英彦山・山伏道を登る

福岡県田川郡添田町

英彦山は、不思議いっぱいの神話と伝説の霊山

かって山伏たちが住んだ修験の山、英彦山。草木に隠れた石畳のあちことに点在する石仏、修行の場であった窟、そしてさまざまな遺跡。一つの山が霊山として辿ってきた歴史は、その信仰エネルギーの強さをいま

に伝え、ロマンを感じさせます。神話と伝説が語りつがれる英彦山は、いくつもの不思議を秘めて霊山です。(パンフレットより)



 登 山 行 程
   
   H13・10・13
      別所駐車場⇒奉幣殿⇒玉屋神社⇒鬼杉⇒材木岩⇒南岳⇒中岳⇒自然遊歩道⇒奉幣殿⇒
      森の家(泊)
  
   H13・10・14
      森の家⇒高住神社(豊前坊)⇒逆鉾岩⇒望雲台⇒北岳⇒高住神社⇒彦山温泉

                                     参加者11名


神宮下には参拝客を目当てにしたお土産店が5,6軒並んでいる。そこの売り子さんたちに「行っていらっしゃい」と励まされ出発した。

奉幣殿までは段差が大きい石の階段が続く。山登りをする連中は人工的な階段と舗装された道は嫌いだと言う者が多い。

私もその一人であるが、その原因は人が作りあげた道は身体に不自然で疲れやすいからだ。

出だしから嫌いな階段登りになったがここは我慢するしかない。
奉幣殿で今日の無事を願ってお参りをしたあと、右の階段を下りて土の道を歩く。

ここはどちらかと言えば上宮に参拝する人のコースではなく山歩きを目的にした人たちの巾の狭い山道である。

自然がいっぱいといった感じで草花が咲いていた。

今日のパーティーのなかには、花・植物に詳しい女性2人の参加があり、花に出合うごとに説明してもらう。

写真に収めたあとメモを取ろうとすると、もう花の名前を忘れている。もう一度教えて、と言いながら書き留めた。

右上の花は「ツルリンドウ」、左は「ジンジソウ」である。そのほかに「アケボノソウ」「アキノキリンソウ」などが玉屋神社に着くまでに咲いていた。

出発しておおよそ一時間で「玉屋神社」に着いた。

垂直に切り立った岩の根元に玉屋神社はあった。境内には大杉が林立し一瞬にして異次元の昔に迷い込んだような感じがした。

悠久の流れの中から生まれたこの雰囲気は雄大で、カラフルな装備をつけたハイカー達の存在は取るに足らない小さなものだった。

人間は現実的である。12時10分前になっていた。

「腹が減ったからここで少し食べたい」という者がいた。

では腹の虫を治める程度に食べなさい、と休憩時間をながめにとった。

「腹が減った」と申し出た者の言うことを聞き入れて、腹ごしらえをしていたのがよかった。

鬼杉に着いたのは13時であった。この一時間は崖を登ったり降ったりと同じ高さの所を繰り返して、苦労の割に高度は稼げなかった。

獣道みたいな細い道でいかにも修験の道らしかった。

鬼杉の根元に座って昼食を摂った。満腹したあと幹周りを手つなぎで測った。

 9人で一回りした。説明版によると『高さ38m、周囲12.4m、推定樹齢1200年』とある。

鬼杉から南岳までは急登の連続である。前屈みになって登るのは満腹の腹がつかえて登り難いと口実を作っては休憩する。

険しい山肌には柱状摂理の岩があり「材木石」と名が付けられていた。
振り返って見るとところどころに紅葉が始まり、疲れを癒してくれた。

今年の秋はまだ夜の冷え込みが少なく紅葉は遅いようである。
南岳9合目辺りは鎖場になる。
太陽に熱せられた岩は熱を顔に反射し汗が滴り落ちる。
苦労して登ってきた南岳だったが山頂はなだらかで芝が生えたおとなしく静かな所だった。

