上山公園

諫早平野は県内一の穀倉地帯である。この広い平野の中に諫早市街の中心部はあると思っていたが、50年前初めて諫早の地を踏んみて想像とまったく違ったのに驚いたことを憶えている。

平野は、北東方向の有明海を干拓して拓れたもので、市街地は西南の本明川沿いと三つの里山を取り巻くようにして形造られている。その三つの里山とは、御館山、城山、上山の低い山で、いずれも公園になっている。
その中の一つ上山公園は、私のトレーニングの場所である。家から公園の北側にある北口駐車場までは歩いて30分のところにある。

今回はザックの代わりにデジカメを持ってぶらーとさるいてみた(ぶらーと歩く)。


御館山山頂から見た上山公園
きょうは御館山の山頂から上山公園を撮るため少し回り道した。我が家と上山公園のちょうど中間地点に御館山公園はある。
残念ながら曇り空で、右端に見えるはずの雲仙が写っていない。山裾右側は県立運動公園。
愛宕山の登り口。

上の画像の左端に愛宕山はあるが上山の一部分と見なし、区別して山の名前を語ることはめったにない。
あえて私が愛宕山を持ち出したのは、トレーニングで一番苦労するのはこの山だからである。
山頂の愛宕神社までには、三つの鳥居と急な階段270段がある。山頂の鳥居は傷みがひどく一年前に解体された。
ここの階段は、高校生達のトレーニング場所で放課後は賑やかになる。

ここの鳥居は肥前鳥居といってこの付近では珍しい造りだと説明板が建っている。
もともと諫早は佐賀の領土であったから納得できる。
愛宕神社の石祠と三重の塔。

1801年、石の御殿が建てられた。ところが幕末のころ罪を犯した武士が、この石の御殿で割腹自殺した。そこで血で汚された御殿は壊され、石垣の下に捨てられた。
史談会の方たちがその御殿を調べ、昭和60年三重の塔と一緒に山頂に復元された。
(山口八郎著『諫早を歩く』より)
三重の塔の横から急な坂を100mほど降ると愛宕山と上山の鞍部に出る。ここは十字路になっている。東に降りれば北口駐車場。西に登れば宇都登山口へ出る。
南方向は二つの道に別れているが左の階段を登ると最短距離で上山の山頂へ届く。しかし比較的急な坂になる。右は巻き道でほぼ平坦な散策路になっている。
わたしはいつも左のコースを選んでいる。
山頂までのコースはスダジイなどが鬱蒼と繁る樹林帯の中を歩く。市街地の中心とは思えない森林浴を楽しめる場所である。
山頂の展望台

この展望台はお城のイメージが伝わってくる。上山はその昔お城があったとは聞いたことがない。
どうしてこのような造りになったのか市役所の緑地・公園課へ問い合わせてみた。
どこかの櫓を模して造ったわけではないとの回答だった。ただ何となくこの形の建物になったらしい。ちなみに昭和57年に建てられたそうである。
展望台から北東方向を望む。

手前の赤い屋根は諫早高校体育館。緑の中に四角に光っているのは本明川の河口。その先に話題性の多い諫早干拓潮止め堤防があるがガスがかかって見えない。
展望台から西の方向を望む。

手前は、西諫早ニュータウン。右の山は大村市・日岳。
左端の海は大村湾。
展望台から南方向を望む。

右の街並みは平山地区。
遠望左は八天岳。三角形の山は長崎・舟石岳。

我が家のある北の方角は樹木の陰で見えない。

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