屋久島紀行(5)

今夜のメニューはレトルトのカレーにポテトスープの簡単な料理。 Sさんはアルコールがだめだからまず夕食の準備を先にする。ご飯とルーを先にお湯で戻し、食べられるようになった後、酒肴の準備にとりかかる。

「かわはぎ」の干物を水に浸し、アルミホイルに乗せてあぶる。昨夜と同じ酒肴で変わり映えしないが身体を酷使したあとの空腹にはご馳走である。

夕食の準備
テント場は高床式の板張りになっている。
雨に降られ、これだけひろげたものを慌てて小屋に運んだ。

焼酎をお湯で割り飲みはじめた。10分もしないうちに雨が降り出した。小屋の横には広いテント場があり、そこで食事をはじめていた。まさか雨が降るとは予想もしていなかった。慌てて店開きした食べものを袋に詰め小屋の軒下に何回も運んだ。

軒下の調理場兼食事場所は5人が座れるほどの広さしかない。ここには最初から陣取り食事をしている人たちで満席、もう割り込む余地はなかった。

通路の土間にビニールの敷物を広げ場所を作った。どっかりと座り込んで飲み始める。隣で食事している人たちは木の椅子に座っているから見上げる形で話しかけた。

話している内に、昨夜淀川小屋で一緒だった人たちばかりであることが分かった。今夜は打ち解けて気楽に話しが出来る雰囲気である。

一杯機嫌になったAさんは、皆さんが食べている夕食を見せて欲しいと言って立ち上がった。Aさんはなかなか研究熱心なところがあり、自分の家では家庭菜園をはじめ、いかにすれば良い成果が得られるかと常日頃試している。

その研究熱心さと好奇心は、山でも珍しい山の装備品を持っている人に出会うと使い方を質問するなど何処に行っても積極的だ。

われわれが準備した食料品は一品ごとに包装されもので食べた後ゴミがたくさん発生する。他の人たちはゴミ減量対策の観点からどのような物を準備しているか知りたかったのであろう。

皆さんの食事はほとんどがアルファー米であった。パックを開きお湯を注ぐだけで出来るアルファー米は丼物、炊き込み御飯と種類が多い。われわれも準備の段階でこのアルファー米を試食してみたが3人にはあまり人気がなくレトルトにした経緯がある。

Aさんは見るだけでは納得しないのか「すみません、少し味見させてください」と言いながら手を出した。意外な申し出にびっくりした様子であったが食べかけの袋を差し出した。「これはおいしい」とAさんは納得したようである。お返しにと言ってお湯で戻したレトルトの白ご飯を1パック渡した。

このことがきっかけで雰囲気はいっそう和らいだ。
 味見させてくれたパーティーは若い男性3人で、リーダー格の年長者は髭を生やしていた。その髭の男は以外にも神父さんだという。あとの二人は神父になるため修行中の学生であった。3人は修業の一環として山に登っているという。

髭を生やした神父さんはやさしい目をしている。一番若い学生に「神父さんの荷物も担ぎ、食事も作ってやらなければならい、きびしい神父さんだろう」と冷やかした。「いやいや、そんなことはありません。全て平等です」まじめに打ち消した。それはどうかな、と神父さんの顔を見るとニヤニヤ笑っている。

一番若い男は肉塊とナイフを持って「シカの燻製です」と、そこにいる全員に少しずつ削っておすそ分けして廻った。「これは私が作ったものです」と髭の神父さんは言った。

これまた意外である。すかさず「神父さんがシカを殺して食べるなんて!」とけしかけた。牧場でボランテアをしていたときに作ったもので密猟したものじゃありませんと弁解した。思いがけない酒の肴に盃は進んだ。

Aさんは調子に乗って、南海の島暮らしをしていたころ、動物を燻製にした経験をもとに、燻製の方法を詳しく話し、神父さんと意気投合した。またAさんはウミガメの卵を現地人と一緒に食べた話など面白い話しを次から次へとしてくれた。密猟ではなく生きるため最低の殺生であると弁解するところが可愛かった。

これは何でしょう?
左足に取り付けた白い器。
たしか電池式の虫除けだと聞いたような記憶があるが・・・。何回も尋ねたのに翌日は忘れてしまった。
晴れ男さんが付けていた。

神父の3人組が部屋に引き上げたあと、晴れ男夫婦と私達の5人になった。話題は変わった。晴れ男さんは山に登った記録をホームページにアップしていると言った。じゃ、私達と同じですね、とまた話しが弾んだ。

名刺を部屋に戻り持ってきて渡してくれた。Aさんも名刺を渡した。 山でホームページを持っている人に出合ったのは初めてだと奥さんが喜んだ。

名刺には会社の社長の肩書きがある。東京に住んでいて、この時期になると屋久島にやって来る。もう何回も来て一週間ぐらい山歩きをするそうである。

その時の山の様子をホームページに載せているから見て欲しいと言った。
会社名は「ビバマンボ」
仕事の内容は判断がつかない。帰ってホームページを開けば分かるだろうと思いその場では尋ねなかった。帰ってホームページを開いた。
この晴れ男さんは、なんと映画音楽の作曲家だった。http://www.buddy-zoo.com/index.html

明日は黒味岳に登り、またこの小屋に戻って来る。東京に帰るのは2、3日後になりそうだという話を聞いて、この晴れ男さん夫婦は屋久島が好きな人なんだなぁと思った。翌日噂話で耳にしたがこの二人はきのう早く小屋入りして、小屋の掃除、トイレの水洗いなどをしていたそうである。ほんとうに山を愛する人とは、このような人たちのことであろうと感心した。

昨夜と同じように、この夫婦とまた最後まで話し込んでしまった。時計を見ると20時である。切り上げて部屋に戻った。

耳栓をしているのに雷鳴で目が覚めたのは23時半であった。稲妻が走り部屋が明るくなっては暗くなり、また光る、異様な雰囲気に身を縮めていた。

寝袋の中は蒸し風呂のように湿気が多く蒸れる。寝袋から出て板張りに直接寝て身体を冷やした。部屋そのものの湿度が高いのか汗はなかなか引かない。左右に寝返りを打って我慢する。今夜は泊まり客が少なく、一人分のスペースは広く使えた。もしこれが満員だったら、どうなっていたのか。一睡も出来なかったに違いない。

雷雨は静まりいつのまにか眠っていた。下腹が張り目が覚めた。静かに部屋を抜け、外に出た。なんと月が照っている星空であった。屋久島の気象の変化は激しいと聞いていたがなるほどと納得した。

トイレはかなり遠い所にある。月明かりでヘッドランプはいらないようだったが念のため点灯した。部屋の中より気温は低く気持ちよかった。そのとき3時になっていた。

4時に起床。朝食あと新高塚小屋を5時50分に出た。昨夜の雷鳴が嘘のように今日は晴れている。小屋を出るとすぐ急な登りになる。その登りも長くは続かない。足慣らしにはちょうどよいアップダウンである。

今日のコースはアップダウンを繰り返しながら荒川登山口まで標高差730mを7時間かけて降っていく予定にしている。

高塚小屋。
新高塚小屋からここまで1時間10分あと10分で縄文杉である。
木道。
登山者のためではなく、木の根を保護するために作った道。

天気は良いし、この先、縄文杉、夫婦杉、ウイルソン株と見所が多い。

念願の縄文杉に着いたのは小屋を発ってから1時間20分後の7時10分であった。
朝陽に巨大な縄文杉は光り輝いている。

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