平 戸 街 道 を 歩 く
平戸街道は江戸時代に田平日の浦から彼杵思案橋までの15里60Kmを主に平戸松浦侯の長崎勤番に利用された街道です。
彼杵からは長崎街道に接続していて、長崎まで利用されていました。

その間に日の浦ー江迎ー佐々ー中里ー佐世保ー日宇ー早岐ー川棚ー彼杵に宿場と本陣が設けられていていました。

その間を我々ウォーカーが過去の歴史ロマンを求めて、ウォーキングを実施しているのが現状です。

平戸街道ネットワークの会の会員として月例ウォークに参加される仲間の方々のお世話をしながらウォーキングを楽しんでいます。

その概要は下記の通りです。また、近年ウォークしたコースを別ページの徒然散歩道から纏めて掲載しました。

彼杵ー川棚
彼杵宿には本陣、脇本陣、問屋場があり、26聖人が長崎へ渡る出港地であった。
思案橋が平戸街道と長崎街道の交点であり、この間の街道は良く整備されていて、生コン会社裏の藪地も伐採されて歩き易い。
その先からの林の中の坂道には丸太杭で整備されていた。
江戸幕府の最後の巡見使一行が通った和田峠は、みかん畑の中を通らせてもらった。
この間には塚本一里塚と幸秀庵一里塚がある。
川棚ー早岐
川棚宿には43軒の商家がほぼ一直線の道路を挟んで軒端を連ね、白壁作りの2階建てだった。
彼杵、大村、時津への波止場がある。
川棚宿から直ぐ上る川棚峠までの急坂がとても辛い。
現在も残っている自然林の中を通る街道で、川棚峠、宮村峠、八木峠から下って舳ノ峯峠を経て早岐へ向かう。
その途中には一杯水駕籠立場、村境一里塚、舳ノ峯番所、茶屋の辻駕籠立場がある。

早岐ー佐世保
早岐の石畳の道路が国道造成で分断されているのは、惜しい気がするが、これも已むを得ないものだろう。また、平戸藩御用鯉御囲池がそのままの状態で保存されているのは貴重な財産で、後世に残して欲しい。
早岐一里塚跡、早岐本陣跡、上倉駕籠立場跡、平戸藩御用鯉御囲場、脇崎一里塚跡、藤原一里塚跡などがある。



佐世保ー佐々
この区間の大半は佐世保の市街を通っていて、その中に本陣跡が佐世保と中里にあった。
相神浦筋郡代奉行所があって相浦谷から早岐方面までの14ヶ村を支配していた。
俵一里塚、吉岡一里塚、口石一里塚の3ヶ所の一里塚跡があり、中里と佐々の境にある
半坂峠には駕籠立場があった。



佐々ー江迎
佐々皿山公園から江里峠までカーブの多い坂道を上ると峠には駕籠立場跡ある。
峠の畑の2段目が殿様の休憩所で2坪ばかり芝生が植えてあった。
峠からは林の中を下り、その下の田圃の脇道を下ると山ノ田茶屋跡へと続き、山ノ田
一里塚跡がある。
高岩下の街道を過ぎると江迎宿に到着する。


江迎ー田平
長坂一里塚跡から急な坂道を上って伊能忠敬の木星観測地へと行く。長人駕籠立場跡から自然林の中を通り、梶ノ村溜池へと進む。
それから先も自然林の中を通って吹上駕籠立場跡から本山一里塚跡、笠松天神社の古墳を通る。
日ノ浦本陣跡は現在駐車場となっていて、当時の面影は無く、本陣目隠しの石垣が残っている。
脇本陣跡、田平筋郡代奉行所跡、馬指役所跡、日ノ浦番所跡がある日ノ浦宿で平戸街道は終着となる
2006年4月23日(日)
平戸街道ウォーク(平戸口〜江迎)
平戸街道ネットワークの会主催の平戸街道ウォークに参加する。
松浦鉄道たびら平戸口駅を出発して江迎鹿町駅までの約10kmを歩く。
先月ウォークしたコースの逆を歩くことになり、出発してから日ノ浦番所跡や本陣跡の説明がある。
笠松天神社古墳を通り、獄門場跡から坂道を1時間ほど上ると本山一里塚跡に到着する。
吹上駕籠立場跡を過ぎてから知的障害者入所厚生施設の「草笛が丘」にて昼食を食べる。
その先から自然林の中の道に入り、対馬塔を通って琵琶石坂、チャエン坂を抜けて梶ノ村溜池の脇を通る。
長人駕籠立場跡を過ぎると伊能忠敬の木星観測地へ到着する。
そこから急な坂道を下ると長坂一里塚跡に出て間もなく終着地の江迎鹿町駅で解散する。
写真は日ノ浦本陣目隠しの石垣
2006年7月30日(日)
平戸街道ウォーク(江迎〜佐々)
平戸街道ネットワークの会主催の5月28日に開催された月例ウォークには、
生憎入院中だったので、参加出来なかった。

