警     告    平成12年7月14日
               

「いつもと違ったことしませんでした?」
「先週は一日に二十三キロばかり歩き、その前の週には山登りで九時間歩きしました」
 夏日が照りつける七月の初め、平和大行進に参加したこと、福岡県の若杉山から三郡山
まで往復縦走したことなどを話した。

「それが原因かな」
「いや、先生(医者)、自分では無理したとは思いません。普段は十四、五キロはウォー
キングしていますし、また五月の連休には霧島山を十時間歩き通してもこんなことはあり
ませんでしたよ」

 先生は診察ベッドにうつぶせに寝るように指示した。腰から足先までもむようにして触診
し、痛くないかと尋ねた。くすぐったいが痛いところはない。
「凝ってもいないようですね」

 昨夜、腰から左の足先までシビレを感じ目がさめた。午前中になってもシビレは治まら
ず、座っても、椅子に腰掛けても痛む。歩いていたほうが楽な感じである。

 午後になって、同じ町内にある外科医院に行った。ここは外科の看板は出しているが風
邪をひいても胃が痛くても心安く診察してくれる。体調が崩れると、まずここに相談をす
る我が家のホームドクターである。

「腰のレントゲンを撮ってみましょう」
 昔と違って今はスピード時代である。フイルムの現像は五分ぐらいで仕上がった。電視
台に貼り付けた三枚のフイルムを見ながら、

「以前に腰を痛めたことがあるでしょう?下から二番目の頚椎がずれていますね」
 もう二十年も前になろうか、年末の大掃除をしていて、箪笥を持ち上げた瞬間、腰に火
花が走ったようなショックをうけ、動けなくなったことがある。

「頚椎の端っこが尖っているでしょう。これがシビレの原因ですよ。腰に負担がかかる
とこれが痛みます。Tさん、もう六十六ですからむちゃしてはいけませんよ」
「日ごろから腹筋運動をしたりして、トレーニンしているもりですがねー」

「本人はそのつもりでも身体は歳とともに衰えてきます。じゃ、その証拠を試してみま
しょうか」

 先生は、私の首の裏に両手を回し、手を組んだ。二人は向き合って椅子に座っている。
先生は私に、座ったまま力任せに仰け反れという。言われたとおりにやってみたが仰け反
れない。

今度は私が先生の首に手を回した。私は力いっぱい踏ん張っていたが先生はいとも簡単
に仰け反り、私を椅子から浮きあがらせた。

「これで納得できたでしょう。あなたは背筋力が衰えているから私を引っ張る力がなか
ったのですよ。腰を支えている周りの筋肉が衰えると、脊椎を支えきれなくて骨を圧迫し
ます。だから重い荷物を背負ったり、急な坂を降りると腰に負担がかかり痛みがでます」

 体力の衰えを認め、しょげ返っている私に、
「痛みが取れるまで、ウォーキングも山登りも止めてください。治ったら疲労が残らない範
囲のスポーツを楽しむことですな。もう若くはないんだから、自覚して無理をしないことで
すね」

 私は、ここ一、二年のうちには日本アルプスへ登りたいという望みを持ち、体力つくり
をしていた。そのことを話すと、
「登って結構です。ただし、ポーターを雇って体ひとつで登ることですな」

 この頚椎のずれようでは、重い荷物を担いだりしてはいけない。とにかく長時間、軽い
荷物でも背負って歩くことは避けたがいいというのだ。

 年金で細々と暮らしている身分で、ポーターまで雇って山に登る余裕はない。山登りの
魅力に取り付かれた私はショックである。でもそう簡単には諦められない。

その日は錘をつけた機械で腰を引っ張り、湿布薬、飲み薬などと一緒に腰椎体操の図解
書をもらって帰った。

 翌日、治療を受けながら二人の例を引き合いに出して、先生に質問した。一ヶ月前の
新聞には、竹下元首相は変形性脊椎症で入院していたが亡くなったと報じていたこと。
また大歌手の美空ひばりさんも腰の病で亡くなったと記憶しているが、私もこの変形性
脊椎症とやらで、あの世行きでしょうかと・・・。

 先生は、竹下さんは入院したときはたしかに変形性脊椎症だったかもしれないが死亡の
原因は別だという。変形性脊椎症で死亡することはない。美空ひばりさんは、何万人に一
人という特異な腰の病気で、あなたの病気とは違うから安心しなさいと笑った。

 変形性脊椎症は、治ることはないが無理しなければ命取りにはならないという。先生は  
「歳のことを考え無理するな」と何回もくり返した。

 いつまでも若いつもりで無茶をしている私に、体自身が『無理しているよ』と『警告』
してくれるシビレのようである。
           

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