家族待合室       

 弟(次男)が国立病院に入院していると実家から知らせがあった。以前から入院していたらしいが本人の希望でこれまで入院していることを伏せていたそうである。

いよいよ手術の日程が決まったから、手術前に一度会っておいた方がよかろうと実家に住んでいる弟(三男)から連絡があった。

手術予定の三日前に病室を訪ねた。心臓の根っ子の大動脈を人工パイプと取り替える手術だと聞いて心配して病室に入ったが本人は以外と明るい顔であった。

諸々の事前検査と輸血用に自分の血液を800t採血したせいか心持ち顔色が白く感じられた。先ほど病院内の床屋で散髪を終わったばかりだという頭は、いつもより短く刈上げ、少し違った感じの顔になっていた。しかし、気落ちした様子は受けなかった。

ベッドの上に座り、担当医から手術の手順を詳しく説明してもらっているらしく、そのときの絵図を取り出し説明した。私に説明することで自分にも、もう一度言い聞かせているのではと思いながら私は聞いていた。

「手術室に朝8時に入り、夕方5時には終わる。99%大丈夫とのことだから安心しているよ」執刃医を信頼しきった言い方だった。

私は、「当日また出てくるから頑張れよ」と手をあげ病室を出た。駐車場に戻りながら「99%か、あとに1%にならなければよいが・・・・」ついこんなことを考えていた。

小春日和が続いていた11月下旬だったが、手術の当日は急に寒波が襲ってきた。私は風邪気味で、手術直前に弟に会うことは遠慮し、午後1時ごろ手術の家族待合室にやって来た。弟の家族、私の兄弟など6人は朝から来ていたという。

朝からの経過を尋ねたら「何の報告もない」と弟の嫁さんは言った。何にも連絡がないということは順調だという証拠だよ、と慰めた。

待合室には、別の家族も同じように5,6人が待っていた。私が来てから二組の手術が行われているらしく、それぞれの関係者が新たに入ってきて20人ばかりに膨れあがり座席はふさがった。

スイッチが入ったままのテレビはなにやら映っていたが、ひそひそ話をしたり、目をつむったりして誰もテレビを見ている様子でもなかった。

私はテーブルの上にあった週刊誌を読み始めた。文字を目で追いながら何となくページをめくり、ときどき時計を見ては時間の進行が遅いのに退屈した。

夕方4時ごろになって、朝から一緒に待っていた別の家族が、手術が終わったと知らせを受けて出て行った。あと一時間もすれば今度はおれ達の番だな、と少し緊張してきた。

予定の5時になった。待合室の窓越しに手術室から出てくる看護婦さんの姿を見ては終了の知らせではないかと期待したがそのまま通過してしまった。

弟の嫁さんは、堪り兼ねて待合室を出たり入ったりして知らせを待った。

予定を一時間が過ぎても何の知らせも届かなかった。

手術室から出てきた看護婦さんがドアーを半分開き「○○さん、終わりました」と呼んだ。その名前は別人であった。その関係者はぞろぞろと部屋を出て行った。

あと残ったのはふた家族だけである。冬の陽は落ちて、ガラス越しに暗くなった夜の気配が伝わってくる。部屋の蛍光灯の明るさが目立って昼間の部屋とは違った雰囲気になった。テレビは夕方のニュースを流している。いつものこの時間には夕食を摂りながらニュースを聞いていた。

経過説明をしますから二人だけ手術室まで来てくださいと声がかかったのは7時近くであった。終了したという知らせではなく、経過説明とは?悪い予感が走った。嫁さんと長男が看護婦さんの後に付いて出て行った。

人工ポンプから自力運転に切り替えたが出血が止まらないので縫合する状態にない。出血がいつ止まるのかはわからないからもうしばらく待って欲しいとの説明を受けて二人は戻ってきた。とりあえず自分の心臓が動き出していると聞いて峠は越えたと安心した。

