05チャレンジウォーク

諫早干拓〜森山・唐比〜千々石・橘神社 21km

月 日  2005・1・9

主 催  長崎県立千々石少年自然の家


ウォーキングにもいろいろの楽しみ方があるものだと実感した一日であった。

 ウォーキングには歴史探訪、名所古跡めぐり、花観賞など楽しみながら体力つくりをするものが多い。

今回の『チャレンジウォーク42.195km』は楽なコースではなく、心して歩かなければと思って参加した。

長い距離を完歩出来るかどうか持久力を試す意味での「心しての参加」であった。もちろんフルコースを完歩する自信はなく、ハーフを選んだ。

 まずピストルの音でスタートしたのにはビックリした。マラソン競技に模したイベントだろうとそのことはすぐ忘れた。

景色を楽しみながら写真と撮り、珍しいものがあれば立止まって眺める。これがわたしのウォーキングスタイルである。

ところが10分もすると、ハーフでスタートした人たちは足早に歩き去り、取り残されてしまった。後を振りかえると、フルコースの人たちが迫ってくる。

フルコース中間点での「ぜんざいコーナー」で振舞われる美味しいぜんざいをゆっくり味わいながら食べる人は少なく、急いで食べは去って行く。のんびり楽しんでいるのは親子連れか、学生達だけである。

31km(ハーフでは10km)のチェックポイントで名前と登録番号と告げると係員が通過時間を記入している。歩き始めてから2時間7分が経過していた。私にしては上出来のペースである。

13時ごろ、おにぎりを歩きながら食べているのを見かけた。
 Tさんと私は、川沿いの土手に座り込んで弁当を食べた。その間には何人も追い越して行った。

このころになって、はじめてこのチャレンジウォークの主旨はタイムレースではないかと感じた。その意味が分かると懸命に歩きつづける人たちの姿に納得できる。

主旨は分かってもタイムに拘りはしなかった。マイペースに少しだけスピードを上げるくらいにした。

昼食を摂って歩き始めてから数分後、Tさんの携帯電話に連絡が入った。わざわざ東京から参加されたYさんからだった。ゴールしたという知らせである。

Yさんは昨夜同じ部屋で前祝をした仲で、7時スタートのフルコースにエントリーしていた。Tさんと二人で予想を超えたYさんの健脚ぶりに驚きながら、それではわれわれも頑張るかと気合を入れた。

Yさんのゴール電話があってから1時間30分後に、われわれもゴールした。

渡された完歩証には「21km 4時間43分」と記されてある。

こんな記録を楽しむウォーキングもあるものだと、ピストルの合図でスタートした意味が解けた。


開会式
フルコースはスタート地点の県境小長井へ朝6時にバスが出る。そのために開会式は前夜、夕食後の19時から行なわれた。
参加者は、フルコース、ハーフコース合わせて70名。今夜ここに宿泊し開会式に出席しているのは40名程度であった。
フルコース参加者は、5時起床、寝具の片付け、部屋の掃除をして5時40分に集合である。
私はハーフ参加だから8時までは寝ていてよい。
9日朝5時、目覚ましの音楽が館内放送で流された。あまりにもボリュウムが大きくびっくりした。ハーフ参加の者は8時の朝食までゆっくりと寝ていてもよいが、音量の太さに眠気は吹き飛び一緒に起きてしまった。
起きてはみたものの朝食までの3時間をどう過ごすか困った。外は暗くて散歩も出来ない。
暖房のないロビーで新聞を読み2時間を潰した。外が白みかけた7時ごろ外に出た。空は雪雲に覆われ小雪が落ちている。


8時前の雲仙(国見岳、妙見岳)の遠望

9時ごろの千々石湾の眺め
9時ごろになって雪雲が切れ、時折太陽の光線が千々石湾を照らすようになった。
冷たい風は強いが天気は回復に向っているようである。
9時20分、集合場所の橘神社へ出発する。
橘神社からバスでハーフスタート地点へ10時40分到着。軽い準備体操をしたあと予定より10分早く10時50分にピストルの合図で歩き始めた。いかにも仰々しいスタートだなぁと思った。
スタート前に、主催者に断っているとはいえ、横断幕、ノボリ、を押し立て参加者全員揃って集合写真を撮るのは少し厚かましいようで気がひけた。
主催は、「健康ウォーク21」のようになり申し訳なかった。

