手記・あなたならどうする

第2部 自分ではできない葬儀・法要・位牌お守り(1)



 葬儀、法要、位牌のお守り、など遺族にとっては延々と多くの祭祀が続く。隣近所の助け合い(結いの思想)で成り立っていたこれまでの時代と違って、核家族、独居老人の多い世相になった今、これらとどう対処していったらよいのか、実際に直面して考えさせるものがあった。

※ 葬 儀

死を悲しんでいる時間はない。医師が書いてくれた死亡診断書を貰うと、まず第一にお寺へ連絡をしなければならない。お寺の都合で葬儀の時間が決まるからである。葬儀の時間を決めてもらった後葬儀社へ連絡する。

これまで田舎では、自宅葬が多かったためか葬儀は隣組がお手伝いする慣わしであった。
 遺族は、まず隣組の班長さん宅へ出向き、お寺さんへ葬儀時間の打ち合わせ、役場への手続きをお願いしていた。一家から夫婦二人が手伝いに出て、会葬準備、遺族および会葬者への食事(おとき)の炊き出しなどすべてを取り仕切り、遺族は会葬者の応対だけをしておればよかった。

20年前、父の葬儀は自宅葬で送り出したが、勤め人が多くなった現在は、会社を休んでまでお手伝いをしてもらうのは気の毒である。今回、喪主を務める弟は、お寺への連絡、葬儀屋の手配は自分一人で進めた。

班長さんには、母の死亡の知らせと葬儀は葬儀屋に一任するから、班のお手伝いは辞退する旨を電話で伝えた。葬儀屋は、電話を受けるとすぐ遺体搬送車を病院へまわし自宅へ運んでくれたという。わたしはその時間帯には高速道路上を車で実家に向かっていた。

24時間経過しないと火葬できないという規則により、二日後の葬儀と決まり、二晩のお通夜となった。
 葬儀屋の営業担当者が夜11時ごろやってきた。
 上から下まで5段階もある祭壇を決めるのに戸惑った。あまりみすぼらしい祭壇で母を送り出したくない気持ちと、無理して見栄を張りあとで苦しむよりも切り詰めたいという思惑で弟は悩んだようである。

次の悩みは、会葬礼状を何枚印刷するかをその場で判断しなければならなかったことである。母の生前の交際範囲を知らないと計算できないが弟は常に母と同居していたので想像はついたようだがそれでも迷っていた。

遺影の写真の原版探し、会葬礼品、お通夜の茶菓子の品定めなどを終わり、営業の人が帰ったのは12時過ぎであった。これで会葬の段取りは一応終わった。
  しかし、これですべてが終わったわけではない。葬儀を取りおこなってくれるお寺へのお布施の問題が残っている。

葬儀は二日後で今夜決めなくとも明日でもよいではないかと、弟を休ませることにした。わたしは仮眠しながら線香と蝋燭を絶やさないよう母の傍で一夜を明かした。

 翌朝、弟はどうしても眠れなかったと目をこすりながら起きてきた。

 兄弟が集まりお布施、戒名などの相談をした。

戒名には格があり『院』『居士』『大姉』などがあるという。それぞれの格により値段は異なり、それも半端ではない金額と聞いている。地獄の沙汰も金次第というわけでもないだろうがお金がなくてはあの世にもいけない現世である。

昔の人たちは信仰深かった。父母は生前、京都の總本山にお参りして生前に戒名をもらっていた。仏壇にしまってる戒名の紙札を開くと最低格の戒名であった。この問題で頭を痛めることはなかった。

お坊さん、住職さん、坊主と呼び方が幾通りもあって、いまだに使い分けがわからないでいるが葬儀を取り仕切るときのお坊さんは「お導師さま」というらしい。葬儀には導師様のほかに介添のお坊さんがもう一人付いて来る。この二人にお布施をどのくらい包めばよいのか頭を痛めた。

次回は、自分ではできない葬儀、法事、位牌守り(2)

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