救助搬出の10時間 (長文)

山行月日 H1212910

 

事故は思わぬところで起こった。まさかこんな所で?とパーティーの九人全員がそう思ったに違いない。

私のすぐ前を歩いていたUさん(女性)が右足を捻ったようにして尻餅をついた。登山道にしては歩きやすい緩やかな降り勾配である。先頭からすでに六人はここを通り過ぎ、Uさんはその後を追っていた。岩場や足元の険しいところならば、これは大変なことになった、と私は動揺したかもしれない。だが歩きやすい緩やかな降りでの出来事であり、すぐ起き上がるだろうと思って足をとめて待った。

Uさんは両手で右膝あたりを押さえたまま起き上がらなかった。痛みを堪えているのか、瞬間的に感覚が麻痺しているのか顔に苦痛の表情はない。その表情から周りの者はたいした怪我ではないと思っていた。

前の日、諫早(長崎)を出て、その日のうちに九州の屋根・九州中央山地国定公園の三方山(1577M)と高岳(1563M)を登り終え、その夜は椎矢峠にテントを張った。

夜中から降り出した雨は朝方には小降りになり、朝食をとるころには雲が切れ回復の兆しが見えてきた。今日目指そうとしている天主山(1494M)は、リーダーの話によるとスズタケと雑木林の中を掻き分けて進む、藪コギのルートだという。雨はあがっても藪コギでは雨の中を歩くのと同じで、ずぶ濡れになる覚悟はしなければならない。

濡れるのを嫌ってこのまま下山してしまったら天主山にはまた何時来られるかわからない。できれば登りたいと誰もが思っていただろう。しばらく空模様を眺めていたが天気の回復することを期待し予定通り決行することになった。それぞれに雨衣を着込み、スパッツを付けテントを後にしたのは九時十分であつた。予定より1時間遅れである。

テントを張った椎矢峠から三方山南登山口まではなだらかな林道で歩きやすい。ここから「切剥ぎの分岐」までは林道ではあるが幹周り2〜3Mもある古木が至る所で道を塞ぎ朽ちかけている。これらを跨ぎあるいは腹這いになって進んだ。

林道から崩落の多い登山道に入る。目指す天主山はここからおおよそ3キロの道程である。起伏の小さな稜線と2〜3のピークを越えるコースは、背丈以上に伸びたスズタケを掻き分け、あるいは自然林の朽ちた倒木を跨ぎ、大小の岩や石を乗り越えなければならなかった。

スズタケのトンネル、巨木の自然林の繰り返しではほとんど視界はひらけなかった。笹を掻き分ける音、地面を踏む靴の音のほかには、時折、鹿の鳴き声が聞こえてくるだけである。狩猟時期であり、猟師から獲物と間違えられないように時々ホイッスルを吹いた。

天主山に着いたのは11時35分であった。山頂は樹木に囲まれ眺望が利かないが樹木が風を遮り暖かである。ここで昼食にする。

昼食を終え記念写真を撮り、別れの挨拶に三角点を撫でて引き返したのは12時5分であった。

事故は出発して五分後におきた。

Uさんの表情からは捻挫ぐらいで骨折しているとまでは思っていなかったが、前に投げ出した右足は登山靴のすぐ上あたりが膨れあがっている。膨れあがったところが少し外側にズレているような感じもする。私は、こんなことに遭遇したのははじめてであり、捻挫か骨折かの判断はつかない。骨折しているならば、もっと激しい痛みが襲うはずだ、と誰かが言った。

リーダーのIさんやFさんが手際よく、湿布を貼りテーピングしたあと、骨折の場合も考慮し新聞紙を各人から集め副子を作り副えた。(病院で診察の結果は骨折)

