2006年12月24日(日) |
平戸街道ウォーク(12) |
平戸街道ネットワークの会主催の平戸街道ウォークに参加する。
JR川棚駅から彼杵本陣跡までの約10kmを歩く。今年最後のウォークで約80名の参加者があった。川棚宿跡、幸秀庵一里塚跡を通り、当時の旅人に緑陰の憩いの場所を提供していたタブの老大木の根元から地下水が湧き出ていた泉を見学する。残念ながら現在は枯渇して湧出していない。
音琴浦漁村の行政、治安、納税などを司っていた音琴浦問役所跡を通り、塚本一里塚へと歩く。
「郷中の者はキリシタンではなく日蓮宗の信者です」という証明のための口木田千部塔があり、それから法華経を1万遍唱え込んだ法塔の島田万部塔へと進む。、そこから長崎街道との追分である思案橋を経て彼杵宿跡にて解散する。
これで17年10月に彼杵宿跡を出発して18年3月に平戸へ渡る田ノ浦宿跡までを6回に分けて行き、翌4月からは逆にこの地を出発して彼杵宿跡に到着した。
これで全行程を1往復した訳で、この平戸街道ウォークシリーズは一応終了し、今回で詳細記事は終わりとします。
写真は口木田千部塔
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2006年11月26日(日) |
平戸街道ウォーク(11) |
平戸街道ネットワークの会主催の平戸街道ウォークに参加する。
JR早岐駅を出発してJR川棚駅までの約12kmのコースを歩く。本日は小雨の降る中のウォークとなったが、約50名の参加者があった。
早岐駅を出発して間もなく小森川を渡り、広田城跡の麓を通って茶屋ノ辻駕籠立場へと進む。
現在は佐世保刑務所の宿舎の敷地内にあり、特別に許可を貰って刑務官の立会いのもと通行させていただいた。
先祖は舳ノ峯番所の役人だった八並家の屋敷内にある大村藩と平戸藩の領境碑の説明を聞き、舳ノ峯番所跡へと進む。
舳ノ峯峠を越え、森林の中を通って針木峠、宮村峠へと歩き、一杯水駕籠立場跡を通って街道筋にあるメモリアルパーク霊園管理事務所の軒下を借り、降雨を避けて昼食を食べる。
その付近の街道筋に植樹されている松ノ木の苗木約200本は、大きいのは
1m程度に成長していた。傘松があったと言われる場所から急坂を下り、走り落てを通って川棚庄屋跡にて解散をする。
写真は八並家の屋敷内にある大村藩と平戸藩の領境碑
(写真をクリックすると拡大写真になります)
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2006年11月19日(日) |
福島一周ウォークラリー |
松浦市主催の福島一周ウォークラリーに参加する。コースは4km、7km,
13kmの3区分に別れ、参加者総員640名と事務局から発表され、集合場所の福島中学校体育館がほぼ満員だった。
松浦市長の挨拶の後、ストレッチ体操をして13kmコースに参加し、小雨の降る中での出発となった。このコースへの参加者は約200名で、この福島は伊万里湾内にあって、あたかも佐賀県ではないかと思われる初めて行く島だった。
この島の外周の県道を歩き、全国棚田100選に選ばれた土谷棚田を上から眺めると素晴らしい景色だった。
写真は雨が降る中を歩く参加者(写真をクリックすると拡大写真になります)
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2006年10月22日(日) |
平戸街道ウォーク(10) |
平戸街道ネットワークの会主催の平戸街道ウォークに参加する。
佐世保市体育文化会館を出発して、早岐一里塚までの約12kmを歩く。
体育文化会館を出発すると、間もなく峰坂の険しい坂道を約15分間かけて上り、山祇神社の樹齢700年の巨椋の下で小休憩を取って疲れを癒す。
茶屋の原駕籠立場跡を通り、藤原一里塚跡へと進み、日宇宿の青蓮寺で昼食休憩を済ませて脇崎一里塚跡を通る。大塔新田の干拓者である折原孫左衛門の墓に参る。
ここから先の数少ない自然林の中を通って平戸藩御用鯉御囲池を見学してから坂を上り切った上倉駕籠立場跡小休憩をする。
陣の内にある戸ノ上石畳の道を通って早岐本陣跡を経て終着地の早岐一里塚跡で解散をする。
写真は平戸藩御用鯉御囲池(写真をクリックすると拡大画面になります)