三角点の傍に申し訳程度の標識が建っていた。途中の険しさからして修験道の山頂にしては拍子抜けした感じである。

南岳の三角点から少し離れた場所に、高さ5メートルぐらいのコンクリート造りの展望台があった。

周りの木々より少し抜き出た高さで東と南方向は見晴らしがよかった。

東南方向には遠く阿蘇連峰が望めると聞いていたが、今日の秋空はすっきりした様子でもなく霞

んで見えないのか、見えていてもこの目で判別できなかったのかのどちらかであろう、確かめることはできなった。

右の写真は、阿蘇の方向に向けてシャッターを押したつまもりでいる。

再び南岳の三角点に戻り北の方向に進んでいくと木立の間から中岳(1200m)にある上宮が見える。

この位置から一旦鞍部にまで降りて再び登れば中岳で、20分で通過できる楽なコースである。

上宮は板塀で完全に締め切られ、社殿の中は見えなかった。大きな倉庫が二つ並んだ感じで参

拝だけを目的に登って来る人たちには少し惨い仕打ちのように感じた。

防風か防火かの対策とも考えられないことも無いがもう少し参拝者の立場になって一工夫してもよさそうである。

時間的に余裕があれば中岳から北岳まで往復して1日で全コースを歩くつもりでいたが秋の日

暮れは逃げ足が早いので中宮、下宮を通って下山することにした。

石の階段を避け両脇の土の部分を選んで降りた。階段を下りるよりショックが少なく膝に楽である。

中宮を過ぎた辺りですっかり斜めになった夕陽をまともに受けたお地蔵さんさんに出会った。

何となく日向ぼっこをしているようでもあるが秋の夕陽という先入観からか何処となく寂しさを感じ取った。

西側の山に夕陽が遮られ、薄暗くなった道傍に白くぽっかりと浮かんだ花が目に写った。

花の名は「サラシナショウマ」というそうである。周りが暗く幻想的な場面であった。

この写真はフラッシュの明かりで葉っぱが輝いているが現実は薄墨を貼ったような暗さであった。

別所駐車場に戻ったのは17時30分、吹き抜ける風は涼しさではなく冷たさを感じた。

今夜の宿泊所「森の家」は木造で浴槽までがヒノキ風呂になっていた。

女性達にとって今日のもう一つの楽しみは上げ膳、下げ膳の夕食である。

食事の豪華さには関係なく、準備、後片付けから開放される気分は最高のご馳走だとにこにこ顔であった。

翌日、「森の家」を出て高住神社に向かった。今日も天気はよいようだ。

この調子だと北岳からの眺めは最高だろうな、と期待は膨らむ。高住神社に、まず拝礼して1日の安全をお願いする。

豊前坊から北岳に登る道は、北に面していて晴天であっても太陽は差し込まない。夜露で湿った苔道を用心しながら登っていく。

岩壁がそそりたった間を縫うようにしていくと「逆鉾岩」の案内板に出会った。行く手を見上げると岩砲がある。「これだ」シャッターを押した。

ところがよく見ると案内板の左の岩砲が逆鉾岩だった。写真に収めたのは「筆立て岩」。
形・大きさはどちらも同じぐらいである。逆鉾岩は茂みのなかで暗く、シャッターは切ったが露出不足で写っていなかった。
北岳コースから左に寄り道して望雲台に向かった。凝灰岩の一枚岩は湿った苔が生え滑りやすい。

鎖にしっかりと掴まり、時間をかけて上がった。直登、トラバース、直登の繰り返しで鎖場が続き息が抜けない20分であった。

望雲台の頂きは、細長く横たえ、足の置き場も細い。柵に掴まり7,8人が並ぶと満員になる。

柵の下は150mの絶壁で足が震える。遠くの景色を見て震えを止めるしかない。

片手は柵に掴まり、一方の手で命がけで写真を撮った。手前の黒い山は「一の鷹巣山」である。

左のほうへ「二の鷹巣山」「三の鷹巣山」と続くが、この一枚を撮るのがやっとだった。

北の斜面を登ること1時間20分、やっと尾根に着いて太陽の陽を浴びた。寒いわけではないが気分的に暖かさを意識した。

太陽のありがたみを再認識したといえば大袈裟すぎるか?

ここからは太陽を背に受けて右に折れまた急坂を登ることになる。

山頂の祠の前で白装束に金剛杖、数珠を持った参詣者が読経していた。
さすがは修験の山だと思いながら読経を聞いた。

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