写真を撮っている間にKさんは展望台の岩場に挑戦していた。身軽なKさんは楽に登っているがとても私には怖くて登れない。下で降りてくるのを待った。
再び大崩山頂めざして歩き出した。順調にいって山頂まで1時間はかかる。これからは尾根伝いで緩やかなアップダウンが続くという。人の背丈ほどもあるスズタケを掻き分け、ぬかるんだ粘土質の道を急いだ。
大崩山頂は展望が効かないと聞いている。途中石塚まで来ると団体の登山者が昼食を摂っていた。石塚は晴天ならば霧島山、祖母、傾、九重、由布岳など360度の展望が効くところだけにガスの晴れ間を見逃すまいと弁当を食べながら待っている様子であった。その人たちを横目に見ながら山頂を目指した。10分足らずでやっと山頂に着いた。
12時50分到着である。登り始めてから5時間20分かかっていた。この悪天候で足場の悪いなか何とか念願が叶ってよかった。
13時10分まで20分の休憩。ここで昼食にする。噂のとおり展望は悪く、14、5人が休憩できる広さしかなかった。先着の夫婦らしい一組が弁当を食べていた。
私たちは各人適当な場所を探して座った。しばらくして男性が「もしかして、エベレストに登られたKさんではないですか?」と話しかけてきた。
平成10年5月20日、日本人最高齢(57歳6ヶ月)で登頂したKさんの顔をニュースで見て覚えていたのだという。憧れの人だから一緒に写真に写ってくださいと頼み、夫婦は三角点の前に出てきてポーズをとった。お礼に熱いコーヒーを点ててみんなにふるまってくれた。そのあとも宮崎から来た女性二人がKさんと並んで記念写真を撮った。Kさんは相変わらずどこの山に行っても有名人である。
20分の休憩時間はあっという間に過ぎた。視界は悪いが雨はやんだようである。
大崩山山頂
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リュックを背負って下山開始。下山は当初予定していたモチダ谷・吐野コースを坊主尾根コースに変更した。登頂が予定より1時間遅れたために、後者のコースを選ぶと1時間30分時間短縮ができるからである。
このルートは急峻でハシゴ・ロープの個所が多いコースであるがこのメンバーなら何とか降りることができるとリーダーたちが判断したのだろう。
モチダ谷分岐、和久塚分岐のどちらも右に進み、坊主尾根コースにはいった。
下山時に咲いていた
アケボノツツジ |
象岩のトラバース |
りんどうの丘に着いたのは14時ちょうど。展望台には先客が5人ほどいたが相変わらず視界はゼロでこの人たちも悔やんでいた。そこそこに引き返し、下山コースに戻る。ここまで降ってくるまではたいした難所はなかった。
坊主尾根コースの難所のひとつ、象岩のトラバースに着いたのは14時50分であった。
ガスがかかって得することもある。この場所は視界が良いときには左手の崖が下まで見おろせ、足がすくんで動けないところだそうである。幸いにその恐怖からは逃れた。とはいいながらも緊張してワイヤーをしっかり握り締めソロリソロリと渡った。
これから先は急峻な道ばかりでハシゴ場の連続、ハシゴがないところはロープ、ロープがないところは木の根を使っての降り、自立して歩けるところはない。
一歩踏み外せば人生の終わり。ここで事故を起こしてメンバーに迷惑を掛けてはならないと思うと慎重になりすぎ動きが遅くなった。
リーダーは常に最後尾につけている。私は中間に位置取りして降りていたが後ろにさがりリーダーの前を歩くことにした。みんなのペースに付いていけなくなったからである。
体が痛いところはどこもない。ただ足を交わしていているが感触が薄れ不安を感じた。たぶん午前中から体調がおかしかったのがここでまたぶり返してきた感じである。
リーダーに休憩しながらゆっくり降りたいと申し出た。かなり予定時間を食い込んでいるし元気な人たちは先にやり、リーダーと二人でゆっくり降りることにした。
焦るな、あせるなと自分に言い聞かせ心を静めた。小刻みに休み、水分を補給し、あるときは飴玉をしゃぶり体力の消耗を防ぐことにした。
