’04北アルプス山行記 |
燕岳〜大天井岳〜常念岳〜蝶ヶ岳縦走 |
大天荘の一夜(7月26日) われわれの部屋は南と東に窓がある二階隅の畳の間をあてがわれた。板の間で三段ベットの相部屋を覚悟していただけに身内だけで一部屋もらえるとは、ありがたかった。贅沢を言えば8畳の部屋に11人はザックが場所をとり窮屈ではある。 寝具は、敷き布団1枚と掛け布団2枚がワンセットである。 掛け布団を一枚にしたがそれでも汗ばんでくる。とうとう布団なしにした。それでもこの暑さでは眠れそうにない。 窓から外を見た。空には大きな星が輝いている。雲間から降り注ぐ星の数は多くはない。しかし、昼間のガスは切れ天候は回復しているようだ。下に目を移すと下界に街の灯が帯状に輝いていた。あそこは何処だ。 暑いこの部屋で我慢していることはない。長袖のシャツを羽織って部屋を抜け出した。 西の空には半月の月が大きな傘をかぶって鈍く輝いていた。その下には黒い稜線が起伏を重ねあわせ連なっている。一際尖った黒い陰が右端にあった。この尖がった山は槍に違いない。だとすればその左側に連なる峰々は穂高になる。 連峰の裾野には鈍い月明かりでわずかに白く反射した雲海が浮いている。満月の夜であればさぞ見事な雲海であろうと思いながらしばらく眺めていた。 小屋に戻って、まだ仕事している小屋の管理人にその様子を尋ねた。わたしの想像に間違いはなかった。黒い姿は槍ヶ岳と穂高だった。 東南の下界にきらめく帯状の灯は、南の穂高から東の松本につながる街灯かりだと教えてくれた。思いがけない夜の素晴らしいパノラマに出会えたのだ。 独り占めするのはもったいない。部屋に戻り夜の素晴らしさを眠れずに我慢しているみんなに伝えた。我も吾もと外へ出た。わたしはついでに写真機を持って出たが、カメラの目では月明かりの雲海の見事さは捉えることは出来なかった。 見惚れているうちに時は過ぎ、火照った身体はいつの間にか冷えていた。寝床に着いてから、もう一度夜のパノラマを思い出した。 傘をかぶった月は雨を呼ぶ前兆だと子供のころから聞かされてきた。その前兆であって欲しくないと願った。 一旦外へ出て体が冷えたのかあちこちから寝息の音が聞こえてきた。明日の快晴を期待して、耳に栓をしたのは9時ごろであった。 |
夕食は、2回目の順番でPM6:00から。 注文した魚料理とは、ご覧の通り、切り身を煮付けたものが一切れ添えてあるだけであった。 丸ごと一尾の鯵かいわしを予想していたが外れてしまった。 考えてみれば、切り身の魚は骨なしでゴミが発生しなくて山には理想の食材である。 山では出されたものはすべて食べ、残飯を残さないのが鉄則である。 |
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一夜明けて、3時過ぎから人が起きだした。 窓を見ると東の空が明るい。いくらか雲はあるものの晴れている。ご来光を見るために展望台にはかなりの人たちが集まっていた。 今日の出発は4時半だが、4時には準備を終わり小屋の外に出た。4時40分が日の出だと管理人から聞いていたが、それまでの天体ショウを見逃さないよう頑張った。気温はかなり冷え込み半袖シャツでは寒い。長袖シャツを一枚余分に着込んで寒さを防いだ。 |
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ご来光が顔を出したのは4時45分ごろであった。東の空に雲がかかり遅くなったのだろう。 西は、まず槍ヶ岳が黒から赤く変わって穂高の峰々が赤く染まっていく。昨夜、月明かりで眺めた槍と穂高の墨絵の世界とはまったく違った演出にただ黙って見惚れた。 時間と共に赤味は黄色に変わり現実の山肌になっていく。 4時半出発を20分オーバーして次の目的地常念岳へ向った。 |
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さらば大天井岳よ、大天荘よ。 5、6分歩いてから後ろを振返った。昨日はガスで見えなかった大天井岳が朝陽を受けて輝いていた。 |
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足取りも軽く、快調に常念岳を目指す。 | |
行く手左側に、雲海が見える。 雲の下は穂高の町である。 |
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6:40〜7:00朝食。 穂高連峰、槍ヶ岳を真横に眺めながらの朝食は最高と言いたいところだが、一つだけ不満がある。昨夜貰った弁当のご飯の固いこと、いわゆるゴッチン飯である。下界だったら文句の一つも言いたいところだが、気圧の低いところの炊事では黙って我慢するしかない。 その飯を食い終わって、横通岳を目指して歩き出した。 太陽は横から射して眩かった。 前方は、東大天井岳、横通岳。 |