庭 の 松
平成13年5月24日
「来年はもう少し早めに芽摘みをしておいてくれませんか」
年末の庭の手入れを終えた庭師さんは帰りがけに言った。
「五月の連休ぐらいですか?」
私の問い返しに、そんなに早くでなくてもよいが、今年より半月ぐらい早くしてほしいとのこと。その時は、松の芽摘みをいつやったのか急には思い出せないまま、来年はそうしますと返事しておいた。
今年も、もう五月中旬になった。庭の新緑を眺めていて庭師さんとの約束を思い出した。去年の手帳をめくってみた。去年の松の緑摘みは六月十五日であった。いま摘めば約束した半月前に間に合う。
今から二十五年前に畑地を買って家を建てた。そのとき親戚、友達から貰った山出しの木を植えた素人造りの庭である。当時、植木として完成れた樹は五葉の松、マキノキぐらいで、モチノキ、モッコク、モミジなどは枝を落とした幹だけの山出しであった。黒松は長さ十センチ足らずの幼木を山で見つけ持ち帰ったものだ。
当時、幹だけが目立ち緑の少なかった庭も、二十五年が経った今は、枝が絡み合い雑木林のようになっている。また小さかった松は、脚立や足場を掛けて剪定するまでに成長した。
松の手入れは春と冬に二回やらなければならない。冬の手入れは樹形造りと古葉落しの技術がいるからプロの庭師にお願いし、春は新芽を摘み取るだけで素人にもできるから私がやっている。
新緑を掻き分け、板を枝に渡し、足場を組んでいるだけでもう汗ばんでくる。足場は幹の成長に合わせ高く組まなければならないから、この準備は一年ごとに大げさな仕掛けになってくるようだ。
庭木を集め楽しんでいたころはまだ四十代の初めで、枝が茂り緑で覆われた庭を想像して張り切っていた。そのころは二十年、三十年先、庭をのんびりと眺め楽しんでいる私の姿を描いていたものである。
しかし、世の中には老いてみないと分からないことや理解できないことがあるようだ。
これまでは屋根に登ることぐらい何の抵抗もなかった。それが年取ってくると自分の背丈より高いところに登ると、体が震えるようになった。一年ごとに高所恐怖症になっていくのがわかる。
松の芽摘みは梢まで上り詰め、見下ろす格好の作業で、梢の枝は幹が細く、ちょっとした体の動きで足場が揺れる。体が足場の揺れにバランスよく対応できなくて、恐怖心から体が強張る。踏ん張る足の震えが梢まで伝わってくる。緊張で手先より足腰に力が入って疲れてしまう。
認めたくはないが加齢による衰えをこのときほど思い知らされたきはない。この調子では今年までは何とか芽摘みができても来年できるかどうかは分からない。早かれ遅かれ高い所には登れないときがやってくるのは間違いないが、それがいつなのか。
怖い思いをしてまで松の芽摘みをするより、プロに任せてしまえば問題はないが、庭師さんに払う年二回の費用は年金生活には重くのしかかるからそうはいかない。
いっそうの事こと、根元から切り倒してしまえば恐怖心も費用のことも解決するではないかと『悪玉の私』は考える。
二人の子供は、どちらも十八歳で県外の大学に進み、家を出て行ったまま戻ってこなかった。それに比べると、庭の松はもう二十五年育ててきたから、子供たちより長い付き合いで、これからも私が生きている限り、一生ともに暮らしていく松である。
こんなに長く連れ添った松を「切り倒すなんて」と、一方では『善玉の私』が否定する。
庭の松は寿命が長い。これから私の何倍もの年月を生きていくであろう。だからといって、この松に私の老後を託すわけにはいかないのが残念である。