屋久島紀行(1)

行  程

平成15年7月16日

長崎空港発(10:25)⇒(11:00)鹿児島空港のりかえ(11:25)⇒屋久島空港着(12:05)屋久島空港発(13:00)⇒(13:10)安坊にて買い物・昼食(14:05)⇒(15:00)淀川登山口(15:35)⇒淀川小屋着(16:15)⇒淀川小屋泊

7月17日

淀川小屋発(5:55)⇒花之江(7:40)⇒黒味岳分岐(8:00)⇒(8:30)黒味岳(8:40)⇒黒味岳分岐(9:10)⇒(9:40)投石平(9:55)⇒(11:50)宮之浦岳(12:15)⇒焼野三叉路(12:30)⇒(12:50)平石・昼食(13:10)⇒第一展望所(14:35)⇒新高塚小屋着(15:00)⇒新高塚小屋泊

7月18日

新高塚小屋発(5:50)⇒高塚小屋(7:00)⇒(7:10)縄文杉(7:30)⇒夫婦杉(8:00)⇒大王杉(8:05)⇒(8:55)ウイルソン株・コーヒータイム(9:50)⇒大株歩道入口(10:20)⇒(11:35)楠川分かれ・休憩(12:10)⇒荒川登山口着(13:20)タクシー予約時間待ち。荒川登山口発(15:14)⇒安坊・ホテル鶴屋着(15:53)⇒ホテル泊

7月19日

ホテル発(8:55)⇒島内一周観光(千尋の滝・トローキの滝・平内海中温泉・屋久島うみがめ館・大川の滝・屋久島灯台・志戸子ガジュマル園・屋久島環境文化村センター・)⇒屋久島空港着(15:20)屋久島空港発(16:25→17:00)⇒鹿児島空港着(17:50)鹿児島空港にて乗り換え時間待ち⇒鹿児島空港発(20:30)⇒長崎空港着(21:00)



お客さんを疑い、徹底した身体検査するサービス業は他にあまい。
テロ防止のためと頭では理解できていても、ここまでやられると、時間はかかっても新幹線や船便にしたいと思うのは私一人ではなかろう。
 長崎空港から鹿児島へ飛ぶ第一便は8時25分であった。この便を利用すると鹿児島から屋久島へ飛ぶ乗換えの手続き時間は十分ある。ところが機体点検のため第一便は欠航、第二便にしてくれという会社の都合に変更した。

こうなると鹿児島空港で25分の乗り継ぎ時間しかない。登山用具は全て機内に持ち込み可、座席も出入りに一番近い席を準備してくれた。しかし、ローカル航空会社の配慮はここまで。ザックの中はコッフェル、ナイフ、チタンのボトルと通過しないものが詰まっている。

ナイフは客室乗務員に預ける事で話しが付いていたが規則違反で空港に預ることになった。第一関門のゲートでは金属製の装備はザックを開いて点検された。チタンのボトルは栓を抜き中身を嗅いでお茶であることを確かめられる結果となった。なんだかイラク兵がアメリカ軍の検問を受けているようなあさましい時間帯であった。

長崎空港から飛び立つ39人乗りDH8。ジャンボジェット機はこんなに大きくて重たいものが飛ぶのか?と心配だが、DH8のプロペラ機を見ると風に吹き飛ばされそうで、これまた心配だった。どちらにしても飛行機は怖い。
長崎空港を離陸してまもなく、左手下に平成新山が見えた。新山の回りに白い雲が取り巻いている。客室乗務員に飛行高度を尋ねたら3,700mだという。富士山とほぼ同じ高さを飛んでいた。このあと熊本の上空に差し掛かると雲で下界は見えなくなった。

鹿児島空港には定刻に着いた。シャトルバスに乗り換えるときも一番入口に近い席に陣取り、バスから降りると会社の案内人が待ち受けていて、次ぎの搭乗手続きの窓口まで3人を特別に案内してくれた。出発時間まであと15分しかなかった。果たして予約の便に乗せてくれるのか?半分諦めていた。
 
11時25分発屋久島行きは、屋久島空港が霧のため就航未定と表示が出ている。カウンターには誰もいなかった。ホッとするやらガッカリするやら。
 今日は付いていないなぁ、このスタートだとこの先のスケジュールが思いやられる。

「屋久島空港に着陸できない場合には鹿児島に引き返します」と条件付で飛び立ったのは12時5分であった。ここでは全ての荷物を手荷物扱いにしたので簡単に通過した。

長崎空港では晴、視界は良かった。鹿児島に近くなるにつれ雲の中の飛行になった。鹿児島から屋久島までは雲のなかの白いトンネルを飛行した。空港に近くなったが視界は依然として悪い。飛行時間40分が過ぎても一向に着陸体制にいらない。何回も旋回しながらガスが切れるのを待っていたのだろ。

やっと着陸した。着陸したときは50分が過ぎていた。着陸するまで何のアナウンスもなかった。その方が乗客にとっては動揺しなくてよかったのかもしれない。

空港は雨。それでも鹿児島まで引き返さなくて良かったなと胸をなでおろした。

鹿児島から屋久島まで視界が利かない雲の中を飛び続け、やっと着陸したYS11。
降りてみれば飛行場はガスはなく雨が降っていた。なにはとにあれ足が地に着いた時、ホッとした。

空港には『S様』と書いた紙を持ち上げタクシーの運転手さんが待っていた。
 登山用具をトランクに押し込み、予約していた今夜の弁当を店まで受け取りに走った。その後、焼肉屋で黒豚とシカの焼肉定食を食べスタミナをつけた。ガスボンベは屋久島空港の売店に予約していたので買い求めていた。あとは長崎空港で取り上げられたナイフと2日分の焼酎を買わなければならない。店は運転手さん任せでた。

買い忘れはないかチェックし、タクシーで淀川登山口に向ったのは午後2時10分であった。フロントガラスにたたきつける雨は、小雨から太めの粒に変わりワイパーが忙しく左右に動いた。

タクシーの運転手さんは、「屋久島登山は何時の時期が一番いいですか?」と問いかける3人に「台風時期が過ぎた秋が一番だろうな」と答えた。
 一年中雨が多い屋久島に、どうして気象不安定なこの梅雨時期を選んでやって来たのだ、と改めて自分に問いかけた。

宮之浦岳登山の話しが持ち上がったのは、今年の2月ごろであった。登山の時期としては秋が最適だということは分かっていた。しかし、秋となれば半年も待たなければならない。思い立ったら早く登りたいという気持ちが強く、秋まで我慢できなかった。それじゃ何時が良いかと3人で話し合った結果、梅雨明けすぐで、それも山小屋が混雑しない夏休み前にと決めた。

3人とも60を過ぎ、元気なうちにあの山もこの山も登っておきたいと焦っているのかもしれない。
 例年、屋久島地方は7月10日には梅雨は明ける。ところが今年は20日の夏休みになっても梅雨は明けそうにない。山小屋の混雑を避けるためには19日がリミットである。出発16日以降の天気予報は曇り時々雨。雨の屋久島を覚悟して長崎空港を飛び立ったのだから、雨足が強くなったからと今更愚痴をこぼすわけではないが、何となく気が重い。

つづく

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