屋久島紀行(4)

時が経つにつれ、ガスは広がる。やはり宮之浦岳は雨か。朝の幸先良い予想は外れた。まだ宮之浦岳までは栗生岳をひと山越えなければならない。この足ではまだ30分はかかりそうだ。

足を止め一人だけ休憩する。振り向くと翁岳(1860m)の岩峰が異様な姿で聳えていた。今にも天に向って龍が昇るのではないかと思った。足早に過ぎ去るガスに見え隠れする岩峰が生き物のように見えたからである。

翁岳。
岩峰の表情は刻々と変化した。左端の雲海に浮かぶ山は木の葉のように小さく感じた。

やっと栗生岳に辿り着いた。先を行っていた二人はここで待ってくれていた。

二人の中年女性がザックを降ろし休んでいる。声をかけると宮之浦岳から淀川へ下りるのだと言った。さっきまで宮之浦岳は晴れて眺めが良かったですよと教えてくれたが、今眺める宮之浦岳の山頂はガスの中だ。

栗生岳。

さっきまで宮之浦岳は晴れていましたよと教えてくれた女性。

栗生岳から一旦降りて再び登りつめたところが念願の宮之浦岳である。
登りつめて時計を見ると12時10分前。かろうじて予定の時間に滑り込んだ。山頂は視界50mほどのガスで、期待していた360度の眺めはなかった。

男女一組と単独行の男性一人が休んでいた。この人たちもここからの眺めを期待して登ったに違いない。僅か一時間足らずの差で明暗が分かれる山の天気は、同じ苦労をしてやってきた者たちには非情である。

念願の宮之浦岳

下界は晴れでも、ここは別世界。見通しがきく日は少ないという。残念であった。

われわれもあと30分早く着いておれば、すばらしい眺めを満喫できたのに、と悔しい思いがする。悔いても仕方ないことだが黒味岳往復の1時間が運命の分かれ道になったようだ。宮之浦の山頂はだめでも黒味岳からの眺望を楽しんだのだから全てを欲張るわけにもいくまい。

計画では、ここで大休憩。下界を眺めながら昼食を作り、ゆっくりとコーヒーを味わうつもりであった。
 Sさんが、お腹も空いていないし、この天気では雨が心配だから先を急ごう、と言い出した。言われてみれば投石平で食べた「つの巻き」の腹持ちがよく、ひもじさは感じない。記念の写真を撮りボトルの水を飲んで出発した。

15分で焼野三叉路まで降りてきた。
「どうする?おれはここで待っているから永田岳まで行ってきてもいいよ」と二人に声をかけた。永田岳はSさんが一度は行きたいと願っていた山である。計画では黒味岳と同じく、天候と時間的な余裕があれば往復1時間半の永田岳も含んでいた。時間は充分ある。問題は天候だ。「この天候じゃ、何も見えない。止めよう」と二人の意見は一致した。三叉路を右に降りた。

焼野三叉路

永田岳は左へ。右は今夜の泊まり新高塚小屋方面へ。
永田岳は断念、右に降りる。
永田岳はガスに隠れていた。

ここからの降りは、これまでのルートと違って自然のなすがまま、手を加えないルートである。洗堀された路は、人丈ほどの段差がたびたび出現し降りるのに苦労する。

淀川登山口〜宮之浦岳、荒川登山口〜縄文杉の人気コースと違って、宮之浦岳から高塚小屋をとおり縄文杉までのコースは、縦走者が少ないのか整備されていない感じであった。しかし、山男にはこの方が面白く山に登っているという実感が湧く。とはいっても、降りも相変わらず二人に遅れをとり、今日の私には試練の路であった。

平石に12時50分に着く。このころから少し天候は回復したのか明るくなり視界も長くなった。どうにか雨からは逃れられそうである。

ここで1時間遅れの昼食にする。ガスボンベを取り出し調理をするか相談したが、すでに水汲み場はいつの間にか通り過ぎていた。戻って水を汲みに行く元気はなく、各自手持ちの行動食で済ませることにした。

机上の計画は理想のもので現地では思わぬ勘違い見過ごしが起こる。長時間の疲れが注意力、思考力を鈍らせてしまうからで、昼食と水汲み場の関係は3人とも完全に忘れ気付いていない。

ガスがかかって良いこともある。ご覧のとおり水墨画の世界である。
この杉たちも1000年を超えてるかもしれない。
だとすれば屋久杉である。
こんな墨絵の世界はいつまでも眺めていたい。気流の変化は激しく景色はあっという間に別世界に変わる。

坊主岩まで昼食を摂ってからおおよそ1時間。もうここまで降りてくれば今夜の泊まり新高塚小屋まではあと僅かである。天気は回復しているとはいえ、遠くの山は見えない。第二展望所からは永田岳が、第一展望所からは宮之浦岳が望めるはずであった。この天気ではしようがない、いずれの展望所も寄らずにひたすら歩いた。

坊主岩。

ここを通るときはガスは薄れ明るくなっていた。
左端は、急峻な斜面が数百メートルにわたり落ち込んでいた。

小休止をして水分を摂るたびに、Aさんは愚痴をこぼすようになった。「地図(2万5千分の1)では易しい尾根伝いになっているが現地はアップ・ダウンの険しい路だ。地図はおかしい」8時間近く歩いてストレスが溜まってきたらしい。ストレスの原因の一つは、私の荷物を余分に担いでいるせいかな?と思った。Sさんは登りは苦手だが降りは得意だというだけあって相変わらず先頭を快調に降りている。

降りが続いたせいか、身体の調子がやっと普段に戻ったかなぁ、と意識しはじめたのは、あと三十分で新高塚小屋に着くというころであった。

いったい、不調の原因は何であったのか。はっきりしたことは分からない。
 ただ言えることは、Sさんも、Aさんも、合同トレーニング以外に毎日のように訓練して今日がある。それに比べ私といえば、合同トレーニングの調子よさに自惚れ、トレーニング間隔を空け過ぎた「怠け」の一語に尽きそうだ。

二日目の全行程を終え、新高塚小屋に入ったのは午後3時であった。

ガスっていた新高塚小屋。

収容人員は60名。今夜のお客は20数名。ゆっくりと足を延ばし寝た。
木肌が美しいヒメシャラが印象的であった。この小屋の守り神か。

晴れ男さん夫婦も、千葉・神奈川組の二人も小屋入りしてゆっくりしていた。
 何時に着いたのか尋ねると一時間前だったという。千葉・神奈川組の一人が「聞こえましたよ。元気ですね」と言ってくれた。黒味岳から叫んだ「ヤッホー」のことである。年甲斐もなく、という恥ずかしさと嬉しさが複雑に入れ混じった。

寝場所を決め、夕食の準備にかかった。

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