大台ケ原・大峰山紀行(9) |
行 程 |
30分ばかりして、また二人はいってきた。年取った二人は大普賢岳で、遠くの山を指差しながら、あれが八経ヶ岳、その右が弥山・・・と説明していた案内人たちであった。今夜は一緒に泊るから宜しくと挨拶し、荷物を降ろし食事の準備に取り掛かった。 Wさんの料理はとにかく品数が多い。極めつけはデザートにフルーツの缶詰まで出てきた。仕上げのコーヒーには各人にかきまわす耳掻きみたいなスプーンまで付いていた。ちょっとした料理店より豪華な雰囲気の山小屋のひとときである。 食事が終わるころ、また若い二人が入ってきた。一人はさっきザックを置いて出ていった男である。へたばった同僚は隣の部屋に休ませ、案内人の準備した食事を一緒になって食べ始めた。案内人は薪をくべ火の勢いを強くして部屋を明るくした。部屋中に煙がこもり炎で影が揺らぎ異様な雰囲気だが何となく楽しいものがこみ上げて来る。 私たちは食事が終わると明日の準備にかかった。水場から汲んできた水はそのまま飲料水に使わないほうが無難である。明日飲む水は小さなコッヘルで沸騰させた。4人分の水筒に詰めるのにかなりの時間がかかった。 隣のグループはアルコールが廻ってきたのか声高に話しが弾んできた。 Tさんは今朝4時の出発で睡眠不足だから早く寝ると言って毛布に潜り込んだ。隣の話し声は私たちを無視したように高く、否が応でも聞こえてきた。 先輩格の案内人達は若いカメラマンにヒマラヤ、チベットの山の経験を話し、日本で有名な登山家や山岳写真家の話しをしている。若いカメラマン達はいずれ海外まで出向いてよい山岳写真を撮りたい、など語り合っている。 こちらの3人はどちらかといえば口数の少ないおとなしい方で、ただ隣の会話を聞いているだけであった。話しを聞いていても仕方ないから寝ることにした。土間の焚き火を頭にして寝る。もちろん話し声が聞こえないように耳栓をして夢の世界を目指した。 5月25日はれ 5時10分に起きた。もう外は明るかった。風が強く寒いので雨衣を取り出して着た。隣の連中はまだ寝ている。昨夜は遅くまで語り明かしていたに違いないが私は耳栓の助けを借りてぐっすりと眠られた。 焚き火の灰が降りかかっていたのか頭に触ると白いものが落ちてきた。鼻の穴に指を突っ込んでみた。案の定、指に黒いススが付いてきた。この調子だと顔もススで黒くなっているだろうと想像できるが貴重な水だから顔を洗うわけにはいかない。 乾燥ご飯にコンロで沸かした熱湯を注ぎ4人分の昼弁当を作るWさんの手つきを眺める。Wさんが今回の山歩きでは女房役になってしまったようだ。あとの3人は食事の準備はWさんに任せきりで加勢しようともしない。ただ出来上がるのを待っているだけである。 食事の後、ゴミをビニール袋に詰めてそれぞれが持つことにした。ザックの後ろにくくり付けた。 カメラマンや案内人達に挨拶をして小屋を出た。 今日も快晴だ。1500mの標高のためか寒く感じる。雨衣を着たままザックを担ぐ。 今日のスタートは、昨日と同じようにWさんが撮ってくれる記念写真から始まった。 小屋から南に向って下って行く。左から朝陽が差し込みカエデやブナの新緑がひときわ燃えるように浮き立っている。冷たい空気を吸い込み深呼吸をすると体中が眠りから覚める。昨日の疲れは残っていないようだ。