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2006年10月15日(日) |
チャレンジ登山 |
佐世保市の市民体育大会山岳競技として開催されたチャレンジ登山に参加する。
参加者約90名で白南風小学校を8時30分に出発して烏帽子岳〜隠居岳〜八天岳を縦走して国見山までの20kmを7時間掛けて歩いた。アップダウンが多くて疲れた一日だった。
写真は頂いた踏破認定証(写真をクリックすると拡大画面になります)
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2006年10月12日(木) |
長崎県すこやか長寿大学校へ入学する |
長崎県すこやか長寿財団が生涯学習の一環として高齢者に学習の機会を提供することを目的として設立された大学校に入学した。
平成18年10月から20年9月までの2ヶ年間を学習することになり、教養や趣味活動を行って心身の健康保持に努めることにしたい。
写真は入校式の模様(写真をクリックすると拡大画面になります)
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2006年10月8日(日) |
伊万里ウォーク2006 |
伊万里市教育委員会主催の「ゆきたくなる街伊万里ウォーク2006」に参加する。
約80名の参加者があり、9時30分にウエルサンピア伊万里をスタートして伊万里川沿いからJR伊万里駅周辺を歩いて再びウエルサンピア伊万里へ戻る一巡する約8kmのコースを歩いた。
99歳の最高齢者の参加者には敢闘賞が授与され、元気を貰った大会だった。
写真は頂いた完歩証明
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2006年9月24日(日) |
平戸街道ウォーク(9) |
平戸街道ネットワークの会主催の平戸街道ウォークに参加する。
松浦鉄道佐々駅を出発して佐世保市体育文化館までの約14kmを歩く。
佐々駅を出発すると間もなく口石一里塚跡に到着する。この一里塚跡には江戸時代に植えられた榎が1本現存していて貴重な存在を現わしている。
この地を過ぎると佐々町と佐世保市の境界地である半坂峠へと差し掛かる。この峠までの急な坂がきつくて、当時の殿様の駕籠を担いだ武士は大変だっただろうと思われる。
この半坂峠は駕籠立場があった場所で、ここから中里宿へと下って行く。この中里宿には郡代役所、代官所、庄屋、本陣、脇本陣があって平戸地域の南部の中心地であった。
ここから十三塚を通り、吉岡一里塚跡、俵一里塚跡を経て佐世保宿へ行く。相生町の日本タバコ産業佐世保営業所が本陣跡である。
写真は口石一里塚跡の榎
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2006年9月19日(火) |
敬老祝賀会 |
本年4月に佐世保へ転宅してから、地域の公民館へ参加させていただいているが、それから何ら活動はしないまま過ごしていたところ、今月の中旬になって18日の敬老の日に祝賀会を開催するので参加するよう案内をいただいた。
この公民館では70歳以上の方々を対象に、このような催しを毎年開催されているらしく、参加させていただくことにした。この公民館には老人の仲間で組織されている成寿会という団体があって、グランドゴルフなどが行われていることも分った。
この18日の敬老の日は生憎台風13号が当佐世保地方に上陸した関係で、その祝賀会が一日延期されて本日開催された。
当公民館内に居住されている70歳以上の人は346名も居られるとのことで、この祝賀会には約90名の参加者があり老齢者社会だなあとつくずく思った。
祝賀会では踊りをする人、カラオケを歌う人で大変賑った2時間があっという間に過ぎた楽しい一日だった。
写真は敬老会の一コマ(写真をクリックすると拡大写真になります)
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2006年8月25日(金) |
九重高原に遊ぶ |
10年振りに九重高原へ涼を求めて出掛けた。