ステッキ二本を組み合わせ松葉杖を作っては見たものの丈が短く使えない。二股の木を探し身長に合った長さの松葉杖を作ることにした。私は救助講習会で、のこぎりが如何に役立つかを知り、それからはザックの中にいつも入れている。体重を支えるためにはある程度の太さの幹でないと役立たない。それに見合った木を切るにはナイフでは時間もかかるし力が要る。のこぎりは短い時間で、あまり力もいれないで切れる。本当はこんな道具は使う機会がないに越したことはないが、もって来て助かったと思った。

Uさんは、左は人の肩にもたれ、右は松葉杖を使って歩いた。不慣れなためか右の杖がうまく使えない。慣れればよいだろうがそれまでには時間がかかりすぎる。正常な足で二時間半かかった道のりを引き返さねばならないのだ。松葉杖をやめ、両脇から人で支えることにした。

両脇の二人に身体を預けると安心して左足を前に出し、順調な脚運びができるようになった。しかし、ほとんどの所が人ひとりやっと通れる細道で、三人が横に並んで進める山道は少ない。支え役になる両脇の者は、樹木を掻き分け石を跨ぎ、足場を安定しないとUさんを支えられないのである。これが確実な搬出ではあるが足場確保に時間がかかった。

樹木を跨ぎ岩や転石を乗り越え、小さなピークまで来た。一時間経っていたが距離にして2〜3百メートルしか進んでいなかった。交代しながら両脇を支えやっとここまで来たが、みんなかなり疲れがでている。

もう一本、松葉杖を作り平坦なところでは二本の松葉杖を使って自力で歩いてみたらとの案がでた。先長い道のりのことを考え、介添え人の疲れをいくらかでも少なくするには二本の杖で自力歩行もやむを得ないとの考えである。

立木を切り、二股に布を巻こうとしたがタオルはすでに前に作った杖に使ってしまい巻くものがなかった。各人から手袋を集め巻き付けた。

ところが二本の杖に体重を預けるには、杖を支える硬い地面を探すのに時間がかかった。

比較的に緩やかで足場のよいところでは背負うのが一番早く歩けることがわかった。とはいっても凹凸があり舗装道路を背負って歩くのとは違う。背負う者と背負われる者の体重が同じぐらいだと赤ちゃんを背負うようにそう簡単ではない。

九人のザックで一番大きなものを選び、空にしてザックに棒を通し、背負い子を作ったが20〜30リッターぐらいのザックでは背負い子としては小さく使えなかった。

リーダーのIさんはみんなを集めこれからの行動を説明した。

とりあえず林道まで何とか頑張って下山しよう。そこまで出ると後は楽に搬出できると。

このパーティーは男性3人に女性6人である。男性でリーダーのIさんは五十歳前半、私とKさんは60半ばである。女性で宮崎・えびの市から初参加したWさんは30代で、あとは50代の中高年女性である。

男性3人と若いWさん、山の経験豊富なFさんの5人が搬出組みで残り、あとの3名はみんなのザックを担ぎ、先にテント場に帰ることになった。

非常用の食料、あるだけの水、ヘットランプ、防寒衣を残して、あとはザックごと三人に預けた。これらの非常食、水、防寒衣をまとめてFさんが背負い先導役になった。あとの4人が交代で脇を支え、あるいは背負って再び下山を始めた。

病院に勤務しているというWさんは、看護婦さんで病人の扱いになれている。Uさんに両手を首にしっかり巻きつけて掴まるように指示しているところはさすがだ。そのほうが楽に背負えるとのことである。

私は肩を組んで介添いはできるが腰痛持ちで背負うことはできない。3人がかわるがわる背負っているのに、私は見ているだけで申し訳なかった。何回も、代わって背負ってみようかと思ったがここで無理して私までが動けなくなったら二重遭難になってしまう。我慢するしかなかった。背負ったり、両脇を支えたり、降り坂ではUさん自身が座り込んで尻を滑らせながらと、その場その場の状況に応じて一歩一歩進めた。

