五家荘の山へ


九州脊梁山脈のふところに深くたたずむ五家荘(ごかのしょう)。

大自然の中の美しい山里は、時間がとまってしまったかのように静寂に、そして優しく私たちをむかえてくれた。

平家落人、菅原落人の伝説に彩られた秘境は、九州中央山地国定公園、五木・五家荘熊本県立自然公園の中にあり、九州自動車道・松橋インターから車で1時間20分のところにある。

平清盛の孫、清経が追っ手を逃れ、緒方と改姓して住みついたとされる平家伝説を伝える緒方家、藤原家に追われた菅原道真の遺児が左座太郎と名乗って移り住んだといわれる左座家は、この奥深い地にあった。


登山計画

日  程 2002年11月2日(土)〜4日(月)

山  域 九州脊梁山脈・茶臼山(1446m)、保口岳(1281m)
        茶臼山は積雪のため取り止め

行動日程 

112 西諫早駅前640(高速道路)⇒松橋インター935⇒二本杉峠1028⇒椎原10551158茶臼山登山口確認13301430保口岳登山口確認14351505五家荘林業センター着。

    雨のためテント泊りを中止、同センターを借りる。

113 林業センター720800保口岳登山口820⇒地蔵峠915⇒御前峰10251055保口岳1120⇒御前峰1145⇒地蔵峠12351310保口岳登山口1340⇒民宿・平家荘1505(泊り)

114 積雪のため茶臼岳登山は中止

平家荘8301030五木村・子守唄公園10501110相良村・さゆり温泉1255⇒人吉インター1300⇒九州自動車道⇒菊水インター14101450長洲フェリー1525⇒多比良港1610⇒諫早着1730


第一日  下調べ (112日)

九州自動車道・松橋インターを降り、国道218号線を高千穂町にむかっておおよそ20分で砥用町。ここから国道445号線へ右折する。途端に田圃や集落が消え、狭い谷間を蛇行しながら登っていく。国道とは名ばかり道幅は狭い。何回か対向車と出会ったがその度にどちらかがバックして道を譲った。

高度が上がるに従い紅葉が目立ってくる。

狭い山道では車に轢かれたタヌキが転がっていた。外観は綺麗である。毛皮にして首巻にでもしたら良いだろうなぁ、と思って見過ごした。

 可哀想だと思う気持ちよりも首巻が先に浮かんだのは、山頂に白い雪が被っていて、いかにも外は寒そうだったからである。

二本杉峠を通過したのは10時半。ここからは当分降りになる。峠を越すと近代的な道路規格に準じた道路に変わり、逆にこんな山の中にこれほどの高価なものが必要だろうかと思った。

 道路行政の内情をわきまえていながら、私は、狭ければ何とか整備できないものか、あまり広く整備されているともったいない、と勝手なことを考える人間だから始末が悪い。

道路は途中まで行くと工事中で通行止めのバリケード。この先は仮桟橋で谷を越え対岸に迂回している。迂回した桟橋は元の445号線に取り付くまで500mもありそうな長いものである。

 桟橋を通りながら工事現場を見上げた。大規模ののり面崩壊の復旧工事のようである。今日は作業はしていないが、こんな難工事の場所に出会うと、現役のころ、こんな現場を受け持ったことがあり、今は現役を退いているとはいえ、ここで働く人たちの苦労がわがことのように浮かんでくる。

周りの景色は紅葉の見ごろ、同乗している人の口から感動の声が漏れてくる。工事の苦労なんかの感傷に浸っているのは私のほかにはいないようだ。

梅ノ木轟公園の吊橋は、紅葉見物の人出で駐車場は満杯であった。こんな山奥にいつの間に集まって来たのだろうと不思議なくらいであった。

車を止め少しの時間でも散策したかった。しかし、リーダー兼運転手のIさんは先を急いで通過してしまった。団体行動の辛いところである。

椎原に着いて、リーダーたちが五家荘郵便局で茶臼岳の道順を尋ねている間、近くにある緒方家の屋敷まで走った。

 観光は目的でないからちょっとした時間をうまく使わないと見学できない辛さがある。入場料を払って見物する余裕はない。中に入って家の造りや民具を見たいのは山々だが、そこはぐっと堪え、裏側に回って写真を一枚撮って戻った。

源氏の追討を逃れた左中将平清経は姓を緒方と改名、その子孫が住んでいた家。(裏側を写す)

再び車に乗り込み、県道247号久連子・落合線を走る。沢沿いの道は狭く、工事用のトラックが連なってやって来るたびに、長い時間かかってすれ違う。

 郵便局を出てから30分過ぎたころ、道は二俣に別れていた。橋を渡り右へ行けば久連子の里に通じる。ここは久連子地区の男子にだけ代々伝えられる秘伝の舞「久連子古代おどり」があるところだと聞いている。

 黒い羽根の冠に、白の上着、赤いはかま姿での舞は高貴な雰囲気が漂うと言われているが、車は左の急坂を左へ左へと逆方向に登って行った。行き着いたところは工事中で行き止まり。

 仕事中の人に茶臼岳登山口を訪ねると、600mほど戻った右側の急坂だと教えてくれた。途中で何台もすれ違ったトラックはここの工事車であった。

教えられた道はますます道幅は狭く荒削りのガレ道で車は前後左右に大揺れしながらあえぐようにして登った。

道らしい形はしているが草が生え放題。車が通った形跡はない。心細くなり車が方向変換できそうなところで、その先は歩くことにした。

車を出ると外は冷たかった。今にも降り出しそうな曇り空から小雪が舞い落ちている。腕時計で高度を確かめると800mである。

全員持ってきた地図を広げ、現在地を地図上で判断する。一瞬、雲間から陽が射し地図がまぶしかった。地図と山の形から登山口らしきところまで歩いておおよそ10分、やっと茶臼山登山口の小さな道標を見付けた。


地図を広げ、茶臼山と現在地を確認する。
ちょっとの間冬日が射した。

やっと見つかった茶臼山登山口

 車のところまで引き返し、昼食にする。寒いのでみんな車の中で冷たい握り飯を食べた。

予定では、明日茶臼山に登るためこの登山口にテントを張るつもりでいる。

二張り張る場所は大丈夫だが、水は久連子川から運ばなければならないようだ。

13時30分、保口岳登山口にむかった。保口岳登山口までは広い道で比較的楽に着いた。それでも片道1時間はかかる距離である。

このころから雨が降り出した。予定どうりに茶臼山登山口まで戻りテントを張るか、椎原で空家を探すか、みんなの意見を聞いた。雨の中テントを張るのは難儀だから家を探そうと決まった。五家荘林業センターの建物が見つかった。外から眺めると広い集会所で、板の間、畳の間、炊事場もある。

訪ね歩き、管理人はここの区長さんであることが分かった。交渉はリーダーがしてくれた。

五家荘は、今日から紅葉祭りの始まりであった。数軒ある民宿はお客で満杯。民宿が空いているときはセンターは宿泊させないが、雨に降られてお困りでしょうから特別に使っていただきましょう。とありがたい配慮をしてもらった。

センターに荷物を下ろしたのは15時半。みんなで手分けして夕食の準備にかかった。雨はますます強くなり明日の予定を変えなければならなくなった。

食事をしながら、あすは保口岳に登り、天気次第で茶臼岳は明後日登ることに決まった。

林業センターの畳の間での夕食風景
外は雨が降っていた。

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