一支国(壱岐)を訪ねて(1)



旅 行 日    平成12年10月21日〜22日
行   程
10月21日
諫早 ⇒ 呼子港 ⇒ フェリー ⇒ 印通寺港 ⇒ 錦浜 ⇒ 筒城浜 ⇒ 原の辻遺跡・同展示館 ⇒ 安国寺 ⇒ はらほげ地蔵 ⇒ 左京鼻 ⇒ 元寇の役古戦場⇒ 焼酎製造工場見学 ⇒ 民宿(泊り)

10月22日
民宿 ⇒ 岳の辻展望台 ⇒ 塞神社 ⇒ 春一番の塔 ⇒ 東洋一の砲台跡 ⇒ 猿岩 ⇒ 掛木古墳 ⇒ イルカパーク ⇒ 男岳神社の石猿群 ⇒ 印通寺港 ⇒ フェリー ⇒ 呼子港 ⇒ 諫早


呼子港⇔印通寺港航路 今回訪ねた名所古跡


原の辻遺跡

オレンジハイキング仲間15人は、一泊二日で壱岐島一周めぐりの観光旅行に出かけた。顔ぶれはいつもと変わらないが、山に登るときの張り詰めた緊張感はなく、浮き浮きした気分で楽しい。

案内役は山行部長のIさんである。Iさんは十五年前にこの島に勤務したことがあり今回の旅行の企画はもちろん、自ら車を運転し案内もしてもらう。手づくりの計画は、観光会社のツアーでは観ることができない穴場まで行けるからありがたい。

呼子の港を出たフェリーは印通寺港に定刻の十一時五十分に着いた。船内で早めの昼食を摂って準備は出来上がっている。さっそく二台のワゴン車に分乗、第一の目的地、錦浜に向かった。

季節はずれのこの時期、海水浴場には人出はないだろうと思っていたが、砂浜では二、三十人の学生らしい若い男女のグループがテーブルを囲んでいた。畳四枚ぐらいのテーブルは、急拵えしたもので立ったまま調理ができる高さにしてある。


錦  浜

筒 城 浜

近寄ってみると三人の漁師さんがハマチの裁き方を教えているところだった。若者たちは慣れない手つきで恐るおそる包丁を動かし、刺身を作っていた。先生役の漁師さんはにこやかな顔をして手ほどきをしている。魚離れ傾向の若者に、少しでも魚の美味しさを知ってもらい、販路拡大に努めようとしているようだった。

ここから少し離れた筒城浜(ツツキハマ)は人気のない静かなところである。防風林の松林、ごみ一つない白砂、まさに白砂青松で弓なりになった海岸線は唐津の虹ノ松原を連想させた。

筒城浜から引き帰し、原の辻遺跡に向かう途中は平野部で田園が続き、あちこちに刈り取った稲が稲架に干してある。機械化が進み藁も小刻みにしてその場で肥料にしてしまう時代だが、ここでは懐かしい稲架の風景に出会え嬉しくなった。

「長崎県で生産されるお米では、ここのお米が一番美味しいと言われています」Iさんは車を運転しながら説明してくれた。今夜の食膳には美味しいここの米が出るかもしれない。

原の辻遺跡・同展示館では「一支国」の中心集落とされる原の辻遺跡から出土した弥生時代の品々にロマンを感じた。私は今年八月に出土したばかりの中国の古代貨幣「大泉五十」を見るのを今回一番楽しみにして来た。

「大泉五十」は新を建国した王莽(おうもう)(紀元前45〜紀元23年)の時代に初めて鋳造された青銅貨だという。大きさは現在使っている500円硬貨と同じくらいで中央は四角な穴があいている。

国内では福岡市の鴻臚館跡でも見つかっているのでこれは二例目だそうである。館内に備え付けのパンフレットによると、この貨幣がここから出土したことは原の辻遺跡が大陸との交流地点であったことを証明する資料として重要だということである。

もう一つ目を惹いたのは、紀元前一世紀ごろの船とクジラを描いた捕鯨線刻絵画土器で、近寄ってよく見ないとわからないような薄い絵であったが説明図と見比べてやっと判読でき感動した。展示館が入場料無料のうえに館内撮影禁止でないのは粋(壱岐)な計らいである。


原の辻展示館

船とクジラを描いた捕鯨線刻絵画土器


※ 4回シリーズで掲載します。 次回は「はらほげ地蔵と壱岐特産麦焼酎です。

旅日記へ