噂の巨木
H13・9・30
噂は広まるほどに尾ひれがついて大きくなるという。話が大きくなりすぎて「そんなことがあるもんか」と疑わしさが増すにつれ、自分の目で確かめたくなるのが凡人の常ではなかろうか。
多良山系のなかに大きな樅の木があると以前から聞いてはいた。しかし、数値的にどれくらいの大きさなのかははっきりしなかった。つい最近になって両手を広げ26人がかりで囲む巨木だと耳にした。
これほどの大きさだと全国的に名が知れわたってもおかしくはない。話半分にしても13人がかりだ、それにしても大きい。とにかく一度見てみたいものだと思い続けていた。
何年か前に行ったという人の話からは「地図上でこの辺だろう」と大まかなことしかわからない、はっきりした道があるわけでもなく、ヤブを掻き分け、急な坂をのぼり、また急斜面を降りなければ辿り着けない険しいところで、探し廻るのが大変だという。
これだけの情報では独りで行けない。誰かが行く時に同行させてもらう機会を待っていた。
今年の長崎県勤労者山岳連盟・第4回登山フェスティバルは9月29日〜30日多良山系の黒木キャンプ場で開かれることになった。登山コースの1つに「巨木・樅の木コース」が組まれていた。さっそく参加申し込みをしてやっと念願が叶いそうになった。
フェスティバルは前日から山岳会の交流が行われたが私は翌日の巨木・樅の木コースだけに参加した。
この雨の降りようでは今日の予定は中止になるだろう、集まった7人の意見はこんなところで一致した。昨夜から泊まっている先発隊に無線で連絡をとったが反応なし。
勝手に中止と決め込んでキャンプ場に行かないということもできない。とりあえず車一台はキャンプ場まで出かけてみようと決まり、4人で出発した。
出発して45分、8時前にキャンプ場に着いた。この間雨は降り続いていた。
決行か、中止かの判断が下ったのは8時20分。決行となった。
申し込んでいたそれぞれのコースごとに集合した。巨木・樅の木コースはリーダーと私の二人だけである。人気コースで参加者は多いだろうと予測していたのに気合抜けしてしまった。
8時45分ひっそりとした二人だけの出発である。先に出発していた大花山コースは10名ばかり、追いついたところで「二人ではあまりにも寂しいから・・・」と声をかけてみると3名が「ではそちらに加わりましょう」と移ってきてくれた。
リーダーのTさんはみんなに地図とコンパスを出すよう命じ、大体この辺が目標地点になると地図上でおおまかな説明する。何年か前に行ったがはっきりと図上で示せないとリーダーは惚けた顔して澄ましている。それは本心なのか、4人にコンパスを頼りに歩く訓練をさせようと考えてのことか真意が読み取れない。
「コンパスを目標地点にセットし、これから先はコンパスを頼りに歩いてください」ときた。
「おっおっ!これは大変だ」。やっぱり噂に聞いた道なき道を探しながら登るのか。
さっそく藪に入り込み掻き分け進むことになった。藪の下はガレ場で浮石が多く歩きにくい。「ヤブは相手の弱点を突いて登ってください」最後尾からリーダーの声が聞こえる。藪の弱点とは茂みの薄いところの意味らしい。
20分登ったところで休憩。初対面の自己紹介をする。男三人に女二人、途中で合流した3人はミラン山の会の人達だった。
ここから藪は切れ樹林の中を歩いた。道らしい道はなく相変わらずコンパスを頼りの歩きに変わりはなかった。樹に掴まり急登を登る。立ち枯れた樹が多く、つかんだ瞬間音をたて折れる。その度にはっとする。尾根近くになったころ、樹にくくりつけたテープが見つかり行き来した跡がはっきりしてきた。
ほっと安心していると「テープがあると面白くないな」後ろの方でリーダーの声、やっぱりおれ達を試しているのか。
尾根伝いの緩やかなところで休憩する。尾根とはいっても自然林が茂り視界は悪い。雨で少しガスがかかっているから何となく暗い感じだ。
歩いた時間から推定して、もう目標の近くに来ているはずである。10分の休憩のあと再び出発。まもなくして黒木が原岳(658m)と書いた平たい石のところまで来てしまった。10時10分である。
「もうすぐ右に下りる目印のテープがあるはずだ。そこをトラバースしながら谷へ下りるから、目印のテープを見逃さないように」相変わらず後からリーダーの声がする。行けども行けどもそれらしい目印に出会わない。とうとうピークを三つ越えてしまった。黒木が原岳を発ってから1時間10分が過ぎている。
今朝の早発ちで朝飯は6時に食べ腹が減って元気が出ない。どうも目標を見失って中岳近くまで来てしまったらしい、とみんなが感じ始めた。腹ごしらえしてから引き返すことになった。
雨は相変わらず降っていてのんびりした昼食というわけにはいかない。ゆっくりするまもなく黒木が原岳まで戻った。昼食した場所から黒木が原岳まで30分かかっていた。
右側の斜面に下り探し始めた。樹木の茂りで空は塞がっている。樹の根元付近の巨木を捜し歩く。足元が狂ったら限りなく谷底まで転がるに間違いないと思われるほどの急斜面である。
それらしい樅の巨木を見つけた。一本は胴回り2.45m、もう一本は3.76mあった。
道なき道の急斜面を下りながら時計を見ると13時である。下山制限時刻まであと1時間30分しか残っていない。このままお目当ての巨木には会えないで下山かと諦めた。
とにかく尾根伝いに降りて左側を探そう、消えかけた望みをつないでくれるのは偶然しか残っていなかった。
そこは尾根から50mぐらい下の方になる。はやる心を静め、用心しながら降りた。
近寄り木肌を撫でた。苔むしている。「これがうわさの樅の樹か」。
リーダーがザックから巻尺を取り出し測る準備にかかった。それを見てみんな根元の回りに移動し巻尺を順送りした。肌の凹凸にテープが引っかかりなかなか水平にならない。声を出し合いながらテープを左右にずらし、やっと水平に巻きつけた。
木の幹を測るときには、「目通り」といって立った人の目の位置で測るのが一般的である。しかし、リーダーは根元から1.03mのところと細かい数字を命じた。1.3mの違いではないかと思ったが黙って従った。こんな巨木になると20〜30センチの高さの誤差は関係なく、何処も同じ太さである。
測定の結果は「5.56m」と読み上げられた。これで目的は達した。
幹廻り26尋(ひろ)の噂はどうしてでたのだろうか、眺めながら考えた。急斜面で根元の下地面と上地面とでは4mぐらいの差がある。ここを人で囲めば13人は必要かもしれない。これなら「話半分」でまんざら大袈裟でもないようだと納得することにした。
もう1つの問題はこの巨木の位置である。「巨木の位置を図上に落として」と頼まれても「ここの辺りだろう」とリーダーと同じように大きな丸を書くしかなさそうだ。さまよい歩いてやっと探し当てた場所だから見当がつかないのである。
うわさの樅の木