一支国(壱岐)を訪ねて(3)
旅 行 日 平成12年10月21日〜22日 行 程 10月21日 諫早 ⇒ 呼子港 ⇒ フェリー ⇒ 印通寺港 ⇒ 錦浜 ⇒ 筒城浜 ⇒ 原の辻遺跡・同展示館 ⇒ 安国寺 ⇒ はらほげ地蔵 ⇒ 左京鼻 ⇒ 元寇の役古戦場⇒ 焼酎製造工場見学 ⇒ 民宿(泊り) 10月22日 民宿 ⇒ 岳の辻展望台 ⇒ 塞神社 ⇒ 春一番の塔 ⇒ 東洋一の砲台跡 ⇒ 猿岩 ⇒ 掛木古墳 ⇒ イルカパーク ⇒ 男岳神社の石猿群 ⇒ 印通寺港 ⇒ フェリー ⇒ 呼子港 ⇒ 諫早 |
呼子港⇔印通寺港航路 | 今回訪ねた名所古跡 |
民 宿 今夜の宿泊地、郷ノ浦の街に着いたときには日は暮れて商店街のネオンは輝いていた。1日の旅行気分が街の灯りを見た途端に日常の生活に引き戻されたような気分になった。 私が住んでいる街では、郊外に大型店舗ができ街中の商店街は歯が抜けたようにシャッターを下ろし、夜の灯りも途切れがちである。 しかし、ここ郷の浦は違っていた。活気がある。商店街全体が連続して照明で明るいのだ。今日一日中、人家といえば小さな集落しかない農漁村を走り回っていたせいで、街のネオンが都会的に感じたのかもしれない。 民宿『磯』に着いた。ここの娘さんが書いたというお相撲さんの肖像画が玄関から奥深い廊下まで何枚も掲げてあった。部屋には生物画、風景画もある。これらの絵画はみな娘さんが書いたものだということである。個展を見に来たような感じがした。 民宿はおばさん一人で切り回しているのか、その娘さんは翌朝出発するまで見かけなかった。 ひと風呂浴びてから夕食である。浴槽が一つで女性が先で男性は後からと決まった。夕食の時間に合うように入浴するには『からすの行水』しかない。私はいくら急いでも30分はかかるから寝る前にゆっくり入ることにした。 料理は期待していたとおり新鮮な魚で豪華版であった。地酒ならぬ地元の焼酎と刺身の美味さは旅の気分を一層倍加させてくれた。結局、ほろ酔いと満腹感でふろに入る気分は消えうせ床に潜り込んだ。 翌朝、朝食前にKさんFさんと3人で片道20分だと聞いて弁天崎公園まで散歩することにした。 民宿を出て県道らしい広い道路のところで通りかかったバイクに乗ったおじさんに道順を尋ねた。 昨日立ち寄った酒屋のご主人の話し振りもそうであったが、壱岐は長崎県でありながら長崎の方言は使わずに抑揚が美しい言葉だ。壱岐は経済圏が福岡だからかな、とも思ったが博多弁とも違うようである。バイクのおじさんの言葉には福岡、佐賀、長崎で聞く抑揚がなく聞き取りやすかった。 目印の御菓子屋さんを目指して下ったが行けども行けどもそれらしいところが見えてこない。時計を見ると尋ねてから10分は歩いた。距離にして1キロメートルになる。御菓子屋さんのある交差点に着いたときは15分が過ぎていた。左側を見て、すぐそこだと聞いていので探したが公園らしいところはない。時間が気になった。交差点を直進してすぐ近くに見える郷ノ浦橋に行くことにした。 橋の中間から下を眺めると郷の浦町の中心街が一望できる。官庁、学校などのコンクリートの建物が目立ち、商店街や人家が斜面にへばりついて群がっている。山の頂上まで家がある景色は長崎のミニ版を眺めているようだ。まだ朝が早いからであろう、車の動きもなく人影もなく1日の活動前の静けさである。 向きを変え外港を眺めるとフェリーが白波を引いて港ターミナルへ近づいている。ここからは船のエンジンの音も聞こえない。船は氷の上を滑っているような感じである。 朝食の時間までに帰り着くには、ゆっくり見とれているわけにはいかない。今降りてきた県道は民宿まで登り坂に変わる。足早に登った。さっき道を尋ねたバイクのおじさんが下ってきた。道を教えてくれた御礼のつもりで右手を上げて合図した。おじさんも手を上げ応えてくれた。 朝食の時間にやっと滑り込んだ。朝の散歩にしては少しきつい運動になったがそのぶん腹が減って自分のうちで食べる量の倍も食べてしまった。それは昨日Iさんが話した長崎県一美味しい壱岐産の米だったからかもしれない。 朝食の後荷物を纏めて玄関に出た。民宿の家の周りには、鉢植え、露地植え、生垣と色とりどりの花が咲いていた。昨夜チェックインするときには暗くてこんなに花の中に囲まれた民宿だとは知らなかった。 女性たちは花を見て廻り、なかなか出発しようとしない。マイカーの旅は自由で、時間の制約があってないようなところがいい。見たいところで時間を取り、時間がなくなればどこかを通り過ぎればよいのだから。 車に荷物を積み終わった後、駐車場の広場に丸い環になり、登山開始前に何時もやっているストレッチ体操を始めた。さすがは山登りの人たちである。 |
次回は「男岳神社の石猿群」です。
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