大台ケ原・大峰山紀行(8) |
行 程 |
釣りでいえば魚を釣上げた瞬間、いや学生時代に何回も味わった定期試験が終わったあとの開放感とでもいおうか、長い苦しみを忘れ喜びに浸る瞬間である。 山頂で、幾重にも折り重なる稜線を楽しみながら昼食にする。 傍では三角点に測量機械を据え、赤と白の旗を立て無線で交信している技術者がいる。しばらくすると大きなカメラを担いでやって来た5人の集団があった。年取った男性は遠くの山を指差しながら、あれが八経ヶ岳、その右が弥山・・・、とカメラを担いだ若者に説明しだした。説明している人は案内人で若者はNHKのカメラマンであった。しばらくの間撮影をしていたが彼らもここで昼食をした。
昼食が終わったあとカメラマンのところに近寄り、 「大きなカメラを担いで大変ですね。どれくらいの重さですか」私は尋ねた。 「10Kgありますよ」というから、カメラに手を出し持ち上げようとしたら、カメラマンは慌てて手で押さえた。それはそうだ、触って壊されでもしたら大変なことになるからな。悪いことをしたと反省した。 予定を尋ねると今日明日はこの大普賢岳周辺を撮影すると言った。われわれは今夜、行者還小屋に泊り、明日八経ヶ岳を目指していると話すと「気をつけて頑張ってください」と言ってくれた。 「ではお先に」と声をかけ出発した。これからは当分下りになる。しかし、ごつごつした岩場が続く。 下りは楽だ、というが急な岩場を降りるにはそれなりの苦労がある。登りと違って足の筋肉を使うところが違ってくるし、膝の関節がガクガクして調子が出るまでに時間がかかる。 稚児泊からは、大普賢岳がはっきりと見える。あまりの美しい姿に写真を撮った。そして水を飲みながらゆっくりと大普賢岳を眺めた。
一旦鞍部まで下ると、また国見岳に向って登りに変わる。樹林帯のなかを下を向いて黙々と歩くのは面白くない。面白くないと気持ちが苛立ち、疲れを意識し歩くのが嫌になってくる。もともと山歩きが楽しくて時間と費用をかけて登っているのにおかしな話である。疲れによって精神状態が変わってしまうから自分で自分がわからなくなる。 七曜岳に着いたのは14時30分であった。大普賢岳を出発してから2時間歩いている。マップによる標準タイムは1時間15分となっているからかなりのスローペースになってきた。 Kさんは快調な足取りで、もう七曜岳を通り過ぎ姿はみえない。あとの3人は見晴らしの良い岩場で休んだ。TさんはWさんの重たいザックを交代して担ごうと申し出た。Wさんは最初遠慮していたがTさんの好意に「すみません」と言って渡した。
Tさんは重たいザックを担いでさっさと降りていった。 ここから行者還までの道は険しい下りになった。ガレ場ありハシゴあり緊張の連続である。下りながら、つい一ヶ月前に登った宮崎・大崩山の難所を思い出した。あの時は雨で足場が悪いうえに、体調が悪く散々な目にあった。あの時と比べたら天気はいいし、体調も良い。
緩やかな上り下りの道は続き、それに添って黒いホースが伸びている。今夜泊る行者還小屋へつながった給水パイプであることは想像できた。 ホースと並行して歩くことしばし、4、5分は歩いたような感じだった。何とホースはここで切れている。その切り口からは水が一滴も出ていないのに愕然とした。今回の縦走では、ここに給水場があることで余分な水は持ってきていない。もしここで水が確保できなければ今夜の食事はおろか、明日、弥山小屋に着くまでどうすればよいのか。空のホースは小屋の下にある給水槽まで伸びていた。 行者還小屋は南に面したところにあり、傾きかけた太陽が小屋の広場を照らしていた。今まで薄暗い道を歩いてきたせいか眩しいくらいの明るさであった。 時計を見ると4時10分である。日が暮れるまでには時間はたっぷりある。 ヒュッテで聞いたとおり、入口の戸は外れ、床は傾きみすぼらしい小屋である。 先に着いていたKさんは、物干しの針金に毛布を取り出し掛けている。湿気を含んだ毛布を少しの時間でも太陽に当て乾かそうというわけである。私も手伝った。一人当たり二枚で八枚干すことにした。風が強く毛布は吹き飛ばされた。そのたびに拾ってまた掛けた。
WさんとTさんは水場を探しに出かけた。Kさんと私は枯れ木を集めに小屋を出た。近くにいくらでもあった。集めてきた枯れ木を折りながら子供のころ学校から帰って薪拾いに行ったことを思い出した。 Wさんたちが水場が見つかったといって戻ってきた。空になったペットボトルをかき集めリュックに担いでまた出かけた。水場は急な崖にあり、最後のハシゴがあった傍だという。小屋からだと片道5分はかかる。 小屋は、入口の左と右に二部屋に分かれている。左の大きい方を選んだ。真ん中に土間があり、コの字形に板の間がある。その三分の一の床が腐れ使えない。 土間には焚き火した跡形の灰が残っていた。Kさんは集めてきた小枝を持ち込みマッチで火をつけた。火の勢いが強くなるにつけ、暗かった小屋の中が明るくなった。煙が充満して目が痛くなりむせた。小屋の中に積んである丸太を火の中にくべた。水を汲んで二人が戻ってきたのは5時ごろであった。 Wさんは担いできたザックから食料品を出し床に並べた。出るわ出るわ、缶詰に乾燥食品、紙コップに箸、たぶん買いもれがないように一覧表を作り、買い出しに出掛けられたのであろう。 メールでのやり取りでは、重くならないように、簡単な夕食をお願いしていたがこの分だと豪華版になりそうだ。こまやかな心配りで周到な準備に頭がさがった。 調理ははWさんにお願いして、Kさんと二人で空のペットボトルをかき集め明日の水筒用に使う水を汲みに出かけた。水を汲んで戻ってみると料理はできていた。料理を取り囲み座った。まずウイスキーの水割りで乾杯。楽しい食事が始まった。 大きなザックを担いだ若い男が入ってきた。 「今夜ここに泊りますが同僚が途中でへばっていますので迎えに行ってきます」といってザックを置いたまま出ていった。そのとき外は暗くなっていた。 |