ハーフ組の勢揃い

干拓堤防道路
時間の経過と共に天気は回復し、冬の陽が差してきた。
スタート地点から10kmは、干拓堤防道路をひたすら歩かなければならない。
変化に乏しい忍耐の長丁場になる。
左側コンクリート擁壁の上には有刺鉄線が張られ、干拓造成中(左側)への立ち入りを禁止している。有刺鉄線の長さも10kmあるから何とも異様な光景である。
諫早干拓は賛否両論のある中、いま佐賀地方裁判所の「工事一時中止命令」が出され建設機械の姿は見えない。
フルコースの中間点には、ぜんざいのサービスがある。7時スタートのフルコース組は11時前後に通過し、腹が減って最高のご馳走であり、エネルギー補給の地点となる。
ハーフ組にとっては、僅か1km足らず歩いただけで空腹感はないが、これから先の活力源としてご馳走になった。
冷たい風に吹かれながら、暖かいぜんざいは最高のもてなしてあった。
吹さらしの堤防で、接待してくれるスタッフのおばさんたちにお礼を言っておわんと箸を置いた。

ぜんざいサービス

干拓地の葦原
有刺鉄線の東側は干拓予定地で、堤防で締め切られたあとは潮の干満の影響はない。淡水化されつつある証拠は、この葦の生え具合からも推察できる。
締め切り前までは、シチメンソウ(はなまつな)の群生地帯であったが今はその面影はなく、ご覧の通り枯野ヶ原である。

遠望は五ケ原岳に麓は高来町。
10kmの堤防道路をやっと歩き終え、島原鉄道の踏み切りを渡り国道57号線に出る。
森山町田尻名の集落である。
チェックポイントで氏名と番号を告げるとスタッフが時間を記入した。覗くと12:57となっていた。10kmを2時間7分で歩いていたのだ。写真を摂ったり、景色を眺めたりしていた割にはまあまあの歩きではなかろうか。
近くのコンビニで昼食のおにぎりを買い求めた。
愛野大橋のたもとの土手で座り込んでTさんと二人で昼食タイムにした。
その間に何人もの人が追い越して行った。

31kmのチェックポイント

唐比(からこ)の集落と雲仙山系の稜線
昼食後は、有明海側に別れを告げ、橘湾へと唐比(からこ)に向ってゆるやかな坂を登って行く。国道251号線を横断し、まもなくして青く澄み渡った海と霧氷をいただいた山が見えてくる。
海は橘湾、山は雲仙山系の山々である。
この先、ゴールに向って海岸線沿いの平坦な道路に変わる。
平坦な道路は、軽便鉄道の軌道敷きである。愛野町から小浜町まで走っていた汽車は大正12年から昭和13年の短い間だった。
今は駅の跡を示す石造りの名盤が所々に建ててある。

軽便鉄道の駅跡

橘湾の海岸線
愛野から千々石にかけての海岸線は打ち寄せる白波と青い海のコントラストが実に美しい。
有明海の黄色に濁った海とは対照的で山一つ隔てただけでこうも変わるものかと自然の造形には恐れ入るばかりである。
北側は千々石断層の絶壁に遮られ、寒い北風は吹かない。南からの軟らかい風は海をなで潮騒を連れてやって来る。何とものどかな日和である。
この標識を見て、終わりに近づいたぞ、と精神的に楽になった。しかし、この先は国道57号線が緩やかな勾配で登りになっている。
これまでの平坦な鉄道跡地とは違って、足を持ち上げ進まなければならない。あと2km、時間にして30分頑張ればゴールできる。

40km地点の標識

完歩の喜びは笑顔となって
先着の皆さんの拍手で迎えられ、15時35分無事にゴールした。
健康ウォークの仲間は私たちのゴールするのを何時間も待っていてくれた。
全員揃ったところで記念写真を撮った。
ゴール地点の橘神社には世界一高い門松がある。
千々石町有志によって結成された「清福招来!千々石の大門松づくり実行委員会」によるものだそうである。
千々石町役場のホームペジによると、平成12年から平成13年にかけて橘神社大鳥居前に、高さ9.866mの大門松を建設。イギリスのギネスワールドレコード社に世界一の門松として申請し、平成13年6月18日に見事世界一の門松としてギネス世界記録に認定されたそうである。それ以来、毎年大門松は飾られている。

世界一の大門松

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