屋久島紀行(2)

安房から淀川登山口まではタクシーで1時間。この区間にはヤクスギランド、紀元杉、川上杉と見るところが多い。登山口から淀川小屋までは歩いて40分もあれば充分である。

今夜の夕食は握り飯を準備しているし、5時までに小屋入りすればよいと計算していた。三ヶ所をゆっくり見物するつもりだというと「あんた方はな、山を縦走して縄文杉やら夫婦杉なんかを見なさるけん、ヤクスギランドには行く必要はなか。あそこは山に登らん人の見るところじゃ」とあっさり運転手さんからけられた。

それよりも雨が降っているから少しでも小屋に早く着いて寝る場所を確保するのが先だというのである。この天候では小屋泊りの人は少なかろうと運転手さんとは逆な考えをしていたが事情に精通した運転手さんの意見に従うことにした。

狭い道を大型の観光バスが何台も下りてきた。紀元杉やヤクスギランドを見物して帰るバスだという。紀元杉に着くと車を停めて写真を撮るまで待ってくれた。幸いに紀元杉では雨は小雨になっていた。合羽は着らないでカメラだけ持って階段を降りる。

紀元杉
車道側より眺める。
樹高   19.5m
胸高周囲  8.1m
樹齢   3000年
標高   1230m
着生植物
ツガ、ヒノキ、ミヤマシクキミなどおおよそ13種類
紀元杉。
階段を降り下から眺める。近くで見ると圧倒される。樹の皮膚(皮)も色艶がよく若々しかった。

大地に根を張りどっしりした紀元杉「おお!これが3000年も生き続けている杉か」これからも、まだまだ生き続けるであろうと思うと、この時点でまだ青年の樹と表現すればよいのか、熟年の樹というべきか言葉に迷う。写真を撮る手を休めしばらく眺めていた。

川上杉は車の中からは見過ごしてしまいそうなところにあった。運転手さんが車を降りて左上ののり面を見ながら教えてくれた。川上杉は潅木の上に一本だけ抜き出て聳えている。道路から見上げるだけで側には近寄れない。写真に納め車に乗り込んだ。

車道から見上げる川上杉。
1000年以上のものを屋久杉というらしいが、この川上杉も紀元杉と同じ年月が経っている。人間は長生きしても100年。屋久杉に比べたら瞬間に過ぎない。
屋久杉に口があったら聞いてみたい。「長生きの秘訣は?」

まもなくして車の終点、淀川登山口に着いた。また雨は粒が大きくなっていた。駐車場には7、8台の車が置いてある。この天候にもかかわらず登山者は多いなぁと屋久島の人気をあらためて知った。

トランクから荷物を取り出し、トイレの屋根の下に運び込んだ。明後日、午後3時半に荒川登山口に迎えに来てくれるよう約束して運転手さんと別れた。その時ちょうど午後3時であった。

雨衣を着込み、スパッツをつけて完全装備をする。屋久島に着いてから買い込んだ弁当、焼酎、ガスボンベを3人で分担し、ザックに詰める。持ち上げてみると15キロはありそうだ。長丁場はこれ以上荷物が増えると老体には無理だ。今日は一時間足らずの距離だから我慢もできるが、明日からは覚悟して担がなければならない。

今夜、明日朝と食べた分は軽くなるから、これ以上重たくはならないよ、と自分に言い聞かせ心の負担を軽くしてやる。

雨のなか中年夫婦が降りてきた。宮之浦岳から降りてきたのだという二人は鳥取県からだと言った。ここを今朝出発して、宮之浦岳ピストンで今の時間に戻るとはかなりの健脚に違いない。若さは偉いもんだ。

第一歩は階段から始まる。濡れた木の根をまたぎ、岩を踏んで進む。濡れた岩は表面が粗ですべる心配はないようである。滑らないと分かれば安心して踏み込めるからスピードがあがる。