きょうは正午に八経が岳の山頂に着く予定になっている。昨日の半分の行程である。これからは奥駈け道を歩き山伏の気分が味わえるだろうか。 尾根伝いの奥駈け道は歩きやすい。朝陽が差し込むブナの林と地面にはコバイケイソウの群生がどこまでも続き、緑一色の世界を遊泳しているような気分で、これぞ山歩きの幸せを感じるときである。 Tさんの口笛は昨日より回数が多くなり快調でリズムが良いようだ。それに一足先に行っては立止まり、見晴らしのよい所で双眼鏡を取り出しては眺める。Tさんの余裕である。昨夜一足早く床に着いた効果がこんなところに現れているようである。 ついにヤマシャクヤクの咲いている所に辿り着いた。ザックをおろし写真を撮った。群生しているとまではいいがたいが広い範囲にボツボツと咲いている。もしかしたら盗掘で数が少なくなったのかもしれない。
ゴヨウツツジ(シロヤシオ)の大木が多く、白い花をつけている。今の時期が満開のようだ。遠くから見ると山法師の満開時期とよく似ていて、木全体が雪を被ったように白い。 ブナ林の中を登り降りしながら一ノタワまで来るとレンガ色に塗ったトタン屋根の避難小屋が見えてきた。行者還の小屋よりも荒れていて、窓枠は切ってあるが窓はない。 石休み場宿跡を過ぎ、弁天の森、聖宝宿跡まで急な登りもなく周りの景色を楽しみながら来た。これから弥山まで急坂になり一気に高度を稼がなければならない。急坂になるとKさんとTさんの実力が出てどんどん置いていかれるばかりだ。遅れてもマイペースで登れば1時間後に辿り着ける。時々休みながら後ろを振り返えると、遠くにそびえる大普賢岳がデーンと座っている。昨日はあそこにいたのだと思うと身内のような感じがする。
後ろから来る人に何人も追い越された。やっとのことで弥山の小屋が見えた。 弥山に着いたのは11時ちょうどである。山小屋の周りは多くのハイカーで賑わっていた。TさんもKさんもザックを下ろし休んでいる。Wさんは相変わらず写真を撮りながらのゆっくりペースでやって来た。
昨日に続き今日も快晴である。30分休憩して近畿最高峰の八経が岳に向った。トウヒの林の中をくだる。距離は短いが急な下り坂である。 鞍部に着くとオオヤマレンゲの群生地を通り抜けることになる。今は花の咲く時期ではなくどれがオオヤマレンゲの樹なのか私にはわからないがところどころにオオヤマレンゲを鹿の害から防ぐために囲いがしてあり、登山路はその柵の扉を開き通らなければならない。のぼりは少しずつ勾配が急になり足場も石ころで油断はできない。最後のひと踏ん張り、怪我しないように注意しながら足を交わした。
念願の八経が岳の山頂に立ったのは12時ちょうどであった。 苦しみに耐え二日間歩き続け山頂に立った瞬間の達成感、それに開放感は言葉には言い尽くせないものがある。 大台・大峰の大パノラマに圧倒され無言のまま見渡した。WさんもTさんも初めてのコースだったという。もちろんKさんも私も初めてである。山好きの仲間としてこの感動は同じではなかろうか。
インターネットが取り持つ縁で、4人は今ここに立っている。誰だって半年前までは想像さえしなかった大峰の奥駈け登山が実ったのである。 入念な計画を練り、登頂にこぎつけてくれたWさんに感謝しよう。それに快晴を恵んでくれた『精進のよい人』にもお礼を言わなければならない。 Wさんからアルミホイルに包んだにぎり飯が二個づつ配られた。朝起きてWさんが作ってくれた心づくしの昼弁当である。Wさんが一人で担ぎ上げた昼飯だ。 この握り飯を食べてしまえば、別れが待っている。寂しさと別れの辛さで複雑な心境である。楽しいはずの昼食だが心は重かった。 12時40分、互いに別れの握手を交わした。 言葉にはならないが握り合った手から心に秘めた思いは伝わってくる。長く引き止めるわけにはいかない。Wさんたちは、これから下山して京都までマイカーで戻らなければならないから。 完 第9回で終わります。 次回は、大峰山紀行「余禄」をUPします。 |