高速道路を利用すれば、2〜3時間で到着することが出来るが、20年ほど前に山岳会に所属していたころは、久留米、日田を経由して行ったもので、昔日の思い出とその後の各地の変わりようを見たくて国道を利用することにした。
当地から約5時間を掛けての走行だったが、バイパスが出来て道路状況は良くなり、また、その途中には道の駅が出来ていて、休憩には持って来いの好条件が整っていた。時間のある者は高速道路を利用しなくても楽しめるのではないかと思った。
牧の戸峠へと行くと、空模様が怪しくなり、黒雲が覆い被さって来てその上雷鳴が轟き出して来た。
写真撮影をしようにも、山々はガスが掛かって好条件とはいえない状態になった。兎に角、行ける所まで行くことにして登り出す。沓掛山の気温は21℃と涼しい風が吹いていて、下界とはまったく違っていて気持ちが好かった。
写真撮影は出来ないし、星生山登山口付近まで行って折り返して下山した。
牧の戸峠に戻ると、嘘のように天候は回復してどうにか三股山を写真撮影することが出来た。写真は三股山の遠景。
(写真をクリックすると拡大写真になります)
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2006年8月20日(日) |
長崎街道ウォーク(17) |
筑豊地方の小竹から木屋瀬宿までの約12kmを歩く。
JR小竹駅から国道200号線を約4km歩き、左折して南良津唐戸から民家に沿って歩いて直方の多賀神社へと向かう。兎に角暑くて衣服がびしょ濡れになる。
ここから直方の中心地のアーケード街を通って遠賀川に掛かっている日の出大橋を渡り、そこから左折して感田から遠賀川沿いに約2.5km歩くと木屋瀬宿の西構口に到着する。
これから先にある江戸時代の修復された家屋が並んでいて、その当時を忍ばせてくれる。
写真は永源寺の裏門に使用されているその当時の本陣の正門
(写真をクリックすると拡大写真になります)
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2006年7月30日(日) |
平戸街道ウォーク(8) |
平戸街道ネットワークの会主催の5月28日に開催された月例ウォークには、
生憎入院中だったので、参加出来なかった。
その後の体調がどうにか回復して来て、マイカーも手に入ったことだし、単独ウォークにMR江迎鹿町駅から佐々駅間の約11kmを歩いた。
梅雨も明け、かんかん照りの中のウォークは汗が迸るほど出る。
江里峠駕籠立場跡の手前の山林に入る場所が50mほど夏草が蔽い茂って
いて歩き辛かった。
約3.5時間の行程で約19,000歩をウォークすることが出来て満足な一日だった。
写真は佐々本陣跡に残っている庭園の一部
(写真をクリックすると拡大画面になります)
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2006年7月20日(木) |
軽自動車を購入する |
退院後1ヶ月を経過すると、体調も大分回復してきた。買い物に出掛けたり、
所用やレジャーで他の場所へ出掛けるのに自家用車を持たないと大変不便
を感じていた。
これから先あと何年残存生活が出来るのか分らないが、今後の生活をエンジ
ョイするには、どうしても自家用車が欲しくなり、年金生活を考慮して軽自動車
を購入することにした。
これで足が出来たので、近郊都市へのウォーキングにも出掛けることができ、
さっそく30日(日)には平戸街道ウォークへ出掛けることにしようと思っている。
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2006年6月26日(月) |
体調の回復を待つ |
40日間の入院生活を終え、いざウォーキングに張り切っていたところ、太腿の筋肉が落ちてしまっていて、少しのウォークでも太腿の筋肉からフクロハギまで
痛みが出て、思うようにウォーキングが出来ない。
それに腰痛まで痛み出してしまったので、鍼治療専門の整形外科の門を
叩き、治療を受けることにした。
あまり無理をせず、気長に養生して、ぼつぼつウォーキングしようと思う。
写真は鍼治療専門の整形外科(写真をクリックすると拡大画面になります)
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2006年6月13日(火) |