その後の体調がどうにか回復して来て、マイカーも手に入ったことだし、単独ウォークにMR江迎鹿町駅から佐々駅間の約11kmを歩いた。
梅雨も明け、かんかん照りの中のウォークは汗が迸るほど出る。
江里峠駕籠立場跡の手前の山林に入る場所が50mほど夏草が蔽い茂って
いて歩き辛かった。

約3.5時間の行程で約19,000歩をウォークすることが出来て満足な一日だった。

写真は佐々本陣跡に残っている庭園の一部
2006年9月24日(日)
平戸街道ウォーク(佐々〜佐世保)
平戸街道ネットワークの会主催の平戸街道ウォークに参加する。
松浦鉄道佐々駅を出発して佐世保市体育文化館までの約14kmを歩く。
佐々駅を出発すると間もなく口石一里塚跡に到着する。この一里塚跡には江戸時代に植えられた榎が1本現存していて貴重な存在を現わしている。

この地を過ぎると佐々町と佐世保市の境界地である半坂峠へと差し掛かる。この峠までの急な坂がきつくて、当時の殿様の駕籠を担いだ武士は大変だっただろうと思われる。

この半坂峠は駕籠立場があった場所で、ここから中里宿へと下って行く。この中里宿には郡代役所、代官所、庄屋、本陣、脇本陣があって平戸地域の南部の中心地であった。


ここから十三塚を通り、吉岡一里塚跡、俵一里塚跡を経て佐世保宿へ行く。相生町の日本タバコ産業佐世保営業所が本陣跡である。

写真は口石一里塚跡の榎
2006年10月22日(日)
平戸街道ウォーク(佐世保〜早岐)
平戸街道ネットワークの会主催の平戸街道ウォークに参加する。
佐世保市体育文化会館を出発して、早岐一里塚までの約12kmを歩く。
体育文化会館を出発すると、間もなく峰坂の険しい坂道を約15分間かけて上り、山祇神社の樹齢700年の巨椋の下で小休憩を取って疲れを癒す。
茶屋の原駕籠立場跡を通り、藤原一里塚跡へと進み、日宇宿の青蓮寺で昼食休憩を済ませて脇崎一里塚跡を通る。大塔新田の干拓者である折原孫左衛門の墓に参る。
ここから先の数少ない自然林の中を通って平戸藩御用鯉御囲池を見学してから坂を上り切った上倉駕籠立場跡小休憩をする。
陣の内にある戸ノ上石畳の道を通って早岐本陣跡を経て終着地の早岐一里塚跡で解散をする。

写真は平戸藩御用鯉御囲池
2006年11月26日(日)
平戸街道ウォーク(早岐〜川棚)
平戸街道ネットワークの会主催の平戸街道ウォークに参加する。
JR早岐駅を出発してJR川棚駅までの約12kmのコースを歩く。本日は小雨の降る中のウォークとなったが、約50名の参加者があった。
早岐駅を出発して間もなく小森川を渡り、広田城跡の麓を通って茶屋ノ辻駕籠立場へと進む。
現在は佐世保刑務所の宿舎の敷地内にあり、特別に許可を貰って刑務官の立会いのもと通行させていただいた。
先祖は舳ノ峯番所の役人だった八並家の屋敷内にある大村藩と平戸藩の領境碑の説明を聞き、舳ノ峯番所跡
へと進む。
舳ノ峯峠を越え、森林の中を通って針木峠、宮村峠へと歩き、一杯水駕籠立場跡を通って街道筋にあるメモリアルパーク霊園管理事務所の軒下を借り、降雨を避けて昼食を食べる。
その付近の街道筋に植樹されている松ノ木の苗木約200本は、大きいのは
1m程度に成長していた。傘松があったと言われる場所から急坂を下り、走り落てを通って川棚庄屋跡にて解散をする。

写真は八並家の屋敷内にある大村藩と平戸藩の領境碑
2006年12月24日(日)
平戸街道ウォーク(川棚〜彼杵)
戸街道ネットワークの会主催の平戸街道ウォークに参加する。
JR川棚駅から彼杵本陣跡までの約10kmを歩く。今年最後のウォークで約80名の参加者があった。川棚宿跡、幸秀庵一里塚跡を通り、当時の旅人に緑陰の憩いの場所を提供していたタブの老大木の根元から地下水が湧き出ていた泉を見学する。残念ながら現在は枯渇して湧出していない
音琴浦漁村の行政、治安、納税などを司っていた音琴浦問役所跡を通り、塚本一里塚へと歩く。
「郷中の者はキリシタンではなく日蓮宗の信者です」という証明のための口木田千部塔があり、それから法華経を1万遍唱え込んだ法塔の島田万部塔へと進む。、そこから長崎街道との追分である思案橋を経て彼杵宿跡にて解散する。
これで17年10月に彼杵宿跡を出発して18年3月に平戸へ渡る田ノ浦宿跡までを6回に分けて行き、翌4月からは逆にこの地を出発して彼杵宿跡に到着した。
これで全行程を1往復した訳で、この平戸街道ウォークシリーズは一応終了し、今回で詳細記事は終わりとします。

写真は口木田千部塔