まもなくしてもう一組の家族は「終了」の知らせで、この部屋を後にした。一番早く来ていた私達の家族・関係者だけになってしまった。

健康な身体は時間が来ると空腹を感じる。いつもの夕食時間より一時間も過ぎているから腹の虫が催促しているのだ。

そのとき、手術をしている医師や看護婦さんは朝から手術室に入ったきりであることに気付いた。昼の食事は?これからの夕食は?手術をしている人たちの食事はどうなっているのだろうか・・・・・。

私たち兄弟の一番末っ子(四男)の嫁さんは、この病院に看護婦として働いている。
 いまは病棟勤務だが以前手術室勤務をしていたことがあったことを思い出した。その嫁さんは今日の昼間の勤務を終え、夕方から一緒に待合室で待っている。

「ちょっと尋ねるけどね。先生や看護婦さんは朝から手術室に入ったきりだけど昼食や夕食は何処で食べるの?」

「別に食事は摂りません。栄養ドリンクなどをストローで飲んだりします。水分をあまり取りすぎると排泄が起こりますからできるだけ少量にとどめます」

「長い時間立ちっ放しで、食事も満足にできないとは体力勝負の重労働だね」
「大きな手術は神経を遣ううえに、体力の消耗が激しくて大変な仕事です」

ただこうして待合室で黙って待っているだけでも疲れる。早く終わらないかな、と自分のことだけを考えていたが、もっと厳しい環境で懸命に頑張ってくれている医師団を改めて認識した。

弟が「手術室に朝8時に入り、夕方5時には終わる」と見舞った時に言った言葉を思い出た。たぶん医師団も夕方5時には終わるつもりであったであろうに、すでに12時間が過ぎ、まだ見通しがつかない。その長い時間、ドリンク程度の栄養補給で大丈夫だろうかと、手術を受けている弟のことより、そちらのほうが心配になってきた。

「執刃医は若い方たちね」
「40代、50代のほかに、きょうは60を超した先生もいらっしゃると思います」

この話しを聞いてびっくりした。外科医というのは体力と気力がしっかりしていないとできない仕事だなあ、とつくづく感じた。

医師団には申し訳ないと思いながらも、交代で夕食を摂りに帰ることにした。

11時30分、待ちに待った知らせで待合室から出ると、手術室からストレッチャーに横たわった弟が運ばれてきた。諸々の装置に囲まれ、頭と目の部分だけを残しあとは白い覆いにくるまっていた。その後からぞろぞろと家族は集中治療室まで付いて行った。

しばらくして主治医の部屋に呼ばれ経過説明があった。
 50代前後の体格のよい先生である。説明する声に元気があり、ドリンクだけで長丁場を持ち応えた体には思えなかった。

「手術の経過を写真で説明しますが奥さん写真を見ても大丈夫ですか」
 弟(次男)の嫁さんがうなずくと、パソコンに写真を映し出し、大動脈の肥大した摘出前の状態と、人工血管に交換した状況写真を交互に切り替えながら説明された。

「順調に進み、これでは予定より早く終わると思っていましたが、人工心臓から本人の心臓に切り替えたところ、右側の冠動脈の働きが弱く回復に時間がかかりすぎ、急遽、足の太ももの血管を取りバイパスを作りました。これに余分な時間がかかっていまいまいた。再び自力の心臓に切り替えたところ、出血がひどく治まるまで様子を見て縫合したので長くなってしまいました」
 写真と心臓の模型で素人にわかり易く丁寧に説明された。

冠動脈とは、心臓全体に張り巡らされて、心臓自体に栄養を供給している血管だそうで、大動脈から右と左に出ていて、右は右心室、左は左心室に分布しているそうである。

「もう大丈夫です。明日の明け方意識が戻ると思います。安心してお帰りください」説明を聞き終えたとき夜中の12時を時計は指していた。

こうして15時間におよぶ心臓手術は無事に終わった。

病院の外に出てみると、冬の夜空は雲間から半月の光が降り注いでいた。先ほどまで時雨れていたのであろう、駐車場も車も雨に濡れ、フロントガラスの雨滴は冷たく輝いていた。エンジンをかけ静けさを破り家路に向った。
                        H13・11・29

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