涼を求めて尾鈴山へ(2)

『ある日、若者は天高く白馬に乗って山に帰られる山神を見ました。
白馬の首の黄金の鈴が、いななきとともに冴えた音を響かせていました。
いつのころからか村人は、この山を「尾鈴さま」と呼ぶようになりました』
という伝説が残る「尾鈴山(1405m)」へ。

7月29日
 5:00起床 6:10九重頭キャンプ場発〜甘茶谷径由(マイクロバス)6:35登山口6:458:55尾鈴山9:2010:55登山口(マイクロバス)11:3011:55キャンプ場11:5512:15矢研の滝12:2512:50キャンプ場12:5513:20川南温泉14:0014:38西都インター〜途中、夕食〜19:50諫早インター着

 昨夜は、いつもよりアルコールを控えた。350MLビールを1本だけで焼酎を勧められたが我慢した。焼酎を飲み始めると調子に乗って深酒になりそうで早々にバンガローへ戻った。眠ったのは8時ごろであった。
 早寝早起きとはよく言ったもので、3時に目がさめてしまった。部屋を出て炊事棟へ行ったら別棟に寝ていたMさんがすでに起きて来ていた
 二人でコーヒーを沸かし飲んだ。絶え間なく聞こえる沢の音にまじって鹿の鳴き声が甲高く聞こえてくる。
 4時になるのを待って、大きな鍋にレトルトご飯を入れ、朝ご飯の準備にかかった。おかずは即席味噌汁に漬物。お湯さへ沸けば料理完了の簡素な朝食である。
5時になるとみんなが集まってきた。
 食事、後片付け、荷物の積み込みを1時間で終え、6時には出発しなければならない。
 登山口までバスで送ってもらえるから、という気の緩みのせいか予定を10分遅れてしまった。
 バスの中から、あじさいの滝、次郎、四郎の滝、蜂の巣滝を眺め登山口に着いたのは6時30分であった。


「山頂まで1時間30分」の案内板を見て登り始める。
最初から急な階段が続いた。
登り始めの30分は特にきつい。キャンプ場からここまで歩いていたら、ゆうに1時間はかかっていただろう。その疲れた身体でこの坂を登るのはもっと苦しかっただろうと思うと、バスで送ってもらったことをありがたく感じた。

山頂まで樹木に覆われ視界は殆どなかった。
山頂近くになって明るいところへ出た。根元から倒れた木が枯れている。太陽に直接照り付けると暑い。
ここまで樹木に覆われた木陰を尾根風に吹かれながら登ってこられたありがたさを思い知らされた。

山頂の少し手前に祠はあった。曲がった大きな木に保護されるようにして鎮座している。
別のところにあったものをここに移したのかもしれない。

登山口から山頂まで2時間かかっていた。
この2時間の間、登り詰で平坦なところはなかった。
時計を見るとまだ9時前である。適当な広さの草原はあったが周りは高い木に囲まれ見晴らしはよくない。見晴らしがよくないと承知の上であるから不満はない。
これからの予定は、下山のあと「矢研の滝」見物、温泉入浴、そのあとまた6時間車で揺られながら諫早まで帰ることになっている。ゆっくりもしておられない。
20分の休憩で山を降りた。

下りは登りよりの30分短縮して帰り着いた。
沢に下り、甘茶滝の滝壷で、昨日から車のクーラーで冷やしていたスイカを食べた。
山に登ってきた充実感と汗をかいたあとの喉の渇きで最高のスイカであった。

一旦、キャンプ場まで引き返し、ここから歩いて15分のところに「矢研の滝」ある。
案内板によると25分となっていたが思いのほか早く着いた。
尾鈴山瀑布群では代表の滝としてPRされているだけに見事である。落差では75mの白滝には及ばないが73mから落ちる水の量は多く雄大で圧倒される。
 台風7号の北上で白馬三山縦走を取りやめ、急遽思い立った尾鈴山の滝めぐりを兼ねた登山であったが今年の計画になかった山行で得した感じの二日間であった。
それにしても九州の西の果てから南へ南下して、さらに東海岸を北上し、宮崎・都農町までは遠い道程である。
九州内の移動距離としては一番長い山行であったような気がしている。

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