小岱山(熊本県玉名市)
H12.3.5 曇り 参加者 10名
昨日は、春の雨には珍しく、まとまった雨が夜中まで降り続いていたので、明日の山登りはできるだろうかと心配しながら床に就いた。朝4時20分に目をさましたら雨はあがっている。6時集合になっている西諌早駅はガスがかかっていた。冬の朝だというのに寒いという感じはまったくない。なま温く湿った風が気持ち悪いくらいである。
フェリーで多比良港から長洲に渡るころには雲間から朝日が射し込み少しずつ回復に向かっていた。船のなかでは客室の小さなテーブルの上に二万五千の地図を拡げ各人磁北線を書入れる。今日の山行は、山行部と技術研修部の合同企画である。地図の見方とコンパスの使い方を歩きながら学習する目的もある。
笹千里まで車で行く予定であったが、崖崩れで通行止めのため、蛇ガ谷公園まで引き返し、ここから歩くことにした。コンクリート舗装の道を登ること50分、途中、三差路で地図を拡げコンパスを使って、まず地図を正しい方向に置くことから教わり、第一の目標地点である笹千里の方向を図上から読みとり進路を確かて登る。笹千里に着いたのは9時半であった。
これから先は九州自然歩道となり、土と落ち葉を踏みしめながらの足にやさしい路になった。麓から中腹にかけては、落葉の木が多く、裸木と下草の茅類で枯れ野を感じさせる山である。はんの木は桑の実と見間違えるような暗紫褐色の尾状の花穂を枝先にいっぱいつけている。この黒味がかった花穂と、萌葱色に膨らませながら春を待っている新しい花穂の新旧の取り合わせが素晴らしい。時折流れてくる鶯の声に疲れが癒される。
丸山展望台で休憩しながら、観音岳、筒ケ岳の方向をコンパスで確かめる。10分間休憩ののち10時10分再び出発する。高度が高くなるにつれ落葉樹は常緑の椎の木などの喬木に変化して、すっぽりと覆い被さった樹林の下を歩く。尾根伝いに登っては下り、急な階段を上ってはまた下る。この繰り返しで少しずつ高度を稼ぎ、やっと観音岳にたどり着いた。冬枯れした芝生の広場には祠があり、祠に納めてある観音さまの座像は、直径が1メートルぐらいの大木から彫ったもので、木肌そのままの姿であった。目的地の筒ケ岳に11時17分到達する。頂上少し手前の左側に三角形の握り飯の形をした巨大石が見えてきた。
『財宝を納めた底なし井戸の蓋石と伝えられており、筒ケ岳城落城のおり、大判小判が敵の目をかすめて隠されたとの伝説がある』と『筒ケ岳の巨石』の由来を説明した案内板がある。この石は、幅4メートル、高さ3メートル、奥行き2メートルはゆうにあると思われる大きなものだ。
この山頂は山城のあったところで説明版を読むと『宝治元年(1247年)武蔵国児玉党の鎌倉幕府のご家人小代(しょうだい)氏が戦功を賞されて、野原荘地頭職を賜り筒ケ岳城を築いた』とある。玉名、荒尾、南関を見下ろす360度視界の効いたお城としては好条件の場所のようである。
10分の休憩をとり下山する。七峰台の展望のよい岩の上に座って昼飯にする。北西の方向に蓮華院誕生寺の五重塔が真下に見える。小岱山は都市部から近い所にあるためか、食事をしている間多くの登山者が行き交った。手軽で人気のある山のようである。
丸山展望台に戻ると葛で篭を編んでいたおじさんが、女竹で作った笛を先着3名様に差し上げるといいながら吹いて見せた。貰った女性会員は、早速懸命に吹いてはみたものの音が出ない。何回か繰り返すうちに要領が分かって3人とも音が出るようになった。童心に還って笛を鳴らしながら下山する会員もいた。
14時に蛇ガ谷公園に無事到着した。
その後、蓮華院誕生寺に参詣、世界一という大梵鐘を見学する。この鐘は『飛龍の鐘』と呼ばれ、直径2.88メートル、高さ4.55メートル、重さ37.5トンもあり、60キロの大人625人分の重さになるらしい。
梵鐘奉納は1搗き5000円とあった。梵鐘も大きいが、これを搗く梵鐘奉納金の高額なのにも驚いた。
麓の荒尾市にある小代焼き窯元を見学して長洲からフェリーに乗り我が家へと向かった。諫早に帰り着いたのは18時ちょうどで予定どおりであった。
九州自然歩道として整備された登山道路は歩きやすく、4つの峰を登り下りして、緩急変化のあるルートは面白かった。
山汗記に戻る