淀川登山口。
ここから宮之浦岳までの道はかなり良く整備されている。宮之浦岳まで4.5〜5.0時間で山頂に着く。

樹木に覆われ視界は開けないし、足元だけを見つめて登った。小屋が見えたとき、特に険しいところもなく、思ったよりも楽だったな、と安心した。

小屋には先客が10名いた。まだ16時を過ぎたばかりだというのに夕食の準備に取り掛かっているパーティーもあった。

後から小屋入りする者の礼儀として「お世話になります」と会釈する。「お疲れさん」の声を聞いて今夜の仲間に入れてもらった気分になる。

板の間に上がると先客は思い思いに寝袋を広げ場所を確保していた。60人収容の小屋だからまだ好きな場所が選べた。ザックから荷を取り出す前に、濡れた雨衣類を壁に張り巡らしたヒモに干した。滴り落ちるように濡れていたら部屋に干すわけには行かないが幸いにして小雨で助かった。

淀川小屋。
小屋の左手に川がありそこが水場になっている。右手の少し離れたところにトイレがある。
手前の広場はテント場でる。今夜はテントを張る人はいなかった。

荷解きをし、寝袋で場所を確保したAさんは、早速コッヘルを持って水汲み場へ出て行った。

今夜は安房で買い込んだおにぎり弁当だから手の込んだ料理はしない。

水は焼酎のお湯わり用、スープ用、コーヒーに使う水があればよい。この縦走ルートは水場がいたるところにあり、担ぎ上げる苦労がないから助かった。今夜は何時もよりふんだんに水が使えるから楽しい夕食になりそうだ。

ベランダは先客に占領され、料理する場所はもうなかった。玄関を入ってすぐ横の板の間は衣類の乾燥の場所になっている。そこに陣取り、ガスバーナーに火をつける。

Sさんはアルコールはまったくだめだ。わたしとAさんはこれが楽しみである。食糧を買い込むとき酒肴を忘れないように注意した。お湯を沸かすコンロと酒肴をあぶるコンロを別々に持ってきた。

干物「かわはぎ」の調理法は購入するとき袋を読んでおり、アルミホイルまで持ってくる念の入れようである。

ガステーブルがないからアルミホイルをガス火の上に両手でかざし、5分ほど水に戻した「かわはぎ」をアルミホイルに載せる。ジュジュと音を出し匂いが漂う。よだれが出る瞬間である。こうして楽しい夕食は始まった。

今日一日のせわしさを振り返り、明日の天気を心配しながら焼酎を飲み交わした。Sさんは早々と握り飯を平らげ、何だか淋しそう。酒飲みは飲めない人と同席していると何だか申し訳ないようであり、また飲めない人は損をしているようで可哀想である。飲めない人は逆に無駄な金を使って愚痴を言って、と哀れんでいるのかもしれないが・・・。しかし、ほろ酔い機嫌は、疲れを癒し、気分転換になる良薬だからやめられない。

外で食事していた人たちは、食べ終わり部屋に戻り始めた。何時までもここで飲んでいるわけにもいかなくなり、空いたベランダに移った。

ベランダには中年の夫婦らしい組が静かに飲んでいた。語りかけていくうちに、東京の人で、ここ屋久島には毎年やってきて、地形とか気象に詳しそうだった。それじゃ明日の天気はどうなるでしょう、と問い掛けると女の人が「この方は晴れ男だから明日から天気は大丈夫です」と笑った。

ヤクシマヒメネズミが部屋に出没し食料を失敬すると張り紙があったが、この時期にはどうですかと尋ねてみた。初めてきた時に食い荒らされて参りました。リュックの中にしまいこんでしっかり閉めておかないとやられますよ、という返事だった。

小屋の壁に貼ってある注意書き。
正体を見たかったが耳栓を詰めて寝たので物音さえ聞こえなかった。

もう7時前から寝袋にはいっている人もいる。遅くまで話し込み迷惑かけるわけにもいかない。教えられたように食料はザックに押し込んで片付けた。

天気の回復を願って床に就いたのは8時10分であった。屋久島の第一夜は静謐に包まれていった。

トップへ           登山随想へ戻る