手記・あなたならどうする |
楽には逝けぬ冥土へは(4) |
母は年齢からすると大往生かもしれない。しかし、この3ヶ月間を振り返れば大往生とはかけ離れ、苦しみ続けた日々であった。 医療従事者は最後まで延命を目標にあらゆる手立てを施そうとする。しかし、当人にとってはその治療は耐えがたい苦痛である。介護する身内は両方の立場を理解できるだけに途方にくれてしまう。 ここまで頑張ってきたのだから、もうこの辺で楽にしてやってくださいと医者を拝みたくなる心の内を隠して耐えなければならない毎日であった。苦痛を長引かせるだけの治療とわかっていても医師はそれを止める事はできないのだろうか。 一時期『安楽死』という問題が話題になったことがある。後に『安楽死』は『尊厳死』と表現は変わったが中身は同じだ。そのときは他人事として真剣に考えなかった。そのころは家族みんなが若く健康であったからである。 この場に至って、尊厳死の宣言書を母が残しておいてくれたら医療従事者も介護人も、そして本人も苦しまなくてよかったのにと痛感した。 わたしは、初七日が終わったあと尊厳死の宣言書を書いた。 幸いにして母の場合には弟と同居、姉も同居同然の密着した暮らしをしていたから在宅介護で最後の3ヶ月まで介護保険のお世話になることなく介護してくれた。 しかし、自分たち夫婦のこととなると事情は異なってくる。子供二人はそれぞれに独立して遠隔地で暮らしている。年老いていくこの先、夫婦がどちらかを介護する時が来ても、子供達に頼った介護は期待できない。 現在の若い世代は自分達の生活を維持するのがやっとで、親の面倒までみられる時間的なゆとりもないし、金銭的な余力もないのが現実である。 年取った夫婦どちらかの老々介護には限界があり、介護保険を頼りに、療養病床のある老人施設にお世話になるしかなさそうである。少子高齢化が進み社会の構造が変化すれば、親は子を頼り、子は親の面倒を見るというこれまでの親子関係は望めない。子が親孝行をしようとすれば自分の生活基盤を犠牲にしなければならない社会構造になってしまっている。親がそのことをわきまえ覚悟して余生を送らなければならない時代になっている。 (第1部完) 第二部は、自分ではできない「葬儀・法要・位牌守り」を掲載します。
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