江の浦をあるく

諫江88ヶ所巡拝
2004・10・24

平成12年秋に始まった『諫江八十八ヵ所巡拝・弘法大師の修行に学ぶ遍路体験』にまた参加した。これで8回になる。

今回は、隣町飯盛町江の浦に点在する第61番札所から62,63,59,58,57,60番札所までの6ヵ寺を巡拝した。
巡拝とはいっても、私の場合には初めての土地を見て歩くのが目的で信仰のほうは二の次である。企画・案内していただいた方に申し訳ないと心苦しい思いをしながらおおよそ20Kmの道程を歩き通した。


今日の巡拝のスタートは八天狗大鳥居のある土師の尾バス停。
9時バス停集合。参加者は30名、いつもは60名ぐらいになるが案内状に行程約18キロを巡拝するので足慣らしをしておくようにと注釈が付いていたためか参加者はいつもより少なかった。
30分のミーチングの後出発した。
鳥居正面の向こうに見える山の裏手が第61番札所になる。
犬の豪邸

本州では、今年熊の出没で怪我人が出るなど事故が起こっている。
歩きはじめてまもなく、道路脇に廃車の軽トラックが置いてあった。
集団で歩く足音に気付いたのか黒いものが窓からヌーと顔を出した。熊ではないかと驚くほど大きい犬であった。
クサリでつながれていたので安心。
車の中は、座席を取り払い広々とした犬小屋になっていた。。
第62番札所、伊予国天養山宝寿寺の弘法さんと並んで祠があった。
祠に献上してあるのは、子供のころに見た牛に履かせる草履である。もうすっかり忘れていた道具?で懐かしく眺めた。
牛が農耕の使役として働かなくなった現在では履かせることはない。
これを見てすぐ何だか分かるのは70代以前の高齢者だけではなかろうか。
後世に伝え残したい道具の一つである。
狛犬さん

第61番札所、伊予国天養山宝寿寺と同じ境内にある志賀神社は、水の神、豊作の神として崇拝されている。
いかめしい形相につられてシャッターを押した。
江の浦佐田名の熊野神社
正面に畳一畳の大きさの絵馬が2枚掲げてある。明治39年の神殿・拝殿改築時に奉納されたもので金子海堂の署名がある。
おおよそ100年の時を経て色落ち剥離の痛みが激しい。
熊野神社の天井絵
金子海堂が描いた天井絵だろう。
神殿・拝殿改築時のものだろうからこちらも100年は経っている。
飯盛町の文化財に指定されているとのことだがこれ以上の傷みを防ぐ手立てを施してもらいたいものである。
この急な階段を登り着いた高台に下釜神社と第58番札所・伊予国作礼山仙遊寺はある。
階段は68段しかないが急坂で息が弾んだ。
階段を登ると本家四国88ヶ所を巡拝しているような気分になってくる。
階段を登り着いて振り返ると江の浦の港が見下ろせる。
正面港は船津名の集落、高い丘は後田名で古代にはこの丘陵地は牧場だったという。
現在は畑となっている。
下釜の集落は崖と港に挟まれ、狭い平地に肩を寄せ合って家がひしめき合っている感じだ。
生活道路も軽自動車がやっと通れる巾で、車と人が行き交うときには歩く人が軒下に入り込むといった状態であった。狭い道路ではあっても家の軒先には、こんな彫刻が飾ってあった。
同じ通りに、昔懐かしい風呂の焚き口らしいものを見つけた。赤いレンガに黒いすすが付いている。たぶん浴槽は五右衛門釜でななかろうか。想像するだけで楽しい。
横にぶら下がっている手洗いの容器もなつかしい。針先をチョンと押し上げ水を落としてみたい気分になった。

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