いったい何語?
平成12年1月5日
日本では、犬を訓練するとき「お手」「お座り」と人間の言葉、いわゆる日本語で教える。飼い猫も同じように日本語を使って躾けている。外国でもそれぞれのお国言葉でペットを躾けているであろ。
野生の動物は、元来それぞれに自分たちの言葉(音声)を使い分け生活しているに違いない。ところが人間に飼育されている犬や猫は、自分たち本来の動物語のほかに人間語まで覚えなければならないから大変だ。しかも人間の言葉を聞き分け共生できるから偉い動物だと私は感心する。人間は動物より賢いというが、日本語以外は覚えられない私は、飼い犬や飼い猫より劣ることになる。
もう五十年も前になるが、中学生のころ、牛を農耕に役立つように訓練をしたことがあった。終戦後の食糧難の時代で、農業は当時花形産業であった。でも耕運機もトラクターもない昔ながらの牛馬と人手に頼っていた農業である。
農家の長男に生まれた私は、当然のように家の跡取りとして子供のころから百姓の手伝いをさせられた。親は手伝いというよりも一人前の百姓に早く仕込もうというつもりだったに違いない。
農家はほとんどの家で牛を飼っていた。農耕の使役のためである。私の家には子牛がいた。乳離れしたばかりの子牛を買い、田起こし、代掻き、荷車引きなどのコツを仕込み、三年経ったら成牛として博労に売り、その売ったお金を元手に、また子牛を買う。そこで生まれた差額が貴重な現金収入として生活を支えていた。
子牛の訓練は、まず牛を先に歩かせ御者が後について、ゆっくりと歩かせる訓練から始める。これが大変根気がいることで人間の思惑どうりにはいかない。それもそうであろう。母牛と一緒のときは縄で括られることもなく自由に飛び回り、親と引き裂かれ売られた先では牛小屋に閉じこめられてはいたものの、一応は自由のみであったのだから。
牛にとっては、鼻輪から手綱を通されたこと自体が不自由で迷惑であることは間違いない。御者が牛の尻の方にいても驚かないように慣れさせ、落ち着いてゆっくりと歩くようになれば第一段階の訓練の終了であるが、慣れさせるのに一週間から十日はかかる。
その次に教え込むのが「右左」に曲がる訓練である。ここからは手綱さばきとかけ声で仕込んでゆく。牛を先に歩かせ、人は牛の後からついていく。手綱は頭から鼻輪に通し、牛の鞍の右横を通して牛のお尻のところに持ってくる。
左に行かせようと思うときには、「トウ、トウ」と叫びながら手綱で右横腹を小刻みに叩き合図する。このとき手綱は余裕を持って長く握っておかないと、鼻輪が引っ張られ牛は右に曲がってしまう。
右に行かせるのは簡単で「ケシ、ケシ」と言いながら手綱を引き寄せ、鼻輪が右に向くように強く引けばよい。止まれの合図は「ドー、ドー」と言いながら手綱を弱めに引っ張るだけだ。
これだけの躾だから簡単なようだが、人間と動物の駆け引きは、人間が自分の子供に教えるように思いどうりにはなかなかいくものではない。何日も同じことを繰り返し繰り返し覚え込ませるのである。
牛も気分屋で思いどうりに動いてくれる日もあれば、すねて抵抗する日もある。「覚えたか!」と怒鳴っても大きな目玉を瞬きもしないで聞こえませんといった顔をしている。それは訊く人間の方が間違いで、人間語が分からないのだから当然である。それは分かっているのだが、つい短気を起こして人間語で怒ってしまうのである。
このごろは無職で暇人になったせいか、ふるさとを懐かしむ日々が多くなった。
中学生のころ、牛と一緒になって田圃を耕し、苦労したことが懐かしい思い出として蘇ってくる。回想に耽っていて『アレッ?』と疑問が湧いてきた。
あの時、ただ父親の真似をして「トウ、トウ」「ケシ、ケシ」と声を張り上げて牛を追い回していたが、いったいあれは何語だろうかと………。
左がトウで右がケシ、日本語ではなさそうである。では牛語だろうか。牛語だとすれば、最初に牛語を聞き分けた人物は誰だろう。
「トウ、ケシ」は日本全国通用するのか。それとも一地方の方言みたいなもので、たとえば私のふるさと佐賀県で育てられた牛が、鹿児島県に引き取られて働くとしたら、鹿児島地方独特の別の言葉を覚えなければならなくなる。
また日本で訓練された牛が外国に売られ、その国で働くと別の言葉を使うだろう。
年甲斐もなく心配し悩みは尽きないこのごろだが、こんな悩みがいくらかでも痴呆防止になっているのかもしれない、一人で満足しているこのごろである。