ギョロ目の怖さ
肉と言えばニワトリと塩クジラの肉しか食べたことがなかった時代の話である。 小学校4年か5年の頃だったと思う。そのころ田舎の学校では授業はそっちのけで、田植えの時期には苗代に蛾の幼虫取り、田植え、秋には取り入れと一年中農家の手伝いが多かった。 稲の取入れが終わった或る日、小学校高学年全員が山に団栗拾いに出かけた。椎の実、団栗の実、食べられる木の実は何でも拾えというわけだ。 遠足でもない遊びでもない真剣な作業だった。出発前に運動場に集合、校長先生は、たぶん、戦地で戦っている兵隊さんの食料になるから少しでもたくさん拾ってくるように、と言う意味の訓示があったと思う。 盆地の中の小学校はどちらを向いてもすぐ近くは山。学級ごとに四方に散らばり山に向った。 目的の山に着くと、担任の先生が4、5人ずつグループ分けして拾う範囲を決めた。 先生の目が届かないところまで来ると、農作業の手伝いと違って、山の中を飛び回るのは面白くてたまらない。適当に拾ってチャンバラごっこをはじめた。 先頭を走っていたY君が立ちすくんだ。あとの4人もそこに集まって来た。 思わぬ光景にみんな声も出なかった。そこには牛の頭が転がっている。鼻から口にかけては皮も肉も削り取られ歯はむきだし、角の辺りは黒い毛がそのまま残っていた。 そのことを先生に報告したかどうかは記憶にない。学級全員がその場に行った記憶がない。先生に報告しなかったのか、報告しても大騒ぎにならないように先生が握りつぶしたのかその辺のことは忘れてしまった。 それからというもの、食事のたびにあの光景が浮かんで食欲はなかった。一番困ったのは、夜中一人で小便に起きられなくなったことである。農家の便所は本家から離れた場所にあり、真っ暗な庭に出なければならなかった。 牛のギョロ目に怯えながら、床の中で小便をこらえた。たまらなくなって隣に寝ている祖父をゆり起こして付いて来てもらう日が何日も続いた。 敗戦まじかの食糧難の時代。部落民たちが密殺して肉を分け合って食べたのではないか、と今でも想像している。 |