日 記 帳  

きのう来年の日記帳を本屋さんまで買いに行った。

私の日記帳は何処にでも持ち歩きが出来るポケット型の小さなものである。日記帳というよりはメモ帳といったほうが良い。

現役の時にはノート型の大きなものを使っていたが、仕事を退いてからこの小さな日記帳に切り替えた。

本屋さんまで歩いておおよそ20分、歩きながら去年日記帳を買ったときのことを思い出し、もう一年が経ったのかと改めて一年という時間の早さを感じた。

若い時と年取ってからの一年の受け止め方は異なるようだ。学生時代、嫌いな学科の50分授業が長かったこと、また家の手伝いを嫌々ながらするときの一日の長さ。それに比べ、一時間、一日という単位があっという間に過ぎ去るこのごろ。

 この感じ方の違いはいったい何処から来るのだろうか。人生の終着駅が見え、それまでにあれもこれもと、やりたいことが多すぎ焦っているためなのか、それとも好きなことだけが出来る今の時間が楽しいためなのだろうか。

仕事を退いて、これからの長い老後をどうして送ろうかと一時期心配したのが、現在はおかしなくらい退屈知らずである。

行事予定の書き込みは、先ず一番早いのがハイキングクラブの山行予定で2ヶ月前、次が町内会やシニアネットの行事で1ヶ月前になる。あとはその都度発生する付き合いを空白に埋めてく。

日記帳に書き込んでしまうと安心してか見事に予定は忘れてしまう。会話の途中で日記帳を取り出し、その日が空いているかどうかを確かめないと約束が出来ないから常に持ち歩き手離せない。

その日の記録は必ず記帳してはいるが、心情的なものは省いている。それは何処で紛失し、誰に見られるか分からないからである。だからと言って別に大きな日記帳を買い込み、その日の思いを書き残すエネルギーは失せ、億劫さだけが先走っているこのごろである。

もう新しい日記帳には1月の予定を書き込んだ。

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