手記・あなたならどうする

第2部 自分ではできない葬儀・法要・位牌お守り(4)



「どうもお尋ねしにくいのですが・・・」と切り出すと「そんなことはありません。結構相談におみえになりますよ」と葬儀社の営業マンに言われてほっとした。私だけではなかったのか。それぞれに自分の行く末を模索している人たちがいることを知り、私の思い立ちは逆に遅いのではないかと感じた。

私の問を一応聞いたうえで「生前葬をされた夫婦もいらっしゃいます」という話から始まった。内情を詳しく尋ねると子供のいないご夫婦だったようで納得できたが、残された遺族がいる場合に果たして、「生前葬をやっていますので」と単純に割り切れるものかどうか難しいと思う。本人はそれで由としても、遺族には遺族の付き合いがある。その付き合いの関係で、弔問、お悔やみはしばらくの間続くものと思わなければならない。いつまでも応対に拘束されるのも勤め人の子供には耐えがたいことである。

とりあえず、家族だけで密葬をして、後日「故人を偲ぶ会」をするやり方もあります。宗教色のないすっきりしたものです。この話を聞いて無宗教の私にはこれでもよいかなぁと思ったが、別所帯を持って遠くに住んでいる子供には、密葬と偲ぶ会を2回行わなければならないのが気がかりになる。

葬儀から法要まで勤め人に与えられた特別休暇の期間中で、すべてを終わらせる方法はないかということである。

「喪主の方で、いまそういうご希望の方がおおくなりました。家の宗派もご存知ない方もあります」仏教だとは分かっていても何宗で何派なのかわからない人たちが多くなっているのは事実であろう。

「私どもは、こういう喪主にお応えするようにしています。」
 喪主のご要望を伺ったうえで、仏葬の時には、こちらがお寺さんを紹介し、葬儀の日時を決めさせていただきます。お布施はお寺さんからはいっさい金額の提示はございません。わが社のほうで相場を喪主にお知らせして判断をしてもらいます。また、葬儀のあと、その日のうちに三ヶ日参り、初七日から七七忌までお寺さんにお願いすれば、その法事のお布施は別になりますがやってくれます。

恐る恐る葬儀社のドアーを開け、足を運んだ甲斐があった。これまで悩んでいた心配事に明るい方向付けが見つかったようである。

ただ一つ、聞き忘れたものがある。戒名はどうしても貰わなければならないのか、戒名なしで葬儀は出来ないのかという問題である。

宗教にこだわらず、骨は山へ撒いてくれ、という程度の者に高い戒名料を払ってまで戒名をもらうこともあるまいと思っている。また子供は戒名があれば小さいながらも新しく仏壇を購入し、置く場所に困るだろう。

戒名はなかなか覚えられないし、日常生活には必要ないようだ。時に思い出してくれることがあっても俗名であろうし、俗名のほうが親近感もある。

家内や子供たちに、現在の葬儀事情を説明し、出来るだけ遠方に住む子供たちに迷惑をかけないよう相談しておかなければならないと思っている。

※ お墓の問題

納骨、お墓の問題が残っている。
 私の遺骨は、常々出来るなら山に散骨してもらえればと思っている。その方が墓も不要であり管理やお墓参りも省ける。しかし、現在の法律ではそれも叶いそうなない。

本家累代の納骨堂は、建立した当時わずかながら建立費用を出資し、そこに納まる権利はある。しかし、私はそこに納まるつもりは今のところない。子供たちにとっては不便な田舎にあるからである。

終の棲家を造ったとき、近くに墓地の売り出しもあり、何回となくチラシも見てきた。自分の入るお墓は自分で造ろう、と新興住宅団地の近郊にはいくつもの墓地が造成され売り出されている。しかし、新たに自分達のお墓を造ろうとは思わなかった。自分のお墓といえども、自分がその中に入ってしまえばお墓参り、管理は遠くに住む子供たちになる。わざわざ遠くから戻ってきて管理してくれるのは大変な負担をかける。そのことが頭から離れなかった。

お墓事情も時代の流れで少しずつ変化しているようだ。
 大阪に一心寺というお寺があり、そこは宗教に関係なく、納骨を受け入れて永代供養をしてくれるそうである。集まった遺骨は10年に一度、まとめて一体の仏像を造る、その材料になるという。もちろん永代供養料、管理料は納めなければならない。

7月初旬の新聞に、最近のお墓事情の記事が載っていた。
 四国・高松市の調査で、管理する人がいなくなった無縁墓が多くなった。原因は、都会に住む子供が管理しなくなったからだという。

その対策として市はこの春、合葬式の墓を整備した。使用料は1人10万円、遺骨は20年間は個別の納骨檀に納められ、その後はほかの骨と一緒に合葬室に移される。跡継ぎが途絶え、都会に住む息子に迷惑をかけたくないと思う高齢者が多くなり、6月から合葬室の募集を始めたところ応募者が殺到したそうである。

このような形態のお墓が至る所にできてもらいたい。ここならば安心して置いてもらえそうだ。(完)

不幸なことは避けて通りたいのが人情ですが、少なくとも一生に一度はやってくる運命にあります。そのとき、それぞれの家庭の事情は異なっていても似たような体験をしなければなりません。
 私の拙いこの手記がいくらかでも参考になればと思い、事細かく記述したつもりです。最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。

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