『閑人戯言』リニューアルのご挨拶 時の流れに身を任せ、今回から「閑人は、たわ言とデジカメで日暮らしする」 ことにしました。 言葉の不足は画像で、画像の不出来は言葉で補いながら続けたいと思っています。 お付き合いよろしくお願いします。(2005・9・8改訂) これまでの「気まま日記」は「閑人の戯言」として再出発いたします。 閑人はろくなことは考えません。気に障ることもあろうかと思いますが そのときは馬耳東風で聞き流してください。(2002・9・13改訂) |
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今年の漢字 2005・12・13
人それぞれの受け取り方があってよい。
今年の世相を現す漢字は『愛』に決まったそうである。
個人としては意外な感じがしないでもない。
「日本漢字能力検定協会」が全国から公募した8万5000の中で一番多かったのが
「愛」で「改」「郵」「株」の順だったと。
この時期になると自分なりに選んでみる。
自然に浮かんできたのが「暗」であった。
某新聞の「天声人語」は、南海の大津波、JR西日本の列車脱線事故、児童を狙った凶行、
耐震偽装などの例を挙げ、これらはすべて「崩」に集約されるとして「崩」に行き着いたとしている。
この新聞社の見方も明るい話題ではない。
この十年間、「震」「倒」「毒」「戦」「災」などの暗い字が多かったので来年への願いをこめた
「愛」ではなかろうか。
風が強くふき、耳が冷たく痛い。帽子を吹き飛ばされそうで深く被りなおした。
耳の冷たさと痛さを感じたのは今年冬以来のことである。
確かに朝晩は冷え肌寒くなった。しかし、冬の寒さからすればまだ暖かで比べものにならない。
長袖のシャツとトレパンに衣替えしたのは数日前、それまで朝の散歩はTシャツに短パンで心地
よいくらいであった。
今朝の風から駆け足で秋が深まっていく気配を感じた。
風は耳と摩擦し鈍い音を発しながら通り抜ける。両耳は風の音で遮断されいつもの朝の静けさはない。
風の音で栓をされた格好の耳のため、頭の思考回路は狂い、何者かに追われている心理状態へ堕ちこんだ。
物音ひとつしない静謐も怖いが単調な音の中に長くいるのも恐怖に襲われる。
人間は生活の多様な音の変化の中にあって、はじめて安堵し落ち着ける生き物かもしれないと思った。
一日のスタート 2005・10・9
早朝の散歩。
わが靴音のみ聞こえる。
他に人気なしと思えど、後ろを振り返り確かめる。
あとに続く者なし。
思い切りガスを一発ぶっ放す。
気分すっきり快腸、快調。
再び歩き出す。
けさ家内が国勢調査票は書いたかと聞く。
4、5日前、袋ごと受け取り中をちょっと覗いただけでそのままにしていた。
12ページもある「調査票の記入のしかた」の冊子を見ただけでいやになったからだ。
時間的に余裕があると面倒なことは先送りしてしまうこのごろ。歳のせいかなぁ。
もう先延ばしできない。記入例を見比べながら書いた。
収入を伴う仕事をしていない者には、12ページのうち半分も読まなくて調査票の出来上がり。
12ページの冊子が面倒だという先入観を植え付け尻込みさせたようである。
しかし、床面積を計算するのにてこずった。
5年後の国勢調査はこれ以上に負担を感じるかもしれない。
ゴウヤ(にがうり) 2005・9・30
夏ばて防止の食べ物として人気だったゴウヤ。
今年一年ありがとう。盛りを過ぎ、いま終焉を迎えようとしている。
朽ち果て土に戻る瞬間まで この強烈な色彩、力強い反り。
さすがは滋養強壮のゴウヤだ。
最後までエネルギーに満ちた姿である。
どんぐり 2005・9・28
どんぐりを見るとクリ虫を思い出す。
35年前、大分県竹田市近くに住んでいた。
ここはシイタケの生産地で種菌を植え付けるクヌギの林が多かった。秋になるとどんぐり拾いに行った。
バケツ一杯拾うのにたいした時間はかからなたった。
持ち帰ったどんぐりは、バケツに土を半分いれ、その上にどんぐりを山盛りに盛った。
ひと冬越し水が温むころ、どんぐりを取り除き、土を少しほじくってみると白いクリ虫が潜り込んでいた。
これでハエ釣りの餌は確保できた。どんぐりに虫は大体2匹は入っている。
どんぐり100個として虫は200匹は潜っているはずだ。
当時釣具店でクリ虫は一匹5円であった。バケツ一杯で1000円になる。
釣具屋に売るわけではない。これといった娯楽のない田舎暮らしは川で魚釣りするしかなかった。
クリ虫作りを覚えたのはこのときである。
いまクリ虫はいくらするだろうか。なつかしい思い出のどんぐりである。
娑婆の様子を知りたくて 2005・9・19
この世に生まれたときから塀の中。
生きている間塀の外には出られない。
親の代から無期懲役。
わたしは哀れな『タデ』。
ご機嫌斜めのビーナス 2005・9・16
広告・看板の乱立には困ります。
この辺りは看板もなく私だけが目立っていたのに、
いまじゃご覧のとおり。わたしの存在が薄くなりました。
選りに選って『ぶつだん・仏具』の看板を隣に建てるとは気に食わないね。
わたしゃ右を見向くのはいやだよ。
見あげる地下道の階段 2005・9・13
階段を登り付いた先は残暑の街だ。
ここから出たくないなぁ〜。
立ち止まってため息をつく。
歩道橋は階段を先に登り降りる。地下道はその逆だ。
先に苦労しあとで楽する歩道橋の方がいいなぁ。
ここに、つっ立って考えていてもしようがない。
上るとするか。
そんなに急いでどこへ行く 2005・9・11
「おおおっ」万事休す。もうこれ以上避けるところはない。
普通車が2台やっと離合できるぐらいの狭い市道をわたしは歩いていた。
前の方から若者向きの派手な乗用車がやってくる。わたしは外側線の端っこによけて歩くのをやめた。
そのわたしに強い引力でも働いているのか車はわたしに吸い込まれるように接近してくる。
徐行してスピードを落とす気配もなく外側線をはみ出し、あわや接触かと思った瞬間車は抜け去った。
わたしの後方から来ていた車と離合するための運転であったらしい。わたしと車2台が横一線に並んで、
はじめてこの事情が飲み込めた。
それにしても一旦停車して相手の車を交わしてやる気持ちはなかったのだろうか。わたしからすれば一か
八かの無謀運転に過ぎない。彼はハンドルさばきに自信があったのだろう。
運転上手とは、横に同乗している者や歩行者に不安な気持ちを与えない運転だと教えて
もらったのに・・・。そんなに急いでどこへ行く。
身近な避暑地 2005・9・8
まだ残暑が厳しいこのごろ。
冷房の利いた図書館は身近な避暑地で大繁盛。
隣室の休憩所もいつも満員。
閉館間じかになると一人二人と去っていく。
また明日も賑わうだろう。