疲れきった頭を元気付けてくれることが起こった。ぼんやりとしていた視界にガスが取れ雄大な景色が現れた。正面に坊主岩がにょっきりと立っている。今日初めて見る大崩の眺めであった。心が晴れて何となく嬉しくなってきた。カメラを取り出し坊主岩を写した。その傍で「あとで、おれにも一枚くれんね」とリーダーが声をかけた。その一言は久しぶりで聞く会話のように感じた。お互いに無言で降りていたのだった。
霧の晴れ間に出現した
坊主岩
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あまりゆっくり見惚れてばかりはおられない。みんなはだいぶ先に進んでいる。再びハシゴを降りていった。それから30分後ハシゴもロープもないところまで降りてきた。そこにみんなは待っていた。私が来たのを確かめると安心したのか「ゆっくりでいいですよ」と言い残して降りて行った。
沢の音が聞こえてくるところまで降りてきた。徒渉点に近くなっていることを意味する。『ああこれで先がみえてきた、あと30分で登山口に着く、もう歩かなくてもよい』頭の中はこのことで一杯であった。
しかし、いくら降りても沢にたどり着かない。足を持ち上げる元気はなくなってきた。ただ惰性で降りているようなものだった。
暗い林から明るい河原に出ると、Kさん、Iさんたちが待っていた。徒渉点だ。
今朝登りはじめて2時間ばかり経ったころ、私たちを追い越していった5人のパーティーがあった。その人たちの話では、坊主尾根コースから登るために徒渉点まで行ったが昨夜からの雨で水嵩が増してとても渡れなかった。それで和久塚コースに変更した。この祝子川は水量が増えるのも早いが減るのも早いから夕方には渡れるでしょう。と情報を提供してくれていた。
私とリーダー以外はもうすでに川の向こうに渡って待っている。情報通りに水嵩は減って渡れたのだ。良かった、と思った。しかし、河原の石を跨ぎながら川の中央まで来て行き詰まってしまった。急流の流れの中に石が二つ顔を出している。その二つの石踏み台にして飛び越えないと向こう岸に渡れないのだ。
Kさんが向こうから身軽に飛んで渡ってきた。「こんな調子で」と言いながら、また向こうに渡ってみせた。渡る巾は1.2メートル足らずで陸地ならば樂に飛び越せるのだが流れの中の石に飛ぶのは自信がない。無理して飛べば勢い余って川の中に突っ込みそうだし、手加減すれば手前で水の中に落ちそうだし、よしんば運良く渡っても狭い石の上でバランスよく着地できるとは限らない。頭のなかは悪い方にばかり回転する。
ザックをおろし、靴を脱いで素足になった。ズボンを捲り上げ片方の足を水中に入れ渡ることに決めた。手前の石にはKさん、向こうの石にはIさんが立ち、手を差し伸べ支えてくれる段取りである。まずKさんの手を握って体を前に倒し手を伸ばしたらIさんの差し伸べた手に私の手が届いた。Iさんに引き寄せてもらい大股で足を交わすことができた。次の石も同じようにして無事に渡った。
この瞬間、すべての行動が終わったようにホッとした。後から一人で渡ってきたリーダーが「これからまだ30分。気を緩めないでがんばろう」と靴を履いている私に声をかけた。登る時に休んだ山小屋には立ち寄らなかった。予定よりだいぶ時間がオ−バーしていたから先を急いだ。木橋、ロープ、ハシゴとまた難所はあったが坊主尾根あたりよりははるかに楽である。
崖下の木々の間から駐車している白い車が見えたとき、『無事帰り着いた』という思いで胸が一杯になった。
その夜、夕食時の話題は今日一日の苦労話で弾んだ。
北、南アルプスのほとんどを経験しているS・Kさんも大崩山は初めての挑戦。その人いわく「こんなにハシゴ、ロープが連続している急峻なコースは初めてだった。」
「降りになってハシゴの数は20あった」これはI夫人の言葉である。
あの険しい場所を命懸けで降りてきた私にはそんな数を数えるなんて余裕はなかった。
私以外は健脚そろいでタフなのに恐れ入った。(完)
宿泊した大崩研修所
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