ほ た る  

          H14・5・17

「クリスマス・ツリーのようだった」

数日前に蛍見物に行ってきた人の話しである。行ってみたいと気は焦ったが雨で行けなかった。

昨夜(16日)念願が叶った。場所は真崎川の中流である。

夜八時から三十分ぐらいが最も多いと聞いていたので八時十分前に着いた。もうすでに光を点滅させ川岸の草むらから湧きあがるように舞いあがっていた。

4、5年前、河川改修で川幅が広げられたのであてにしていなかったが下流から上流に向っておおよそ300mにわたり乱舞しているではないか。その数五、六百いや千匹はいるかもしれない。

蛇行した川の流れに沿って妖光が点いては消える。揺れるようにして舞いあがりながら岸の樹木の方へと飛んでく。なかには流れ星のように一直線に横切る蛍もある。樹木にたどり着いた蛍は動きを止め、鈴なりになって光を発している。たぶん「クリスマス・ツリーのようだった」とはこの情景を言ったのであろう

 意外なことに気付いた。樹木に止まった蛍も飛んでいる蛍も、ひとかたまりの群をなしたように一斉にあかりを放っては消えている。その群は2、30mおきにいくつも出来ていた。大きな集団になって光っては消え、消えては光る。そのタイミングは隣同士の群と一緒になることはない。首を左に右に振りながら飽きることなく眺めた。

家族連れが何組もあり、旦那は三脚を据え写真に夢中、蛍を追っかけ回す子供の後から「危ないよ、あぶないよ」とついてあとを追う奥さん、しゃがみこんで無言のまま動かない老夫婦、それぞれの姿がある。

限りなく繰り返す点滅に見惚れているうちに、いつしか、蛍籠を買って貰えずにネギ坊主の茎に捕まえた蛍を入れていた幼いころを思い出していた。また蚊帳の中に放ち、寝転んで見ていたこともある。60年の歳月は流れてしまったが蛍を見るときめきはあのころと少しも変わらない。

懐中電灯で腕時計を照らすと八時三十分になっていた。そのころから幾分数は少なくなったように感じた。

川岸から離れ、向きを変えて階段を登りはじめた。蛍の妖光は消え、代わりにこれまで意識しなかった、せせらぎの音と蛙の鳴き声が現実の暮らしへと引き戻していった。

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