南アルプス紀行

(北岳・間の岳・農鳥岳縦走)

 
 富士山を写しているとき少し強い風が吹いた。涼しかった。この涼しさも写真の中に表現できないものかと思った。帰ってからプリントしてみると全体にブルー味をおびた写真で、いくらかは涼しさを感じらとられるような気がしないでもない。

 人を怖がる様子もなく近くを小鳥が忙しく動き回る。身体の模様も大きさもスズメに似たところがある。傍にいる人に尋ねると、これがイワヒバリだと教えてもらった。

カメラを向けたが動きが止まるときはなく、撮るのは諦めた。去年北アルプスで出会った雷鳥は落ち着きがあって静止することがあったから写真も撮れたがイワヒバリはだめだった。


北岳山頂より富士を望む
このとき涼しい風が吹いていたが・・・
山頂に咲く花

 山頂で1時間眺めを楽しんだ後、北岳山荘に降りて行った。岩場、ハシゴ、ガレ場が多く降りとはいえ緊張の連続である。

 池山吊尾根分岐に降りつくと、朝の食事をしていた時に追い越していったグループが分岐にザックをおろし、空身で北岳をめざしていた。たぶんこのグループは八本歯コルコースを選んだのであろう。すれ違う時に互いに挨拶をして励ましあった。

池山吊尾根分岐
八本歯コルから上がってきた人たちはここにザックを置いて北岳に登る人が多い。
北岳から北岳山荘に下る途中にはハシゴ場もある。

 今夜の宿泊地、北岳山荘に14時10分に着いた。
 北岳からはパティーの最後尾を歩き、花や風景をこまめに写真に撮りながら降りたので私一人遅れてしまった。

 私が小屋に着いたときにはリーダーが宿泊の手続きを終わっていた。
 入口の張り紙に、本日は布団一枚に2人寝る、という意味のことが書いてある。夏山シーズンだから致しかたないと諦めた。

 指定された部屋の布団の上にザックを降ろし、ひと息つく。とりあえず無事を祝ってビールで乾杯した。夕食は5時からである。それまで2時間ある。部屋の中に閉じこもっているのはもったいない。写真機を持って一人で部屋を出た。

 小屋の周辺を散歩した。ザックを担いでいない身体は跳ねるような調子で身軽であった。四方八方の山を岩に腰掛けゆっくりと時間をかけて眺めた。

 ここに座っている自分が信じられないような気分になった。2、3年前の暮らしからは想像もしなかった場所にいる自分が不思議である。来年の今ごろは何処の山に登っているのだろうか。

間の岳方向から眺めた北岳と北岳山荘 陽が傾き明暗を分ける稜線
間の岳方向(16時ごろ)

 立ち上がり小屋の方に降りていくと、座り込んで書き物をしている青年に気付いた。
一人で何をしているのだろう。絵でも書いているのかな、と思って近寄ってみるとイヤーホーンを聞きながら地図に書き込んでいる。気象情報を聞きながら天気図を書いている最中だった。

 ちょっと声をかけ挨拶したあと、放送が終わるまで傍で待った。台風9号が小笠原にあり、これからの進路を知りたかったからである。

 書き終わった後、台風の進路を尋ねた。西に進み九州の南部に進みそうだと教えてくれた。本州に上陸しないのはアルプスの山に登っている人たちにはありがたい。しかし、九州に向うとなれば家内一人で留守番している家が心配だ。

 青年に、私は九州から来ているから台風が西に進むと心配だと話した。
 そのあと単独行で登っている青年だと思い込んで話しかけると、昨日から北岳山荘に泊り込み、今夜も泊まるのだという。彼は信州大学の学生で蝶の調査をしているところだった。こんな高いところに蝶がいるのだろうか。高山植物の花には気を取られるがよもや蝶がいるなんて思ってもみなかった。

 彼はわたしと話しするのは迷惑だったかもしれないが、わたしの方は話しているうちに彼の若さを吸収して元気を貰った気分になった。

気象情報を書き込む信州大の学生さん
(16時10分ごろ)
夕暮れの冨士
夕陽は山頂をわずかに照らしていた(18時45分ごろ)

 夕食は人数が多く2回に分けられた。小屋入りの早い順番らしい。宿泊手続きの際に渡された番号札が館内放送で読みあげられた。第一回目の5時からの組であった。食堂は100人ぐらいが食事できる広さではあるがいったん椅子に座ってしまえば人が通れる隙間がない程の混みようであった。

 料理はテーブルに並べ、ご飯と味噌汁はセルフサービスで各自で装うようになっている。しかし、身動きがとれないから、お櫃とおつゆの鍋のある前に座っている人が装ってバケツリレーよろしく食器を配った。ご飯と味噌汁はお代わり自由である。

 わたし達と一緒のテーブルに座っている一人が、ここのテーブルにはデザートのオレンジがないよ、と係りに叫ぶとあちこちから「ここも、ここも」と声があがった。配膳係りは慌てて配って回った。

 食べ始めると、小屋の職員が後片付けの方法を詳しく説明した。
いわゆるゴミの分別収集方法である。使った後の箸はこの箱へ、のりの袋はこれへ、オレンジの皮はこの容器に、それ以外の残飯はこちらへと容器を覚えるのが大変だった。

 少し離れたところのテーブルに座っているあの学生さんを見つけた。蝶の調査は二人でやっていると聞いていたが、テーブルに向き合って座っているヒゲを生やした中年の男性が連れの一人ではないかと思った。その人は彼の指導教授だったかもしれない。
あまり遠く離れていたので声はかけなかった。

 6時ごろになって今夜は布団一枚を一人で使ってもよいという放送があった。
 日暮れ直前の「赤い富士」を写真に撮ろうと小屋を出た。小屋より一段高いところにはカメラを据えてその瞬間を待ち構えている人たちがいく組みもあった。

 寒さに震えながら「赤い富士」を待ったが期待は裏切られたまま陽は沈んだ。

 小屋に帰ると、玄関のテレビで今夜と明日の天気情報が放送されているところだった。全国情報のあとローカルになり、山岳情報では「北岳」は曇りと傘マークで「風強し」とでた。

 台風9号の影響だろうか。あすの行動はいったいどうなることか。

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