年賀状の添え書き
年賀状をしたためる時期になるといつも文章をどう書くかで頭を痛める。年に一度だけしか出さない人には、お詫びを兼ねて心のこもった文章に纏めようと力んでしまうからだ。
あれこれ考えた末に『平素のご無沙汰をお詫び……』と、結局はこんな調子のものになってしまう。これでは毎年同じような文面で変わり映えがしないし、書く方も貰う方もおもしろくない。かといって気持ちを伝えるのにほかによい文章が浮かんでこない。
ある新聞に、プロの作家だから、詩人だから名文を書くだろう、と一般の人は期待するだろうがそんなことはない。と、作家の村田喜代子さんは例を挙げて書いていた。
いい詩や鋭い評論を書く詩人の長男が結婚することになった。そこで心のこもった手作りの結婚式をやろうということで母親であるその詩人に、披露宴の席で、人生の旅立ちをする息子に、母親としてはなむけの言葉を贈ってくれということになった。詩人だからさぞ名文を披露してくれるだろう、と周囲は期待していた。ところが、彼女の文章は何の変哲もないまるで平凡なものだった。
『◯◯ちゃん。結婚おめでとう。どうか病気をしないよう、体に気をつけて、車の運転にも気をつけて暮らしてください』これが四十数年間、詩を書いた人間がここ一番に作った文章だった、と。
村田さんは、思い極まれば一つに収斂するのだ。あれやこれやはなく、ただ一語に尽きてしまう。本当に心を込めると、気の利いた言葉や、形容詞は消えて、文章は素朴で平明になっていく、と結んでいる。
では『平素のご無沙汰をお詫び……』式でも心がこもっておればよい?わけである。
しかし、たとえ真心がこもっていても、受け取る側としては毎年同じような文章では、義務的に書いている、としか受け取らないのではないかと、書く私の方が思い悩むのである。
そこで、もらった年賀状を取り出し読み直してみた。
「昨年できたことが今年は駄目といった調子です」と書いた元職場の七十五歳になる女性は、現役の時はてきぱきと仕事を切り回し、要領が悪くてもたついている私に、よく発破をかけていた人である。年ごとに体力が気力についてこない苛立ちを私も理解できる年齢になっており、納得しながら複雑な心境になる。
高校の先生を定年前に退職して絵画教室を開いている同級生は、「パソコンいかがですか?小生のは、絵の方が忙しくてホコリを被っています」と書いている。二足の草鞋を一つに絞って張り切っている様子が伝わってきて、羨ましい限りである。
八年前まで私と一緒に役所勤めをしていた若い女性は、大きな「迎春」の赤い版画文字の下に『お元気ですか。春に母になる予定です』と小さな文字で遠慮がちに書いている。当時のおとなしさがそのまま表れているが、小さな文字とは対照的に明るい大きな希望を含んだひと言である。
どれもはがきの余白に、ちょっと添え書きしただけのひと言だが、それでいて一人一人の近況と気持ちが伝わってくる、よい添え書きである。