倒木で遮られたところではUさんを倒木の上に降ろし、木の上に座ったまま自力で180度方向転換して倒木を越えた。

このころからUさんは無口になり、肩にまわす手に力が入らなくなった。それが両脇で支える者の尻を持ち上げる手先に負担となってのしかかってくる。介添いは4人で交代し疲れを癒す時間が取れるが、Uさんは3人からかわるがわる促され、そのたびに左足を飛ぶようにて交わし、両手は二人の首に常に巻きつけておかなければならなかった。この状態で長時間耐えられるものではない。力尽きてもおかしくないのだ。

「眠たくなった」空耳だろうか?担いでいる私の耳元でUさんが洩らしたようであった。これまでの行動は救出する側のペースで事を運び、Uさんの疲労を感じ取っていなかったことに気付いた。小休止をとった。

急斜面のトラバースでは両脇の足場が確保できないため縦長になって移動する。これも時間がかかって思うように捗らないが仕方ないことである。

Kさんがスズタケを切ってそれを束ねてスキーにして運ぶことを考えた。

下り坂でUさんをスズタケに乗せ引っ張ってみたが予想外に重たく前向きになっては引けなかった。両脇の木や竹に足が挟まり、それらを避けての滑り降りは予想外に手間取った。また引っ張るのに後ろ向きになって引かなければならないので、引く者のほうが不安定になり後ろを振り向き振り向き小刻みに下りるしかなかった。

時計を見ると4時間が過ぎていた。時間の経過は時計で知ることはできたがどれくらい下山したのか距離がつかめない。目印になるものがあるわけでもなく、想像するしかなかった。私の感じでは四分の一も降りていないような気がした。

だんだんと焦りと不安が襲った。このペースでほんとうに林道まで辿り着けるだろうか。まだ陽の明かりは残っているが、だいぶ暗くなってきた。それにガスもかかっている。

これまで何回も休憩をし、非常食も食べ、水を補給して体力を保ってきた。しかし、あと残り少なくなった水、食料だけでは、もしこのまま今夜ビバークとなれば足りない。それにテントもないし、レスキュウシートはザックに入れたまま託けてしまってここにはないのである。いまのところ気温が暖かく寒さは感じないが暦では12月中旬である。それに1500Mの標高では何時寒波が襲うかわからない。今持っている装備では一夜を明かすことは到底無理であろう。等など悪い方に悲観的なことばかりが頭の中をよぎる。

リーダーはUさんを励ましながら懸命に手助けしている。リーダーは以前遭難して動けなくなった人を救出した経験があるという。今回も目算が立った上での行動であろう。もう今となってはリーダーに任せるしかないと気持を切り替えることに努めた。

険しい露出した岩肌に出会い、また横たわった倒木に阻まれ、そのたびに気力が搾り取られるような思いになる。懸命になって救出しているみんなの姿からは私のような弱音は伝わってこない。私ひとりが弱気になったのであろうか。持病の腰の傷みが出てきているのが自分ではわかる、そのせいだろうか。

しかし、私以上にみんなは背負って疲れているのだ。これぐらいの腰の痛みで救助から逃げ出すわけにはいかない。身体を休めながら後を付いているとこんな弱気が頭を持ち上げて来る。弱気を吹っ切るために交代して肩を組んだ。

肩を組み下りている間に後をついて来ているはずのKさんの姿がない。しばらくして、林道に下りてから、その先担架で運ぶための木を、明るいうちに準備しおこうと思って取りに行っていた、と言いながらKさんは二本の長い木を持って戻ってきた。Kさんの冷静な判断に頭が下がった。

