煩悩はどこまでも

平成12年秋に始まった『諫江八十八ヵ所巡拝・弘法大師の修行に学ぶ遍路体験』にまた参加した。これで六回になる。

今回は、隣町森山町に点在する第52番札所から第56番札所までの五ヵ寺だが歩く距離は16kmにもなる。

巡拝の16kmはどうしてか気が重い。山歩きは少々暑くても寒くても苦にならないのに・・・。

山歩きは、落ち葉の道、やわらかい土の道、こもれびの道と身体にやさしい。巡拝の道は舗装された路地や農道が多く、木陰も少なく疲れやすい、これが苦行、修行かもしれない。

信仰心が薄く、いまだに般若心経も唱えられないにわか巡礼者は、このように不満たらたらでは巡拝の資格はなさそうである。心苦しい思いがしなでもないが、見知らぬ土地を歩くのが好きで巡拝の一員に加えてもらっている。

「巡拝の旅ごとに、煩悩の荷物を降ろし、心を清らかにして彼岸に達したいものです」と今回の案内状にあったが、私の煩悩の荷物は一向に減りそうにない。

島鉄・森山駅前広場で自然保護協会々長さんのご挨拶。
この方はご夫婦で、四国八十八札所を『歩き遍路』で巡拝し結願された方である。そのときの様子(心境)を札所ごとにお話ししてくださる。
通り掛かりの高い石垣に珍しいものがあった。手を伸ばしても届かない位置の自然石を積んだ隙間から垂れ下がっていた。同行の方に尋ねたら「アオイタビ」だと教えてもらった。
それは私の聞き違いで「オオイタビ」が正しかった。
インターネットで正しい名前を教えてくれたハンドルネーム『Wolf』さんによると、イチジクの仲間で、クワ科イチジク属の木だという。まだまだ知らないことがたくさんある。

 
井牟田盆地は、陥没カルデラ湖といわれ、二反田川が北の外輪山を破って流れたために湿地状態になり、今は農地となっている。諫早平野とは標高差で100m近く高いところにある。
右は二反田川、すでに刈り取った麦わらを燃やしているのだろうか。遠くに煙が上がっていた。昔は田圃の煙はいたるところで見られたが、このごろはなかなかこんな風景に出会えない。
いかにも麦秋といった感じである。
第52番札所・伊予国「大山寺」、第53番札所・伊予国「円名寺」は上井牟田の氏神さん熊野神社の境内にある。
お参りを終え、急な階段を降りついた所の畑の隅に、こんなきれいな花が咲いていた。
たぶんこれは「にんじんの花」に違いない。

札所から札所への歩きの途中には、野イチゴがあちこりに熟していた。
予定の時間が遅れ、正午を過ぎても歩きつづけた。十三時ごろ、腹が減って元気が出ない。足を止め、イチゴをつまんで口に入れる。腹のたしにはならないが甘い物を口にすると元気が出たような気分になる。
ここは56番札所・伊予国「泰山寺」
ご覧の通り、祠があるだけで広場がない。
舗装された道路以外の山道を歩いたのは、ここら付近だけであった。厚い落ち葉の上を歩き、、樹木を掻き分け、この札所に辿り着いた。森の中を抜けると真向いに雲仙岳、近くには橘湾が眺められる。
島原藩主が長崎へ向う途中、ここでひと休みした場所で『休屋弘法堂』というそうである。
すぐ下には、唐比(からこ)の湿地・ハス園が広がっている。
第53番札所・伊予国「延命寺」
唐比(からこ)の天満宮境内にある。
灯明と線香をあげた後、みんなで般若心経を唱える。


帰りに田尻名の「五穀さん」(五穀岳136・8m)に登った。
八大竜王など五穀豊穣と海神鎮護を祈った石の祠が山頂にはある。
展望台から北の方角、諫早湾の景色。黄色に色付いた平野は、諫早平野の南端愛野町。画像の右端から左へ雲仙岳の稜線の裾野が有明海に滑っている。
左端の水面の先にかすかに見えるのが諫早湾締め切りの堤防。
霞んだ中に、かすかに白いものが確認できる?これが南側の排水門。

森山駅を朝9時30分に出発、16kmを歩きとおして午後4時10分私鉄・『釜の鼻』駅に着いた。
みなさんは『煩悩の荷』が軽くなっただろうか?
(参考)
諫江八十八ヵ所とは、『諫早12代領主茂洪公が文政8(1825)年に、四国八十八ヵ所霊場になぞらえて諫早領内に諫江八十八ヵ所霊場を勧請されました』と主催者の諫早自然保護協会からいただいた案内状に記されているとおり、諫江八十八ヵ所霊場は旧諫早領内のあちこちに勧請された札所である。

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