諫早公園界隈

10月から引き受けた『あえる広場』の店当番で中央商店街まで往復することが多くなった。片道歩いて45分。ちょうど良い運動である。

いつもは最短距離で地形的に高い所を歩いているがこの日は本明川沿いのコースに代えた。

本明川と高台にある我が家との高低差は30mほどある。下ること15分で川沿いに着く。

市街地の真ん中を二分して西から東へ流れる川に添って堤防兼用の道路をのんびりと歩いた。(2003・11・6)


県営バス・バスターミナル横付近では浅瀬で流れが速い。そこから7、8分も下ると見た目には流れは感じなくなる。諫早穀倉地帯の命の水を取水するための堰があり流れが止まっているからだ。水面に写った街並みが周りの喧騒とは裏腹にのんびりとしている。

写真右手の山は諫早公園。その下が山下渕である。昔はここが子供たちの水泳の場所だったと聞いている。

山下渕の大ナマズ伝説が公園橋親柱に刻み込まれている。(ビルのたもとに見えるのが公園橋)

『今から約400数十年の昔、西郷純尭が伊佐早を治めていたときのことです。本明川の山下渕に約4メートルほどの大きなナマズが住んでいました。

ナマズは神の使いとして崇められることもありますが、このナマズは渕の主(カッパ)の子をとったりしていろいろな悪さをしていました。怒った渕の主は、刀鍛冶の中村大蔵を訪ねると、錐を作ってもらい、それでナマズを退治しました。

そして渕の主は大蔵に諫早の川で遊ぶ子供たちを見守りつづけると約束したそうです。』

あんまり道草を食いすぎた。出勤時間の9時半に遅れそうだ。

公園にある眼鏡橋を右手に見ながら足早に歩く。

商工会議所と諫早高校の間にある散策路に差しかかるとレンガと落ち葉の組み合わせが綺麗だ。昨夜の雨で落ち葉もレンガもしっとりとして落ち着きがある。

この時期の雨は『秋雨、小夜時雨』というらしい。

シャッターを押しずに通り過ぎるわけにはいかない。

前半の店当番は午後二時まで、後半の人に引継ぎ、朝来たコースを戻ることにする。

帰りは時間に制約がないから気楽である。

朝歩いたコースを逆に帰ることにする。

レンガ道は乾燥して落ち葉は通り抜ける風に吹かれ運動会をしていた。

そこを通り過ぎると大悲観世音像が建っている。観世音像は昭和32年7月25日の諫早大水害の水難者を慰霊したもので像の前には四角の池がある。

池の水面に色付きはじめた銀杏が見事に映えていた。

水面には花を終えたスイレンが浮かび、またアメンボーも忙しく動き回っていた。

芝生広場の横にこんなものがある。

まだ新しい造りだ。いつの間にできていたのかという感じである。どうしてこんなものが・・・・?そのいわれが知りたくなるのも人情だ。

歴史的なものかと後日諫早郷土館に電話してみた。

館員も建物があることさえ知らなかった。調べた結果、市が井戸を掘り、ポンプ小屋のつもりで造ったのだと翌日返事をもらった。

公園の美観を考えてのデザインらしい。

諫早市のシンボル、眼鏡橋。

午後の陽が傾きかけていた。この老夫婦は井戸の建物を私が写しているとき杖をつきながらゆっくりと通り過ぎた二人である。

このような陽を小春日和というのだろう。

この二人の語らいが聞こえてくるようでもあり、今さら言葉にしなくても思いは通じる間柄?無言かもしれない。

老いの境地が少しは分かり始めた気がしないでもない。ここまで到達できるよう愚妻と共に長生きしたいと思って、後から写させてもらった。

しんみりとなってしまった。

公園にはこんな若者向きのオブジェもある。

説明の標板がなく、わたしにはネコに小判だ。解説があれば少しは興味が湧きそうだが残念・・・・。

公園橋まで戻ってきた。

橋の中央に歩道を広くして川を眺められるようになった踊り場みたいな所がある。そこには『ナマズ』の絵をかいた敷きブロックがはめ込んであった。

大ナマズ伝説に因んだものらしい。

午後から歩き始めて、ぶらぁとさるき、家に帰り着いたのは夕方五時近くであった。こんな時間つぶしも時には良いものだと思った。

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