イタリア旅行記

第10回 バチカン市国
 じつはバチカンはイタリア国の一部だと思っていました。今回の旅行でれっきとした独立国だと知った次第です。
 バチカン市国について調べてみましたら、国土面積は0.44平方kmで日本の皇居の三分の一、人口はわずか800人。国は小さくてもこの国独自の貨幣もあり、銀行や郵便局もあるようです。国の運営は、観光収入、家賃収入で賄い、税金は納めなくてよいそうです。
この国の国家元首は教皇で現在はヨハネ・パウロ2世。
 世界一小さな国でもこの国の元首であるヨハネ・パウロ2世の発言には、大国の指導者たちも一目置いているようです。

 バチカン市国に入国するには、やはり入国手続きが要ります。しかし、サン・ピエトロ大聖堂とヴチカン美術館には旅券なしで入れます。ただし、美術館は入場料12ユーロを払わなければなりません。
 朝早くから人々は美術館へやって来ます。この写真は朝8時30分ごろ写したものですがこのとおりの人出です。向かい側の高い壁は、イタリア(ローマ)とバチカンの国境です。
美術館の入口では、厳しい検問所があり、空港並みの所持品検査がX線ゲートで行なわれます。
バチカン美術館

バチカン美術館とひと口に言っても、実際は24の美術館があり、迷路のような部屋を延々と歩かなければなりません。
歴代教皇が集めた絵画や彫刻は、その質と数の多さでは世界一だといわれています。
右の絵画は、筆で書いたものではありません。2000年前に色違いの大理石を張り合わせたモザイクです。魚、果物、野菜などが描かれており、当時の食べ物の様子がうかがえます。
バチカン美術館

地図のギャラリーの天井絵は一際艶やかでした。
見れば見るほど絵画ではなく彫刻ではないかと思うほど立体感のある絵でした。
館内は、フラッシュをたかなければ撮影は出来ます。
バチカン美術館

彫刻はいろいろありましたが、天使像の物がたくさんあったように感じました。

美術館入口からミケランジェロのフレスコ画がるシスティーナ礼拝堂へ辿り着くまで距離にして約7kmあるそうです。すべてを入念に見ると1400の部屋があり何日間も通い続けなければなりません。
私たちは、わずか2時間のマラソンのような美術館見学でした。
13年かけて修復されたシスティーナ礼拝堂の『最後の審判』は500年の汚れを落とし鮮やかな絵でした。しかし、システィーナ礼拝堂は撮影禁止で自分の眼底に焼き付けておくしかありませんでした。
ガイドさんが『最後の審判』を修復する費用を日本の某企業が援助したと説明したことを付け加えておきます。
サン・ピエトロ大聖堂

主祭壇を覆う大天蓋は高さ29mで、おおよそ10年かけて完成したベルニーニ作だそうです。(黒い茶褐色の建物)
サン・ピエトロ大聖堂

高さ132・5m、直径42mの円蓋を聖堂の内部から見上げたものです。
16に仕切られた窓(白く光っている)から太陽の光が差し込むようになっています。
円蓋の設計はミケランゼロだそうです。
ベルニーニ作の主祭壇を覆う大天蓋は、この真下にあります。

サン・ピエトロ大聖堂

天井にばかり目移りがしますが聖堂の床も大理石を使った芸術作品で埋め尽くされています。
聖堂は、6万人収容できる広さで、入口から祭壇まで奥行きは216mもあります。この広い聖堂内の床はすべてこのような模様でいっぱいです。
サン・ピエトロ大聖堂
これも床の芸術作品です。
サン・ピエトロ大聖堂
聖なる扉
キリスト教には「聖年」という節目の年があって、ローマの四大聖堂の聖なる扉は100年ごとにローマ教皇によって開かれていたそうです。この扉を通って聖堂に入ると罪が償われるということです。
100年に一度では一生のうちに扉を通れない人もあり、その後50年に短縮され、いまでは25年に一度に改められたそうです。
2000年には「大聖年」と定め特別に1999年12月25日扉が開かれたとのことでした。

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