視界は薄暗くなり、梢から雫が落ちてくるようになった。ガスから雨に変わったのだろう。懸命に身体を動いているからか、いまのところ寒さは感じない。

休憩をとり、ヘットランプをつけて夜の準備にかかったのは五時半ごろであつた。

このとき私は、家内に夕方6時までには帰るから、と言っていたことを気にしていた。

全員がこの状況を家族に知らせ、帰りが遅くなることを早く伝えたいのだが携帯電話は『圏外』で通じない。今の状態ではこれから先の時間的な予定は立てられなかった。

先導役のFさんはガスと暗闇に阻まれて目印のテープを探すのに手間取った。進路が決まるまで待つ時間が多くなった。救出を一時中断して手分けして進路を探した。

ヘットランプを頭から手に持ち替え、入念に足元から幹伝いに照らし枝に巻きつけたテープを探す。ランプの灯りは照らす範囲が意外と狭く時間がかかるものだと初めてわかった。ランプの灯りに赤いテープが反射した瞬間の嬉しさは元気へと変わって力が湧いてくる。ガスのなかの暗い夜道ではテープに頼るしか術はない。昼間もテープは案内役として大いに役立っているが視界を閉ざされた今夜のテープは仏様神様に見えた。

先頭を行くFさんが前方に向かって何やら叫んでいる。夜霧の中を遠くから聞こえる声に応答しているのだ。定かではないが「おーい、もうすぐ林道ですよー」の呼びかけに応えているようである。その瞬間、目標にした林道にやっと辿り着けたという安堵感と、応援に戻ってきてくれた3人への感謝から目頭が熱くなった。

お互いに確認し合うやり取りを聞いていると元気が沸いてきた。しかしそれもつかの間、張りつめていた糸が切れた感じで身体がこわばり疲れがどっと噴出した。

林道終点で出会ったのは7時20分ごろであった。

先にテント場まで引き返していたYさん、Hさん、Tさんの3人は、ただ待ちつづける身の辛さ、時は過ぎ漆黒の深まりに居たたまれない心境で、林道終点まで引き返してみようと歩き出したのだという。ただ黙って待つ身よりも、懸命に搬出している私たちのほうが考えるひまがなくて精神的に楽であったのかもしれない。

3人はテント場を6時に出発、林道終点に7時10分に到着した。これ以上進むと道に迷う恐れがあり、ここで待つことにした。9時まで待って応答がなければ引き返し、携帯電話が通じるところまで下山し、救助を求めるつもりであったと後になって話してくれた。

3人の援軍を得て、広くなった林道を両脇から支え進んだ。足場が平坦になると援軍の3人が交代で背負ってくれた。これまでののろのろの進みとはちがって格段の早さになった。女性群の力強さに敬服するばかりで、わたしは、男性でありながら背負えないひ弱さを痛感してその場から逃れたくなった。このころ腰の強張り、屈伸ができない状態になっていた。

私は、先導役に替わって霧の中に隠れた道を探した。依然として霧は深く雨脚は強くなっている。道の水溜りに足を突っ込み靴の中は水浸しである。ライトを握る手は雨にぬれかじかんできた。やはり体を使わないと寒い。

リーダーがKさんにテント場から三方山登山口までワゴン車を回送するように頼んでいる。ここから車を置いているところまでは歩いて30分はかかる。Kさんは独りで降りていった。20Mぐらい先を一人で道探しするだけでもガスに包まれ、怖い思いをするのに大変勇気がいることである。

後になってそのときの心境をKさんに尋ねてみた。「先の見えない道を探しながら、崖下に落ちはしないか、これが正しい道だろうかと常に不安で車に辿り着くまで必死で、それはもう長い長い時間でした」と語ってくれた。

Kさんが車を回送し待っている三方山登山口に辿り着いたのは9時40分であった。

Uさんを車に乗せ、みんなで「よかった、よかった」と口々に言った。

雨脚は強くなり、靴の中も手袋もずぶ濡れである。そんなことはどうでもよい、早く電話が通じるところまで下山したい一心であった。

テント場を出発したのは9時50分、霧で遮られた林道を用心しながら下り、深夜の高速道路を走って我が家についたときは、もう翌朝の5時30分になっていた。
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