奇跡が起こった    

H13・5・9 快晴

 

『ねんりんスポーツ大会』開催の二週間前のことである。

「どうしてもメンバーが一人足りなくて困っています。このままだと今年は棄権するしかありません。勝負はどうでもよいのです。棄権しないためにどうか引き受けてください」

老人クラブの役員さんは、泣き落としにかかった。

毎日顔を合わせている近所の人ではあるし、断われなかった。

毎年五月に行われている諌早市老人クラブ連合会の『市ねんりんスポーツ大会』に、大会のイベントを締めくくる400mリレーの選手としての出場要請である。

現代の世相は、60歳代では『まだ若い』という意識が強く、60歳代で老人クラブに入会する者は少ないそうだ。私も『まだ若い』という気持ちがあり入会していない一人であるが・・・・。

リレーは、女性は年代の区別なしで3名、男性は70歳以上が2名、

60歳代が3名の計8名で、60歳代の男性一人が足りないとのこと。

とはいっても私は小学校から高校を卒業するまで、クラス代表としてリレーの選手に選ばれたことはない実績を持つ鈍足である。

「人数合わせでしたら、引き受けましょう」

 私の気の弱さから拒否できなかった。当日、雨天なら中止という話もあり、雨を期待して引き受けた面も多分にあった。

しかし、私の思惑どうりに天候はならなかった。昨日まで愚図ついていた空模様は、一転して久し振りの五月晴れになった。

いよいよそのリレーの時間が迫ってきた。各地区の代表選手が集合場所に集まってくる。こうして集まってくる面々を見ると意気込みが違う。男性は、全日本陸上選手権大会にでも出場するかのごとき出で立ちでユニホームがすごい。それに比べ私はジャージーのトレパンに長袖のTシャツ姿。

召集係が各人のコースと、走る順番を読み上げ確認していった。

私はどうせ人数合わせだから、と気楽に考え何番目を走るのか地区の世話役に尋ねもしていなかった。

ところが、何と私をアンカーで登録していたのだ。この期に及んで異議を申す時間はなかった。その時、私ごときをアンカーにして、やはりこのチームは勝負を諦めているのだな、と思った。

とにかく50mを走れば役目は終わるのだ。転ばないように、怪我をしないように、と自分に言い聞かせた。

ピストルの音が競技場に響きわたった。スタンドから大観衆(主催者発表で千人以上の参加者とか)の歓声があがった。コースごとにスタート地点が違うので誰が早いのかわからない。次々とバトンが渡され、第三走者が走るころになって、バトンタッチの早い遅いでチームの順位が分かるようになった。我がチームは先頭を争って走っているようだ。以外である。参加するだけで怪我をしないように、とあれだけ誓い合っていたのに・・・・・。

次々とバトンは渡され、ホームストレッチに来たときには、我がチームはトップになっていた。第7走者も頑張ってトップで私にバトンを渡した。そのとき二位のチームが2mばかり後に迫っているのが目にはいった。

ここまでみんなが頑張って、トップで走ってきたのに最後になって私が追い抜かれては、スタンドで応援している地区の人たちに顔向けが出来ない、と思うと頭が真っ白になった。

50mをどうして走ったのか覚えていない。ゴールを走り抜けた瞬間、前を走って行く走者がいないのを確かめ、初めて一位を守れたのだ、と安堵した。

集合場所に集まったときの、あの『参加するだけ』といった沈んだ表情の我がチームが、一転して手をたたいて喜ぶ姿は子供のようであった。
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