屋久島紀行(3) |
4時になった。 Aさんは何時も取っ掛かりが早い。さっさと寝袋をザックに詰めおわり、水汲みに出ていった。私がベランダに出たときにはガスに火を付けお湯を沸かしていた。AさんとSさんは手際よく料理してくれるから私の出番はない。 白ご飯、味噌汁、梅干、漬物の純和食である。3人とも長年の食習慣は急に変えられないで山小屋2日間の朝メニューは純和食に決まった。固めの白ご飯を食べないと腹が落ち着かないという○○さんの意見を汲んでアルファ米は取り止め、料理に時間はかかるがレトルトのご飯にした。 ベランダは3組が料理すると満席になる。遅い組はテント場で準備している。出来たものを立ったまま食べた。 空が白味をおびて来た。見上げると晴れてはいないが雲は高い位置にある。ガスもなく今日の天気はよさそうである。昨夜語り合った晴れ男さんが付きを呼んでくれたのだろう。それとヒメネズミの被害にあったという話も聞かないし、今朝はさいさき良い朝明けのようである。 跡片付けを終わり、ザックを担いだのは5時55分であった。 小屋を出るとすぐ橋がある。こんな高いところに川があるの?と疑うような地形だ。川幅は広く、流れはゆったりとしている。樹林さえなければ農村を流れるのどかな小川の感じである。 今日の第一目標地点である小花之江河に着いたのは7時15分。2時間が過ぎていた。ここ小花之江河とあと15分で着く花之江河はミズゴケの高層湿原である。
歩き始めて30分から1時間もすれば、その日の体調が判断できる。今日は一時間経っても調子が出ない。別に何処といって痛むところはないが体がだるく足運びが重い。快調に登る二人のあとを付いて行くのがつらい。 霧島、多良岳縦走トレーニングのときには、3人のうちでは一番快調であったと自負していた。この本番になって不調とは情ない。そのうちに回復するだろうと我慢して小花之江河に着いたのであった。
今朝の食事は、ご飯が何時もの半分も喉を通らなかった。何時もは味噌汁をぶっかけ無理して流し込むのだがそれもしたくなかった。昨夜焼酎を飲みすぎたかなと振り返ってみても、量的には多くないし、特に酔いがまわった感じはしないのだが、いったいどうしたというのだ。 ザックを降ろし、写真タイムをとる。ここでひと息ついた。淀川小屋を先に出発していた千葉・神奈川組の二人はわれわれが着くと、足が遅いのでお先に出かけますと言って歩き出した。まだ小屋でゆっくりしていた「晴れ男」のご夫婦が到着した。 「今日の天気は大丈夫のようですね」と顔を見合わせ笑った。お互いにカメラのシャッターをお願いしながら休憩した。二人は先に出発した。われわれは15分の休憩のあと再び登りはじめた。相変わらずわたしは最後尾から付いて行った。 花之江河を通過し、黒味岳分岐まで来た。計画では天気に恵まれれば脇道にそれ、往復1時間で行ける黒味岳に登ることにしていた。予定より朝発ちが1時間早かったので時間的に余裕はあるし、」天気もよいようだ。 Sさんが二人にどうするか意見を聞いた。登ることにした。
太陽は顔を出していないが雲は高く、黒味岳(1831m)からの視界は360度拓けていた。盟主・宮之浦岳(1936m)はすぐ近くに、またその隣には永田岳(1886m)も聳えている。山頂の丸い岩の上で体を一回転した。名前はわからないがそれぞれに特徴を持った形の山が遠く近くにある。
眼下を見下ろすと投石平付近を歩いている人影が見えた。さっき小花之江河で別れた人たちのようである。 だが、咄嗟に発した「ヤッホー」は青春に戻った一瞬であった、とまだ気持ちだけでも若さが残っていたのが嬉しかった。 予定通り1時間で黒味岳分岐に戻って来た。再びザックを担いだ。改めてザックの重みを感じる。 ここから投石平までは黒味岳を巻き込んだ形の下り坂になる。投石平の鞍部には音をたてて水が流れていた。これから宮之浦岳までは標高差140mの登りに変わる。時間は9時40分になっていた。朝飯を食べてから5時間近く経っている。行動食を摂りエネルギーを補給することにした。水の音を聞きながら昨日安房で買い込んだ『角(つの)巻き』を食べる。
振り返って見上げれば、さっき登った黒味岳山頂の丸い岩が見えた。さっきの人たちはこんな形で私を見上げていたのかと、そこに立って叫んいる自分の姿を想像した。 15分休憩したあと出発。あと1時間40分で宮之浦岳に着く予定である。急な岩場をザイルに掴まり高度を稼いだ。一旦上がりつくと投石岳の中腹を回り込む緩やかな登りになる。ここから森林限界を越えヤクザサに覆われた明るい稜線となる。しかし、視界を楽しむ余裕はなくなっていた。 前の二人に付いて行けなくなり離されるばかりだ。相変わらず登りになると足が重く動かない。あと1時間半頑張れば登りは終わる、もう少しだ頑張れという私と、まだ明日もあさってもある長丁場だ、ここでダウンしたらみんなに迷惑がかかる、見栄を張らずに荷物を担いでもらえ、と大事を取るもう一人の私がいた。しばらく葛藤したが後者を選び、Aさんに荷物の一部をお願いした。荷が軽くなった以上に精神的な負担は楽になった。 目指す宮之浦岳はまだ見えない。手前に栗生岳(1867m)が立ちはだかっている。その栗生岳にガスがかかってきた。 いつの間にか、曇り空が低く降りてきた感じで周りが暗くなった。屋久島はひと月に35日雨が降るという言葉がよぎった。 |