大台ケ原・大峰山紀行(7)
行 程 |
指弾窟までは尾根伝いで緩やかなアップダウンの道が続いた。足を慣らし体調を整えるには最高のコースだった。 この辺りから岩場になり足元が険しくなってきた。左側の崖下に小石が転げ落ちる音がした。先頭を行くTさんが「あそこにカモシカがいる」足を止めストック(杖)で崖下を指した。それらしいところを探すがなかなか見つからない。 やっと見つかった。停まって私たちを見上げている。鹿と違って顔は長いヒゲで覆われ精悍な顔立ちをしている。体全体は黒味かかった茶褐色で太っていた。テレビや写真で見たことはあるが実物を見たのは初めてで思いがけない出会いに得した気分になった。 笙の窟に着くまでに鎖場、ハシゴがあり急な登りだった。Wさんは、最後尾からゆっくりと写真を写し、楽しみながらのマイペースのようだ。私は難所にさしかかると登るのが精一杯で写真を撮る余裕がない。 笙の窟でザックをおろし休憩。
今朝出掛けに、ヒュッテの食堂に笙の窟で修験者たちが修行をしている写真が掲げてあったのを見ていた。窟を見て、変な表現だがよく似ていると思った。あの写真を撮った位置から私も写しておこうと小高いところまでよじ登った。 修験者はいないが同じカメラアングルで写し満足した。 ザックを背負い出発しようとしたらKさんが「水がうまい」と言うので、窟の奥深く入り込んで滴水を柄杓に汲んだ。冷たくて味がある。二口飲んでも柄杓にまだ残っている。捨てると罰が当たりそうで全部飲んでしまった。 鷲窟のオーバーハングした巨石の下を通り岩場を登って行く。険しい登りが続き、前を行くKさんが私の頭の上を歩いている。最初の胸突き八丁である。
尾根に上がりついて休憩。時計を見ると9時40分、ヒュッテを出発してから1時間40分歩いている。疲れは感じるが何処も痛いところはない。 ここは三叉路で右方向は日本岳、左は大普賢岳のルートになる。上がりついた三叉路は鞍部になっていて右に行っても左に行っても登りになっている。水分を補給して再び歩きだす。 尾根とは言え岩石が多く足場は悪い。それにかなりの勾配だ。見晴らしの効く石の鼻に着いたのは鞍部を出て20分が過ぎていた。
ザックをおろし下界を眺める。どちらを向いても山また山の重なりで壮大だ。三角形をした和佐又山がはるか下に鎮座している。あそこから来たのだ、といま来たルートを目でなぞって見る。樹林の中を歩き続け、何処をどの方向に進んできたのか見当もつかなかったが、ここからの眺めで地図上のルートと一致していることを確認する。 石の鼻から下りになるが石の間を縫うようにして歩くために周りに咲いている石楠花の花はゆっくりと眺める暇がない。TさんとKさんはますます快調な足取りで、離れないように後を追いかけるのに精一杯だ。Wさんは花をカメラに収めながらのマイペースである。
小さなピークを越すと急な下りに差しかかり、木の根に足をとられないように用心しながら降りて行く。谷を隔てたすぐ目の前に大普賢岳は聳えているが一旦谷底まで降りて再び登らなければならない。この標高差100mは±200mとなり疲れを倍加させる。向こう側にワイヤーを張り、ぶら下がって渡れば数分ですむものを、と非現実的なことを考えるのは少しでも楽したいと思う心がそうさせるのである。少しでも楽して目的を達成したいと願うのは疲れと比例するようである。 谷底に降りついて上を見上げる。ところどころにハシゴが見える。どのように険しかろうとこの難所を登りきらなければ、あの大普賢岳には辿り着けないのだ。TさんもKさんもかなり先を歩いていて姿は見えない。Wさんはマイペースで写真を楽しんでいるようだ。 とにかくこの急坂を登ってしまえば、あとは尾根歩きで楽になれる。ゆっくりと歩き始めた。歩き出して20分が経ったころ、腹が減って力が出ないような気がしてきた。時計を見ると10時40分。今朝は6時に朝飯を食べたから5時間近く過ぎている。 とにかくエネルギーを補給しよう。出発するときWさんが各人に飴玉とカロリーメイトをビニールの袋に入れて渡してくれた。受け取る時、ここまで気を使って準備してくれたのかとWさんの気配りに頭がさがった。 ポケットからカロリーメイトを取り出し食べる。口の中がパサパサで飲み込めない。体全体の水分が不足しているのか唾液の出が悪い。水筒の水を飲み、流し込んだ。 気持ちを入れ替え歩きだした。胃袋にものが入っていると不思議と力が湧いてくるものである。 黄色と黒のトラロープが張ってある。ロープはまだ新しい。ロープには事故が発生した場所だから注意するようにと書いた板をぶら下げてある。 ヒュッテを出るとき、このごろ大普賢岳で遭難が続いているから注意して行くようにと、管理人の奥さんが言ったのを思いだした。たぶんここがその場所ではないか。道幅は広い、緩やかな勾配で平らな土の場所だ。どうしてこんなところで事故が起こったのだろうか。 通り過ぎてすぐ険しい登りになった。急な坂を登りながら「あの場所で事故が起こるのは前後の難所が原因ではないか」と思った。下から登ると30分ぐらいの坂で疲れがピークに達するころである。たぶん上から降りてきても急な下りの連続で神経を使い、平坦で楽に見えるこの場所で気が緩んでしまうのではないかと。 以前同僚が足を骨折したときも、なぜこんな足場のよいところで?と不思議がるようなところでの事故であった。疲れが溜まってくると、足場が良くなったところでは注意力が散漫になってしまいがちである。 尾根に上がり着いたところは分岐で、右に行くと山上ヶ岳、左に進めば大普賢岳の奥駈け道である。大普賢岳まではあと0.1Kmの道標が建っていた。尾根とはいえ依然として坂は緩やかになってくれない。 念願の大普賢岳(1,780m)に立ったのは11時20分。和佐又を出てから3時間20分になる。Tさんは双眼鏡で眺めている。Kさんはザックから弁当を取り出していた。まもなくしてWさんが着いた。 ピークに立った瞬間をどう表現していいのだろう。
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