退院して自宅療養へ |
大好きなウォーキングが出来ないほど痔の調子が悪くなり、切羽詰って肛門科
の門を叩いたところ、即入院して手術を受けることになった。
手術は良好であり、その後の回復も順調だったが、特に便秘する私はそれと
の戦いが始まり、頭到、下剤を使っての排便が続く毎日 だった。
ようやく自然排便が出来るようになり、本日退院することが出来た。
今後は当分の間、通院しながら自宅療養となり、その間ウォーキングは出来
ないのが残念だが我慢しよう。早く完治したい。
手術を受けた病院は佐賀県有田町蔵宿の蔵宿病院です。先生はじめ看護師
の皆さんも家庭的は雰囲気で接していただき、満足する入院生活でした。
写真は病院の玄関前(写真をクリックすると拡大画面になります)
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2006年4月30日(日) |
長崎街道ウォーク(16) |
飯塚宿の貴船神社からJR小竹駅までの約10kmを歩く。
飯塚宿の南構口跡を過ぎ、本町商店街のアーケード街の中の紀伊国屋書店の軒の上に長崎街道のからくり人形が設置されてある。
ここで一休みをして1時間毎に時計が開き、からくり人形が右から左へ移動するのを見るのも貴重な経験だと思う。
幸袋を過ぎて遠賀川沿いの国道200号線を暫く歩く。原自動車の先から国道を離れて右へ入り、目尾小学校の裏を通って国道を横断して進むと郡境石があり、ここから小竹町に入る。再び国道に出る手前の左下に小竹町役場があり、その直ぐ先が終着地のJR小竹駅となる。このコースは高低がないので歩き易い。
写真は紀伊国屋書店のからくり人形(写真をクリックすると拡大画面になります)
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2006年4月23日(日) |
平戸街道ウォーク(7) |
平戸街道ネットワークの会主催の平戸街道ウォークに参加する。
松浦鉄道たびら平戸口駅を出発して江迎鹿町駅までの約10kmを歩く。
先月ウォークしたコースの逆を歩くことになり、出発してから日ノ浦番所跡や本陣跡の説明がある。
笠松天神社古墳を通り、獄門場跡から坂道を1時間ほど上ると本山一里塚跡に到着する。
吹上駕籠立場跡を過ぎてから知的障害者入所厚生施設の「草笛が丘」にて昼食を食べる。
その先から自然林の中の道に入り、対馬塔を通って琵琶石坂、チャエン坂を抜けて梶ノ村溜池の脇を通る。
長人駕籠立場跡を過ぎると伊能忠敬の木星観測地へ到着する。
そこから急な坂道を下ると長坂一里塚跡に出て間もなく終着地の江迎鹿町駅で解散する。
写真は日ノ浦本陣目隠しの石垣(写真をクリックすると拡大画面になります)
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2006年4月5日(水) |
佐世保へ転居 |
13年間お世話になった諫早を離れ、生まれ故郷の佐世保へ帰って来ました。
諫早では地元の方々のご指導を受けて、長崎街道、諫早街道と島原街道の3つの歴史街道を歩いたこと、諫江88ヶ所の巡拝や諫早の歴史探訪などの学習は終生忘れることの出来ない貴重な体験をさせていただき感謝いたします。
このことは私の拙いホームページ「磨儀道の広場」へ残しておきたいと思います。
写真は佐世保市内の風景(写真をクリックすると拡大画面になります)
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2006年3月26日(日) |
平戸街道ウォーク(6) |
平戸街道ネットワークの会主催の平戸街道ウォークに参加する。
松浦鉄道の江迎鹿町駅を出発して平戸街道終着地の日ノ浦宿跡までの約10kmを歩く。
出発して間もなく江迎本陣跡を見学させて貰った。元禄時代からの酒造業である潜龍酒造が本陣跡で、藩公の居間を「枕水舎」と名付け現在も保存されてある。
長坂と本山の2ヶ所に一里塚跡があり、長人と吹上の2ヶ所の駕籠立場跡を通る。
自然林を通る場所が2ヶ所あって、特に琵琶石坂の自然林を通る時は心が和む。
対馬塔や獄門場跡などの史跡もあり、笠松天神社の古墳は前方後円墳で大きい。
