金毘羅岳(263.1m)からの眺め(2)
H14・5・12 快晴
金毘羅岳の山頂に着いた。鳥居とは違った形の石門をくぐると正面は平らな広場になっていた。よく見ると柱の土台石が残っており、その配列から当時の建物の大きさを偲ぶことができる。
この寺は、性円寺という大権現の別当寺で江戸時代は諫早家代々の祈祷所であったが明治以後は領主の保護がなくなり門徒をもたない寺ゆえに朽ち果ててしまったそうである。
寺の前庭にある大きな井戸は縁取りの石がそのまま残っておりいまでも水をたたえている。263mの山頂に掘られた井戸がいまだに枯れていないとは不思議である。
50番札所 |
寺跡から南東方向に歩いて行くと上宮がある。寺跡と上宮の中間に50番札所はあった。高い台座の上に赤い前掛けをして座ってござる。雨露を凌ぐ祠の中のお大師さんが多いなか、この50番札所は祠も何もない。俗人の私から見ると可哀相で淋しげに感じたがお大師様ご本人の心境は如何なものだろうか。
灯明と線香をたむけお経を一同であげお参りをする。
小野の金毘羅さんは、「金毘羅山鎮護大権現」となっており、諫早地方鎮護の神様として、この地方の領主が勧請したものらしいとの解説あり。
この神社を取り巻くようにして、三十三観音が祀ってある。観世音菩薩は、三十三に身を変えてこの世に現れ衆生を救ってくださるそうである。
有明海と諫早干拓 |
金毘羅さんにお参りして、なお南東に進むと視界が開ける。東の方角に、今話題の諫早干拓が一望できる。新しく陸地になった干潟地は緑に覆われ、従来の干拓地は黄色に色付いた麦の平野で対照的である。
ここ山頂からの眺めでは、農水省と漁民の対立があるなんて想像だにできない平穏でのんびりとした風景だ。
かすかに潮受け堤防の門柱が両端に見え、今短期調査のために潮の満ち退きを利用して開門されているはずであるが短期調査の結果が長期調査にどうつながっていくのか対立はまだ当分続きそうである。
眉山(左)平成新山(中央)妙見岳(右) |
少し右の方向に目を移すと島原半島の眉山、平成新山、普賢岳が見える。今日の山々は雨で洗い清められた空間のおかげで、はっきりと近くに感じる。
少し降りたところに大岩があり、これを「八天狗」として祀ってある。ここも南東の山々が一望できて素晴らしい場所だ。
この山の西の山麓には屹立した巨岩に「南無観世音菩薩」と刻んだ「いわんどんさん」と親しまれている石もある。この岩のそばに51番札所がある。ここに参拝するには一旦下山して回り道をしなければならない。
このあたりの山一帯は山岳修験の霊場であったと言うことである。
下山して麓から見上げた 「いわんどんさん」 |
説明を聞いていると、その時代にタイムスリップしている自分がいる。現代人が住みやすく手を加えた現風景であっても、マクロな山の姿や海の入り江は、古(いにしえ)と変わっていないであろう。
古の人々もこの位置から同じ眺めを見ていたのだと思うと、そこに立っている自分が古代人にすり代わってもおかしくはない。
同じ山に登るにしても、目的によって感動は異なり、また違った満足感が生まれてくるようである。
ハイキングクラブの里山歩きは、森林浴をしながら適当に汗を掻いて、山頂からの眺めに満足するといったところだが、史跡を訪ね、説明を聞きながら登ると当時の人間になったような錯覚を起こすから不思議でもあり、楽しくもある。
(完)
※参考文献 当日いただいた説明資料から