階段が1825の矢上・普賢岳さん

 

矢上・普賢岳を私が知ったのは三十数年前である。しかし、この山に登ったのは今回が初めてであった。

矢上(長崎市郊外)の街は、国道34号線の両側に張り付くようにして連なっている。諫早方面から日見峠に向かう途中、町の中央付近に『普賢饅頭』の看板がある。注意しないと車では見過ごしてしまうような小さな看板だ。

「こんなところに普賢饅頭?」普賢岳といえば雲仙・普賢岳しか知らなかった三十数年前の私は不思議だった。

雲仙・普賢岳にあやかった『饅頭屋』がこんなところにあるのかと思った。
友人にこのことを話したら「矢上にも普賢岳はあるよ」と教えてくれた。

その山は国道の近くにあり、またその饅頭屋からも近かった。付近の山より特別に高いわけでもなく、頂上や山腹に寺社が見える山でもない。

外観はありふれた山だったので、いつも見かけていながら気に留めないで今日まで過ごしていた。

ハイキングクラブに入会し、矢上・普賢岳に登る機会が今回やってきた。登ってみると、国道から眺めた感じとまったく違った山であった。

矢上バス停で下車したとき雨脚は強くなっていた。薬局の店先を借りて今日の参加者8名は雨衣を着込んだ。街中を登山口まで歩いていく間に多くの車とすれ違った。

この雨の中『もの好きもいるもんだ』という好奇の眼で見られているようで少し気が惹ける。人家を抜け、山道になると急に車の騒音も消え、静かになった。ここまでくると、もう人目を気にすることはない。

一の鳥居たもとに登山口の案内板があった。だらだら登る畦道を過ぎ、階段に差し掛かるとまず石仏に出会う。五体ばかり並んだ坐像は地蔵様だろうか頭が丸くつるつる坊主である。

山頂まで階段ばかりの登山道だと聞いていたので、階段を登り始めたころ「何段あるの?」と尋ねた。「1809段あるよ」とKさんが言った。

ここの階段は、切石を横に置いたもので蹴上げの高さがまちまちである。杓子定規に作ったコンクリートの階段より登りやすい。石段に付いた苔が雨に濡れ滑りそうで緊張する。

しばらく階段を登ると、「白龍神」の赤鳥居と「普賢菩薩」と書いた石の鳥居が並んでいた。赤鳥居は神様を祀ったもので「白龍神」と書いた額縁に似たものが掲げてある。この文字を書いた正式な名前はなんと言うのだろうか。ここでは勝手に『名額』とでもしておこう。神様を祀ったもの

で「白龍神」と書いた『名額』には納得するが、もう一方の鳥居と「普賢菩薩」の名額の取り合わせに、アレッどうして?と思った。「普賢神社」ではないのか。雲仙・普賢岳ははっきりと『普賢神社』になっている。だから普賢さんを祀ってあるところは神社だと思い込んでいた。しかし「普賢菩薩」となっていると少々気になる。

 菩薩とは、大乗仏教では、悟りを求めて修行する者をいうそうである。観音、弥勒、文殊、虚空蔵、地蔵と数ある菩薩のなかの一人に普賢菩薩もおられ、釈迦が慈悲を表し、文殊菩薩が知恵を代表し、普賢菩薩が修行を表すと伝えられている。

 仏の世界の修行者を神社に祀る慣わしがあるのは、奈良時代から寺院に神が祀られたり、神社に神宮寺が建てられたりした神仏(しんぶつ)混淆(こんこう)の名残であろう。だとすれば、明治初年、祭政一致をスローガンとする政府の神道国教化政策、神仏分離政策によって引き起こされた廃仏毀釈からは、ここの普賢岳は免れたのであろうか。この辺の経緯は地元の史談会に尋ねてみるしかない。

祭壇は仏式のように感じたが私には仏式だと断言できる自信はない。仏式で拝礼した。

ここから弘法大師の石像が建っている展望所に向かった。南にそびえる英彦山、眼下に見える網場の街、橘湾に浮かぶ牧島を一望する。眺める方向が違うと日見峠から眺める景色とはまったく違った新鮮さがある。港からだんだんと山の上に競りあがって人家が拓けていく姿は山ひとつ隔てた長崎市街と同じである。

 雨は小止みになっていたが、風が強く木々のざわめきが騒々しい。

 この風の強さでは山頂でゆっくり昼食はできないから、少し早いが弘法大師を祀った小さな御堂を借りて腹ごしらえをしようと決まった。御堂とはいっても、畳二畳ばかりの板の間にござが敷いてある簡単な木造の建物である。三面が板壁、出入り口はサッシのガラス戸が二枚あり締め切ると風邪の騒々しさは消えた。

 大師堂を出て、まもなくすると巨石をハツリ、大日如来の使者である怒りの不動明王があった。多くは坐像であるそうだが、ここのは人間の三倍の身の丈がありそうな立像である。
炎の燃えさかる光背をバックに、顔は眉間にしわを寄せ、激しく怒った表情である。右に剣を左に縄を持ち、近寄りがたい。

 登山道の階段を隔てた右には、不動明王とは対照的に物静かな観音菩薩が、これまた巨石に浮き彫りにされている。身の丈は不動明王に負けぬ大きさの立像である。人々が苦しみ悩んだときに、心から観音の名を唱えれば、ただちにその苦悩の声を聞き、それを拭い去って救ってくれるという、観音様である。

観音様には十一面観音、千手観音、馬頭観音など身近で見たり聞いたりするが、ここの観音様は白衣をすらっと着流した美人の白衣観音である。男性に人気の観音様ではないだろうか。

石段はなお続いたが石仏はこれから先には見かけなかった。山頂に着いたのは12時10分だった。山頂はやはり風が強く吹いていた。

「1825段あったよ」
 山頂についてまもなく、Yさんが言った。

出発前に私が尋ねた石段の数を根気強く数えていたのだった。きっと足よりも頭のほうがお疲れではなかったかな?ご苦労様でした。



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