終着地の日ノ浦宿には田平筋郡代奉行所、代官所、馬指役所、本陣、脇本陣、日ノ浦番所の各旧跡があった。
写真は江迎本陣の藩公の居間「枕水舎」(写真をクリックすると拡大画面になります)
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2006年3月17日(金) |
竹崎城址に遊ぶ |
13年間この諫早の地にお世話になり、近く佐世保の地に転宅することになりました。「諫早街道・竹崎街道を歩く」の入力も完成した記念に、竹崎街道の終着地に出掛けました。
この地には史跡らしきものは見当たらなかったが、有名な竹崎山観音寺に参拝し、竹崎城址からの有明海に多数の漁船を見ると、心が和む気がした一日でした。
写真は竹崎城址(写真をクリックすると拡大画面になります)
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2006年3月12日(日) |
バーチャル日本一周50%達成 |
1月1日の「御館山神社初詣」にバーチャル日本一周の50%達成を3月31日と
定めて頑張ると記載していたが、本日それが達成することが出来た。
これも健康だからこそ出来たことで、健康に感謝しつつ今後も健康に留意して継続
して行きたい。
健康ウォーク21のホームページにバーチャル日本一周のことが記載されている
のでご覧ください。
健康ウォーク21のホームページ http://www.walk-21.com/index.html
写真は健康ウォーク21のホームページに掲載された写真
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2006年3月4日(土) |
おがたまの花 |
マイタウンいさはやのホームページに小長井町にある国指定天然記念物の
おがたまの木に花が咲いているとあったので、ウォーキングを兼ねて自宅から
2時間掛けて歩いて見に出掛けた。
1千年以上も育っている巨古木に見事な花が咲いているのは感動すると共に
驚いてしまった。
未だ見たことがない方は一度見に行かれるのをお勧めしたい。
写真は見事に咲いているおがたまの花
(写真をクリックすると拡大画面になります)
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2006年2月26日(日) |
平戸街道ウォーク(5) |
平戸街道ネットワークの会主催の平戸街道ウォークに参加する。
松浦鉄道佐々駅をスタートして江迎町の寿福寺までの約14Kmを歩く。
曹洞宗の東光寺の下の街道筋から古川一里塚へと歩く。
佐々皿山公園から江里峠までのゆるやかな坂道を上ると、江里峠駕籠立場跡に
到着する。
その直ぐ近くに肉弾三勇士の一人である北側亟(すすむ)伍長の生家がある。
江里峠から林の中を下ると山ノ田茶屋跡と山ノ田一里塚跡がある。
その先の右手には山ノ田薬師堂がある。高さ71cmの薬師如来座像が安置されている。
江迎川沿いの高岩下の街道を過ぎ、右手の高台にある真言宗の寿福寺に到着
する。
写真は山ノ田薬師堂の薬師如来像。(写真をクリックすると拡大画面になります)
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2006年2月18日(土) |
竹崎街道ウォーク |
湯江宿の諫早市湯江支所から佐賀県太良町今里地区までの約14Kmを歩く。
多良海道地図作成委員会発行の「長崎路多良海道諫早街道」を参考にして歩く。
湯江地区は標識が整備されていて歩き易い。川上神社の先の追分から右側の
竹崎街道へと進み、小坂から農地の中を進む。
小長井町に入ると案内標識が緑地に変わる。その数が少ないので、道分れ地点
での判断に苦慮する。
初めての街道歩きをする人には分り難くてもっと標識を増やして欲しい。
特に小長井町の田野川へ下る場所が荒れていて通れない。その場所には迂回路
を示す標識が必要だ。
県界を越して今里地区に入ると標識がないので先へ進めない。
多良海道地図作成委員会で再度本地図を改訂されることを希望したい。
写真は打坂越の急坂。(写真をクリックすると拡大画面になります)
