大台ケ原・大峰山紀行(1)


 山歩きの好きな京都在住のWさんとインターネット上で知り合い、一面識もない者同士が、修験の山大峰山に登ることになった。

 大峰山は大峰山脈にあるが大峰山という名の山は存在しない。一般には、大普賢岳(1780m)、弥山(1895m)、近畿最高峰の八経ヶ岳(1915m)、山上ヶ岳(1719m)などを含めて大峰山と呼ばれている。

 今回は、和佐又山〜大普賢岳〜行者還岳〜弥山〜八経ヶ岳〜天川・川合のコースを歩いた。


 はるばる長崎から紀伊半島まで出かけるのだから、深田久弥の『百名山』に選ばれている大台ケ原山も長崎組だけで前日登ることにした。

 
 ちなみにパーティーは、京都在住のWさん(30代)とTさん(40代)の二人。長崎からは「ばってん亀」こと私(60代)と山の友達Kさん(60代)の4人である。


※ 背景画像は、八経ヶ岳から眺めた大普賢岳(左)行者還岳(手前中央)和佐又山(右)

行   程
5月21日  諫早〜大和上市(奈良県吉野郡大和上市・桜亭泊)
5月22日  大和上市〜大台ケ原(大台荘泊)
5月23日  大台ケ原〜和佐又山登山口(和佐又山ヒュッテ泊)ヒッチハイクで移動
5月24日  和佐又山登山口〜笙の窟〜大普賢岳〜七曜岳〜行者還小屋(小屋泊)
5月25日  行者還小屋〜一ノタワ避難小屋〜弁天の森〜弥山〜八経ヶ岳〜弥山小屋(泊)
5月26日  弥山小屋〜狼平〜栃尾辻〜天川・川合〜バス・電車・新幹線で諫早へ

5月21日 はれ

大台ケ原に登って雨に遇わなかったら、よほど精進の良い人と言われているそうである。

一週間前の週間天気予報では、大台ケ原から大峰山を歩く5日間は晴れと曇りのマークで傘マークはなかった。この予報に当たり籤でも引いたように喜んだ。

21日朝、諫早をJR特急、新幹線と乗り継ぎ京都まで出て、近鉄線で大和上市に夕方4時ごろ着いた。

その夜は予約していた駅前の旅館に泊った。木造三階建ての古い家だった。玄関から二階に案内されたが階段も廊下も部屋の柱もすべてのものが黒光りしていて年代を感じさせた。

食事の時間に宿の主人に尋ねたら昭和の初めに建てた家だと言う。吉野の桜が咲くころには吉野の宿が満杯になり、あふれた宿泊客がここまで戻って、泊ってくれる程度で生業としては成り立っていかない。夫婦二人でやっているが近いうちに廃業しようと考えていると、70代の主人は語った。

寝る前にテレビで天気予報を見た。明日午後から明後日にかけて雨マークになっている。「やはり大台ケ原は雨か、おれはもともと精進の良い人間じゃないもんなぁ」変に納得して床に着いた。

5月22日 くもり

国道169号を通る車の音と、吉野川に架かる鉄橋を通過する電車の騒音で目が覚めたのは5時ごろであった。上流に当たるこの地方では吉野川と呼んでいるが下流の和歌山まで下ると紀の川と変わる川である。

障子は明るくなっていた。障子を開けて気になる空を見た。曇り空だ。どうも昨夜の天気予報は当たりそうである。

旅館を出たのは8時である。大台ケ原行き直行バスは9時半大和上市駅前から出る。旅館からバス停まで5分もかからないところだったが、平日はこの一便しかないので早めに出て番号札をもらい乗車の権利を確保しておきたかった。

まだ誰もバス停にはいなかった。電車が到着するたびに一人、二人と登山の服装をした人が集まってきた。切符売り場で乗車券と番号札をくれるよう声をかけた。

「今日は平日だから番号札はなくても乗れますよ。お金は大台ケ原に着いて降りる時に払ってください」と窓口のおじさんは言う。出発の時間まで近くを散歩してくるから番号札だけでもくれないかと無理にお願いして受け取った。

ザックは待合所の椅子において外に出た。大和上市駅とバス停は同じ所にあり、街や国道を見下ろす高い位置になる。国道と並行している吉野川の対岸には集落があり、その先は山の稜線が重なり合って山の深さを現している。その稜線の重なりのなかに大きな建物がかすかに見えた。それは吉野山の金峰山寺蔵王堂でここからでも周囲を圧する威容であった。

大和上市駅 吉野山の金峰山寺蔵王堂(山中の中央)大和上市駅から望む

9時近くになると電車が何回も到着してそのたびに登山者の数は増えた。

出発の10分前にバスは乗車口に横付けになりドアーが開いた。番号札順に乗り始めた。

ポケットに入れていた番号札がない。慌ててあちこちのポケットを探したが出てこない。

次回をお楽しみに

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