蔓を憎らしく思った心は何処へやら、二度咲きのきれいな花に心が和む。私は勝手な人間だ。

歳相応
2001・6・19
映画館にはもう何年もご無沙汰していたが、降旗康男監督・高倉健主演の「ホタル」を観に行った。
60歳以上の入場者は特別料金で割引になると聞いたので、年齢を証明する物が要るだろうと思って、自動車の運転免許証を持って行った。入場券を買うとき「60歳以上です」と言ってお金を出した。

「ありがとうございます」のひと言で簡単に入場券を貰った。家を出るとき、60歳より若く見られて免許証が役立つことを期待していたのに・・・・・。ジーンズを穿いて若いつもりでいたが「やっぱり歳相応か」と納得するやら、不満が残るやら。
町内清掃
2001・6・16

毎年、春秋二回、町内で水路の清掃、道路や土手の草刈をやっている。今年は10日にやった。参加しないと私の班では300円の出不足金を徴収される。他所の班では1000円の所もあるとか。

昔から住んでいる人と新興住宅に住む若い人の間には考えのずれがあるようだ。「それぞれの管理者がやるべきだ」「自分たちの住むところは自分たちで綺麗にするのがあたりまえ」、後者の考え方は高齢化で押され気味。

最近では出不足金を払う者が多くなり、高齢者が少人数でやっている。あと5,6年もすればどうなることか。

惰  性
2001・6・5
メールマガジンを見ていたら『袖すり合うも多少の縁』というのがあった。なんだか違うな?そう思った。しかし、「多少」→「他生」の字がとっさに浮かんでこない。とうとう諺辞典で確かめてみる。

今度は「他生」この字の意味が分かっているようで分からない。次ぎは大辞林をめくって意味を確かめた。分かっているつもりで使っていた言葉だが「そうだったのか」と再認識させられた。惰性と馴れ合いは怖い。
青  年
2001・6・2
きょうは町内公民館の植木の剪定を有志でやった。4mばかりの喬木が5,6本と周囲は生垣やツツジなどの植栽。

12人で半日かかった。ほとんどが60歳以上の集まり。。高い木に登って鋏を使った人は、何と82歳の自称「青年」。若い者?は下からはらはらしながら眺めているだけ。「わしゃ、体が軽いから枝は折れないよ」との弁、身軽で鋏さばきのうまいこと。参った、参った。あやかりたい。
ATM
2001・5・26
今年の4月から月に最低3回は銀行に出かけなければならなくなった。町内会の会計係をおおせつかったからである。

我が家のお金の出し入れはこれまで家内任せでATMには無関心の暮らしだった。ひと月が経ち、ATMの操作にやっと慣れたが、万円札を二拾数枚引き出したときなど、その場で枚数を数えるべきか、機械を信用してそのまま袋に入れるのか、いまだに迷う。

後に列を作って待っている人たちがいるときは「あのおじさん、何やっているの?」と機械を信用しない私を笑っているようで・・・・・。確かめてみると間違いないが、いまだにそのまま袋に入れる勇気が湧いてこない。




左  遷
2001・5・20
昨夜(19日夜)あまりテレビドラマは見ないがたまたま覗いたら、父親に「九州に転勤になるから会社を辞める」と息子が話しているシーンだった。

息子は九州に転勤になることは「左遷」だと言っている。九州人にとってはこのセリフ面白くない。菅原道真が大宰府に流された時代なら「左遷」も通用しよう。今は東京から日帰りでビジネスができる時代だと言うのに。

九州は、太陽と緑に覆われ、環境は抜群ですぞ。NHKさん。
味噌汁の音
2001・5・17
今朝の朝日新聞『天声人語』に、「そばを音をたてて食べると若い世代から嫌われる。特に若い女性は嫌がる?とか・・・」載っていた。

新聞を読んだあと、いつものように朝食。自分がみそ汁をどうやって飲んでいるか意識しながら飲んでみた。。何と、ずるずるとすごく高い音を立て吸い込んでいる。今まで全然気付かなかった。

音をださないようにして飲んでみた。ぬるい味噌汁ならともかく、熱い味噌汁は上唇が熱くて飲めたものではない。熱々の味噌汁を音を立てて「すする」朝食気分は止められそうにない。
小遣い
2001・5・16
年金生活になって、月々の小遣いは現役のときより少なくなった。今月は使い過ぎで懐がが寂しい。小遣いの支給日まで散髪は我慢しよう。
お金持ち
2001・5・8
世の中にはお金持ちがいらっしゃるもんですね。国際宇宙ステーションで史上初の「宇宙観光」をして無事に帰還したチトーさん。

観光費用が日本円にして24億円とか。わずかな年金で暮らしている私にとっては、天文学的数字、いや天文学的金額です。奮発して、日帰りの温泉旅行でも計画しますか。
鯉のぼり
2001・5・5
今日は子供の日。私の初節句には幟あげてもらったかな?証拠写真もないし。
生まれた1934年、我が家には裸電球が一個点いていたただけの貧しい暮らしと聞いているから、大体想像はできるけど。でも元気で長生きできて親に感謝感謝。
赤いTシャツ
2001・5・5
ハイキングクラブの創立20周年記念に貰ったオリジナルの真っ赤なTシャツが箪笥の中に仕舞い込んだままだ。もう半年になる。早く着らないと顔は老けて行くばかりなのに着る勇気がない。