どちらも古い      H13・4・17

 

当然のように郵便局に行ってしまった。あとになって考えると、どうしてNTTだと気付かなかったのだろうかと、思い込んでしまっていた自分に呆れた。

それも相手に用件を話して「あっ!そうだった。ここではなかった」と行く先を間違えたことに初めて気付いたのである。

福岡にいる孫娘の三回目の誕生日が近づいていた。誕生日の十日前に祝電を打っておこうと行きつけの郵便局に出かけた。そもそも郵便局に行くのが間違っているが、私にしてみれば、何の疑いもなかった。祝電を打とうと思ったとき自然とそこに足が向いていたのである。

銀行からの引き出し、日用品、食料の買い物は、家内の仕事で、私は趣味に関した送金、小遣いの出し入れ、それに切手を買ったり手紙を投函したりぐらいしかやったことがいない。だから歩いて五、六分の特定郵便局を利用すれば私の日常生活はすべてここで事足りている。

ここは街外れの郵便局で、出入りの客も少なく、のんびりとしている。お客が私一人の時には気兼ねなく尋ね、ときには世間話もできる。

銀行や大きな郵便局ではほとんどが機械相手であったり、また窓口で尋ねるにしても順番のカードを貰って待たなければならないなど、あまり事務的で温かみがない。私はそれが嫌いで他の所には行きたくない。

ドアーを開け中に入ると、いつもの若い女性ではなく、カウンターに中年のおばさんが一人座っていた。

「祝電を打ちたいのですが」私の用件を聞いて、

「あのー、ここではテレックスはできますが、電報は・・・」

言いにくそうに控えめな言葉が返ってきた。

その瞬間、心の中で『ああ!しまった、ここではなかった』と叫んだ。汗が一気に噴出した。

「そうでしたね。行き先を間違えました。NTTでした」

できるだけ狼狽を顔に出さないように平常心を装って間違いを認めた。

「以前は一緒でしたが電報電話は別の会社に分かれましたもんね」

「そうでした。古い人間だものですら、つい昔のつもりで」私は頭を掻きながら笑った。

「わざわざ電話局まで行かれなくても自宅の電話から申し込めますよ」

中年のおばさんはあくまでも親切である。

家に戻り、105番へ電話した。

若い女性の声で「ありがとうございます。105でございます」早口で頭のてっぺんから声を出しているように甲高かった。郵便局のおばさんとはまったく雰囲気が違う。

こちらの用件を伝えた。

「それではご確認させていただきます」

何と、さくらの「さ」、いろはの「い」方式の文字の確認である。読み上げる言葉の早いこと、早口言葉そのものである。アナウンサーの試験じゃあるまいし・・・と思いながら、私は呆気に取られて聞き流していた。

「間違いございませんでしょうか」この最後のところだけはよく分かった。

「はい、それでお願いします」と言って、私はホッとした。

NTTの存在を忘れ、郵便局に出向いた私も古いが、さくらの「さ」、いろはの「い」も何十年も前から使われている。このIT時代でもまだ活躍しているのかと思うとなんとなく笑いがこぼれる。

それにしても、いろはの「い」も私のように古いなぁー。
            思記草に戻る