手記・あなたならどうする |
第2部 自分ではできない葬儀・法要・位牌お守り(3) |
お祝い事は一回ですむが不祝儀は永遠に続く、と昔の人が言っていたことを思い出す。ご先祖様を祀るという意味でもっともなことではあるが現代の風潮にこのしきたりがいつまで続くのか疑問である。 ※ 葬儀、法事の問題 田舎でも勤め人が多くなり、これまでの結いの仕組みを維持することが難しい時代になっているから、このさき自宅葬は少なくなっていくだろう。 本家は先祖をお守りするうえで檀家としてお寺との付き合いは切り離せない。 新しく所帯を持っても家族に不幸がない限り、お盆、正月に先祖のお墓参りに実家へ戻ればそれでよい。合理的に出来ている賃貸アパートなどでは狭いスペースに仏壇を置く場所を確保するのは大変で、特に信仰心が深ければ別だが仏壇は先延ばしになってしまいがちだ。 勤めの半分以上を転勤族で過ごし、2,3年ごとに転宅していた関係で最低限度の家財道具で暮らしていた。幸い、家族に不幸はなく、父も母も元気であったこともあり、分家であるわが家には仏壇の間取りはあってもいまだに仏様はなく祭壇は押し入れになっている状態である。 宗教は日常の生活から忘れられた存在であった。ところが何時の間にか高齢者の枠にはめ込まれた現在、いずれはあの世へ逝かなければならないときが近づいている。母の葬儀を取り仕切る弟の大変さを目の当たりにして、母をわが身に、弟を自分の子供に置き換えてみた。 今度の母の葬儀は同居していた弟が執り行なってくれたが、私の場合には遠くに住んでいる子供が付き合いのない親の実家に戻り段取りしなければならないことになる。パニック状態になった子供の慌てふためきようが浮かんでくる。 尊厳死の宣言書と同じように、生前に自分の意志を表明しておいたほうが子供たちの慌てふためきを幾分でも軽減できるのではないだろうか。 宗教については、どちらかというと無関心である。だから身内だけで密葬、火葬のあとは山に散骨してくれたらそれでよい。と、可能であればこう願いたいところだが・・・。 家族だけの密葬、生前葬など人知れず静かに去って行くやりかたもある。 しかし、本人の意向だからといって遺族がそれを実行できるかどうか現在の社会習慣からして難しい面もありそうだ。残された遺族は本人の兄弟、親戚には知らせなければならないし、また本人と親しかった方々や、遺族との付き合いのある方々が後日死を知ってお悔やみに来ていただくかもしれない。 本人はもうあの世に逝ってしがらみはないが、残された遺族は社会通念の応対はしなければならないから、そのことを思うと形だけでも最低の葬儀をやったほうが、いつまでも長引かず短期に終わりそうである。 夫婦どちらかが先に逝った場合には残った方が面倒をみるからどうにかなるだろう。だが長生きして身体が動かない状態だと、とても取り仕切れるものではない。やはり子供を頼るしかなさそうだ。 母の場合には、本家というしがらみで、これまでの風習に従い簡素化できなかった面がある。私の葬儀は、その点問題なく簡素化できる。 どうしたら簡素化出きるか、つい最近、自分が住んでいる街の葬儀事情を知りたくなって葬儀社に出かけた。 次回は、自分ではできない葬儀、法事、位牌守り(4) |