屋久島紀行(6) |
おう!これが屋久杉の王者か。一昨日見た紀元杉とはまったく違う。それはそうであろう。紀元杉は3000年、こちらは倍以上の7200年である。 表皮は風雪に剥ぎ取られたのか木肌がむき出しになっている。これでよく生きているなぁという感じである。木肌は瘤があちこちに盛り上がり仁王さまのようないかめしさが伝わってくる。 紀元杉の感想を『この時点でまだ青年の樹と表現すればよいのか、熟年の樹というべきか言葉に迷う』書いた。縄文杉の前に立って見れば、やはり紀元杉はまだ青年の樹というべきであろう。
屋久島に来て、初めて太陽を見た。それも縄文杉をまともに照らしてくれている太陽。これまでの雨とガスの恨みはこれで帳消しにしてやってもよい。 まだ出来て数年しか経っていない展望台は、京都・清水寺の舞台のように高い。これも押し寄せてくる観光客が根を踏みつける被害から逃れるために設けたものだと聞けば、後ろめたさを感じる。 その舞台の広場で、若い女性グループが賑やかに朝飯を食べていた。このグループは昨夜暗くなってから新高塚小屋に着き、今朝は5時ごろ朝食も摂らずに出発した人たちであった。この人たちとはこの先追い越し追い越されながらの道連れとなる。 ここからウイルソン株までの降りは階段の木道がほとんどで、直接土の地面を歩くのは少なくなる。幸い降りで良かったが縄文杉まで登る人は単純な階段が限りなく続き、精神的な疲れが大きいのではないかと心配しながら降った。
他人のことを心配する余裕がある。それは体調が良いという証拠でもある。 日が過ぎるに従い食料の重みは減るし、下り坂という条件が体調をよくしている原因のようである。 夫婦杉から大王杉へとゆっくり楽しみながらの歩きは、登山という感覚はなく観光の雰囲気である。
ウイルソン株はトロッコ道から上がってきた観光客で賑っていた。 8時55分。ザックを降ろし大休憩にする。切り株の中に入り空に向け写真を撮る。株の中には祠が祀ってあり、湧き水も流れている。その水を汲みコーヒーを沸かす。屋外でコーヒーを飲むのはこの3日間では初めてである。
もうここまで来れば、ゴールまでの計算が出来る。ゆっくり歩いて3時間もあれば荒川登山口に着く。タクシーが迎えにくる約束の15時半だと5時間も残っている。 のんびりとコーヒーを飲むつもりであったが、下から続々と登山者が列をなし登ってきて、混雑し落ち着かない。早めに出発した。
大株歩道入口まで、降りは20分もあれば充分である。ところが数珠つなぎになって登って来る登山者の多さに、登り優先の不文律があるとはいえ、これでは何時まで経っても動けそうにない。少々厚かましく歩いては止まり、歩いては止まりの、この繰り返しでやっとトロッコ道に着いたのは10時20分であった。行程20分のところを30分もかかってしまった。
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