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2006年2月11日(土) |
長崎街道ウォーク(15) |
内野宿から飯塚宿の貴船神社までの約12kmを歩く。
内野宿は当時の面影が残っていて好きな宿場だ。街道は国道200号線に沿って
いて、坂の少ない平坦な街道で歩き易い。
桂川町の街道筋から少し離れた場所にある王塚装飾古墳を見学する。
古墳内には入ることは出来ないが、敷地内に古墳館があって、そこに古墳内を
模した装飾古墳があり、それを見学することで想像が出来る。
長崎街道は途中で秋月街道と合流していてその付近の道筋が分り難い。
写真は王塚装飾古墳。(写真をクリックすると拡大画面になります)
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2006年1月22日(日) |
平戸街道ウォーク(4) |
平戸街道ネットワークの会主催の平戸街道ウォークに参加する。
佐世保中央公園をスタートして佐々町の三柱神社の鳥居までの約15Kmを歩く。
佐世保市街の殆ど舗装してある平坦な道路を歩き、市街に出てから嘘越から
半坂峠まで急坂が堪える。そこから先は佐々まで下り道である。
このコースには佐世保と中里に本陣が設けられてあり、俵、吉岡、口石の3ヶ所に
一里塚跡がある。
この街道筋の大野地区に「左石」と言う地名の処があり、伊能忠敬日記に「字境木、
字左石、道端に大石あり」と記されてあるように、昔は地名になるような大岩だった
が、河川改修や道路の地上げ、拡幅などによって現在はかなり小さくなっている。
写真は現在の左石。(写真をクリックすると拡大画面になります)
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2006年1月15日(日) |
九州自然歩道長崎県ルートウォーク |
九州自然歩道長崎県ルートNo.13を歩く。
西海楽園の先から西海橋までの約14Kmを歩く。
その途中の虚空蔵山までのだらだらと続く長い上りがつらい。
山頂の脇に建っている展望台からの四囲の眺めが素晴らしい。
展望台から先は下り坂が続き、小迎から海岸線へと下って行く。
写真は虚空蔵山の石積みの展望台。(写真をクリックすると拡大画面になります)
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2006年1月13日(金) |
農耕作業が始まる |
高来町の諫早干拓水門へ通じる道路を挟んだ広大な圃場では、
枯れたひこばえの上に牛糞をばら撒いて耕運機で鋤き込み
田植えの下準備が盛んに行われている。
写真は耕運機での鋤き込み作業。(写真をクリックすると拡大画面になります)
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2006年1月8日(日) |
田圃の雪景色 |
佐世保へ出掛ける。
穏居岳の麓の上宇戸地区の田圃で雪化粧を見つけた。
山裾では未だ雪は解けていなかった。道路はかちかちに凍り付いて
滑ってこける危険さえ感じられる状態だった。
年老いた体では到底無理かと思い、九州自然歩道ウォークの単独歩行を
諦めてしまった。
写真は田圃の雪景色。(写真をクリックすると拡大画面になります)
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2006年1月6日(金) |
懐かしい二宮金次郎像 |
ウォーキングの途中、自宅近くのY小学校で二宮金次郎の立像を見つけた。
昨年9月の長崎街道をウォーキング中にも佐賀市内のK小学校の片隅で
見つけ、それ以来の二宮金次郎の立像だ。
60年も前に通った小学校(当時は国民学校と言っていた)にも二宮金次郎の立像が
あったことを思い出した。
彼は江戸末期に貧しい農家に生まれ、朝から晩まで真面目に働いて本を読む
時間がなかったので、薪を背負って勉強に励んだその立像には勤勉さが伺える。
現代の子供たちには彼の立像の意味が判っているのだろうかとふと思った。
写真は二宮金次郎像(写真をクリックすると拡大画面になります)
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